ダーウィンと神とイモムシ - 岡田克敏

岡田 克敏

「恵み深く全能の神が、イモムシの生きた体の中で養育するという明確な意図をもってわざわざヒメバチ類を造られたのだと、私はどうしても自分自身を納得させることができません」

 これはチャールズ・ダーウィンが友人に宛てた手紙の一節です(*1)。ヒメバチ類は他の生物の体に卵を産みつけます。孵った幼虫は宿主の体を食べて成長し、やがてその体を食い破って外に出ます。イモムシの体から数多くの幼虫が飛び出す光景はまことにおぞましいもので、映画「エイリアン」の、人間