NTT持株会社は本当に必要なのか? - 松本徹三

松本 徹三

もう2ヶ月も前の事ですが、4月7日付の「目に余るNTTグループの独占回帰への試み」と題した私の投稿には相当の反響を頂きました。1982年の第2臨調の「行政改革に関する第3次答申」に始まったNTTの体制問題の論議は、1984年に「日本電信電話株式会社法(原始NTT法)」が成立し、翌年の民営化が実現したものの、「巨大な独占体制の弊害を排除するための分離・分割議論」は先送りされ、1997年に「分割は行うが持株会社を認める」という玉虫色の決着がなされるまでに、実に15年の歳月を要しました。そして、この持株会社は、傘下の各社の自立が進むに従って次第にその存在感を薄めていくのかと思いきや、昨今の各社の役員人事などを見ていくと、逆にその支配力を強めつつあるかのようです。


例えば、NTTドコモについては、1997年当時には、「株式上場までには持株会社の出資比率を10%以下に引き下げよ」との公正取引委員会の「指導」があったにもかかわらず、NTT側の見解は「その必要はない」ということであり、現実に、2008年3月末での持株会社の株式保有は、なおも64.8%にとどまっています。この問題については、1997年6月10日の参議院逓信委員会にNTTを代表して出席した井上参考人の答弁が面白いので、参考までに下記します。

「確かに10%未満というお話があったこともその通りでございますが、それ以外に方法がないのじゃあないかというのが我々の基本的な考えです。ドコモというのは、端的に言いまして、当社が開発した技術に基づいてサービスを提供するということで、……(中略)……今お話がありましたドコモの株式公開等の機会をとらえて、出資比率は下げていきたいというふうに考えておりますが、50%以下にはならないような形でぜひ公正取引委員会等にもご理解を賜るようにこれから働きかけていきたい……」

さてさて、ドコモが隆盛を極めている現在の視点からこれを読むと、この答弁は何とも珍妙な感じがします。

先ず「ドコモという会社は、NTTが開発した技術に基づいてサービスを提供する会社である」というくだりを検証しましょう。成程、ドコモは、持株会社に所属する技術部門が開発した技術を使っていますが、この技術部門の経費はドコモが負担金を支払うという形で賄っているのですから、ドコモ自身が自らの技術部門としてこれを運営する場合と何ら変わりません。何故わざわざ別の会社にお金を出して開発してもらわなければならないのかは、さっぱり分からないのです。ドコモの現在の技術開発コストは、一加入者あたりの金額に換算すると、世界中のどんな通信事業者のコストよりもはるかに巨額なものですから、「研究の重複を防ぎ、規模のメリットを享受する為に、敢えて他の事業会社の技術開発部門と一体化させているのだ」という説明も説得力を持ちません。

次に、もし「ドコモに対する持株会社の出資比率は10%未満であるべき」という当初の公取の見解が、それなりの理由があるのであるとすれば、何故それが実現できないのかは深い謎です。「それ以外に方法がないのではないか」「50%以下にならないような形で公取のご理解を得たい」というのが、当時のNTTの経営陣の見解であった事は、この議事録を読んでよく分かりましたが、その考えは今もなお変わらないのでしょうか? もしそうであるなら、それは何を守る為に必要なのでしょうか?

「NTTの分離・分割」を巡って膠着状態にあった郵政省とNTTの対立は、NTT側から出された「持株会社」案を、種々の理由により当時「多勢に無勢」になりつつあった郵政省側が呑むことによって、1996年末には、急転直下実質的な解決に向かいましたが、この時点で、NTTの宮津社長は、「(持株会社案によって)分割反対の最大の理由だった株主権保護の問題が克服できた」とコメントしています。それでは、これによって克服出来たとされた「株主権保護」の問題は、実際にはどうなったのかを、ドコモの株主と、NTT(持株会社)の株主の立場から検証してみたいと思います。

1987年に上場されたNTTの株式は、当初は318万円の最高値をつけたものの、その後急落、NTTの分離・分割に関する電気通信審議会の「最終答申」が出された1990年の3月には116万円まで下落しました。実は、この下落は、「暴落」というほどのレベルのものではなく、当初の過大な期待の修正と、当時の株価全体の下落に連動したものに過ぎなかったわけですが、当時の大蔵省はこれを「『分離・分割論』が市場の不安心理を誘発した為に起った『暴落』である」と考え、「分離・分割論」に対する懸念を表明、自民党もこれに配慮し、「分離・分割論」は1995年まで、5年間凍結される事になりました。

しかし、現実には、この「5年先送り」は、NTTの株価を支えることには特に役立たず、その後も下落は継続、上述の政治決着が行われる1996年末の時点では、70万円台になっています。

1996年以降は、日本の株式市場全体の好調を反映して、NTTの株価も上昇に転じ、2000年3月末には163万円まで戻しました。株価を1株当りの連結純資産で割ったPBRも、1996年3月末の2.75倍から、4.20倍まで上昇しています。しかし、その後、日経平均は急落、これにほぼ連動する形で、この後のNTTの株価も急落しました。具体的には、2001年3月末には80万円(PBRは1.88倍)、2002年3月末には50万円強(PBRは1.38倍)となっています。ちなみに、2008年3月末の株価は43万円((PBRは遂に1倍を割り込んで0.79倍)、2009年3月末の株価は100分割前の金額に換算すると37.3万円です。(先月13日のNTTの決算短信をベースにした私の計算に間違いがなければ、PBRは0.68倍ということになります。)

さて、ここで話を核心に戻し、「持株会社」の存在というものは、本当に株主のためになっているのだろうかという疑問に、立ち返ってみたいと思います。

現在のNTT(持株会社)は、NTT東日本、 NTT西日本、NTTコミュニケーションの株式をそれぞれ100%ずつ持ち、更にNTTドコモの64.8%、NTTデータの54.2%を保有しています。(その上に、持株会社固有の人員として17名の役員と2,890名の従業員、更に平均74名の臨時従業員を擁しています。)このNTT(持株会社)の2009年3月末時点での時価総額が5兆8,715億円です。

一方、2009年3月末時点での、NTTドコモの時価総額は5兆8,761億円ですから、その64.8%は3兆8,077億円、NTTデータの時価総額は7,495億円ですから、その54.2%は4,062億円、合計すると4兆2,139億円が、そのままNTT(持株会社)の資産になっているわけです。従って、この金額をNTT(持株会社)の時価総額5兆8,715 億円から引いたものが、NTTドコモと NTTデータを除いたNTT(持株会社)固有の市場価値ということになります。引き算をして見ましょう。あれれ…、1兆6,575億円にしかなりませんね。

しかしながら、NTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションの2007年度末の総資産を調べてみると、それぞれ2兆507億円、1兆4,810億円、5,379億円になっていますから、これを合計すると4兆696億円になります。これだけの資産が、市場価値としては、上述の1兆6,575億円にまで縮小してしまったということなのでしょうか? これではPBRは0.41倍を切っていることになり、あまりにひどい評価です。しかも、これは、「前述の持株会社固有の17人の役員と2,890人の従業員は、一銭の価値も生み出していない」と見做されたと仮定しての数字です。

これはいくら何でもひどすぎると思い、どこかに間違いはないかと何度もチェックしてみたのですが、今のところ見当たりません。(この記事を読まれた方で、間違いを発見された方がおられれば、是非ご指摘ください。) ところが、何が何だか分からず途方にくれていると、或る人が、「それは、市場が、NTT(持株会社)の株価を考えるにあたって、コングロマリット・ディスカウントをしているからだ」と教えてくれました。

成る程、米国の標準的なファイナンス入門書には、「先進国においては、ベンチャー・キャピタル・ファンドのような “Buy, Fix and Sell” 型のものを除いては、コングロマリットのアプローチについては、市場は否定的である」と書かれています。ベルガーとオフェクは、コングロマリット全体の市場価値は、コングロマリットを形成する各部分の市場価値の合計より、平均して12-15%低く評価されているとしており、その理由としては、「投資家達は、コングロマリットの経営陣が成熟部門に対して負の純現在価値しか持たない投資をして、他の分野における正の純現在価値を有する投資機会を見逃す恐れがあることを懸念している」と述べています。

ベルガーとオフェクが調査した事象とNTTの持株会社の状況とを直接結びつけることは、必ずしも適切とは言えないかもしれませんが、少なくとも関連させて考察することは意味があるのではないでしょうか? そして、そのような観点から考えると、「もともと株主の利益を守る目的で導入された『持株会社』が、実は株主の利益を大きく害してしまっている可能性がある」とまでは言えるのではないでしょうか? しかも、そのコングロマリット・ディスカウントの比率たるや、ベルガーとオフェクのいう平均値15-20%を遥かに超える巨額のものです。

今、もし仮に、NTTドコモとNTTデータが持株会社から分離され、NTT東日本、 NTT西日本、 NTTコミュニケーションの3社が「新NTT」を形成したとしたらどうでしょうか? 持株会社固有の人員は、分離されたそれぞれの会社に分散して引き継がれ、持株会社の株主は、それぞれに「新NTT」、「NTTドコモ」、「NTTデータ」の株式を比例配分によって受け取ることになります。(具体的には、「NTTドコモ」と「NTTデータ」の株式は無償交付、「NTT(持株会社)」の株式は「新NTT」の株式と交換ということになるのでしょう。)

「新NTT」の株価は、現在の持株会社の市場価値から「NTT ドコモ」と「NTTデータ」の市場価値を差し引いた残額、1兆6,576億円を株数で割ったものになりますから、当然28%近くまで減額してしまいますが、「NTTドコモ」と 「NTTデータ」の株式の無償交付を受けた株主には、勿論何の損失も発生しません。それどころか、「新NTT」には、前述のごとく市場価値の1兆6,575億円を遥かに上回る4兆696億円もの純資産があるのですから、株価は当然急上昇するのではないでしょうか? だとすると、現在の持株会社の株主は大満足のはずです。

それでは「NTTドコモ」「NTTデータ」の株主はどうでしょうか? これらの会社の株価は、「持株会社の傘下から外れた為に、今後の経営が苦しくなる」と見做されて、下がるのでしょうか? それとも、「『NTT東日本』や『NTT西日本』の経営を支えなければならないという負担がなくなり、経営の自由度も増える」ということが好感されて、上昇するのでしょうか? 私にはどうも後者のように思えてなりません。もしそうであるなら、誰もが幸福になれるわけで、「一体、誰が、どんな理由で、これに反対するのであろうか?」と、不思議な気持にならざるを得ません。

(考えてみれば、市場の危惧を反映する「コングロマリット・ディスカウント」がなくなることは、多くの株主にとってプラスとなるのは当然でしょうし、もしそうであるなら、「多くの株主にとってプラスとなる変化」に抵抗することは、誰にとっても難しいことではないでしょうか?)

このように申し上げると、私がたまたまソフトバンクモバイルの役員をしていることから、多くの人達が、「ははあ、ソフトバンクモバイルは何とかして持株会社を解散させて、強敵ドコモと他のNTTグループとの関係を断ち切りたいのだな」と思われるかもしれませんが、それは大きな誤解です。

「競争相手」という立場からだけ考えるなら、むしろ現在のNTTには何も起こらず、強敵ドコモは、現在のまま、「何かと制限を受け、動きが鈍くならざるを得ない『巨大グループ企業』の一部」であり続けて貰った方がよいのかも知れません。(現在のような「いいとこ取り」は困りますが…。)逆に、もし今回の私の投稿のようなものがもし匿名でなされていたとするなら、まず疑われるのは、「現在の持株会社の支配」に不満を持っていてもおかしくない、「ドコモの社員の誰か」なのかも知れません。こう考えると、何とも微妙で不思議な気持ちになります。

何度も問題の先送りを繰り返してきたNTTの構造問題は、いよいよ来年から再検討が開始されることになっています。(これは、ずっと以前になされた「政府与党の合意事項」です。) 「これに対応するために、NTTは既に政官界に万全の手を打ってある」ということも、風の噂に漏れ聞こえてきます。「日本の情報通信産業の将来を憂う一人のブロガー」としての私が、今とにかく強く望むのは、今度こそ「ごまかしの政治決着」を排し、あらゆる議論を白日の下にさらして、真に国民が納得できる決定を行って頂くことです。

そのためには、先ずは1996年に行われた議論の全てを再度検証し、事実誤認や間違った判断は、一つ一つ過去にさかのぼって正して、将来の禍根を断つことが必要であると考えます。

次回は、1996年の時点で強く論じられ、「持株会社方式による決着」の決め手になったといっても過言ではない「国際競争力」の問題にメスを入れたいと思います。

松本徹三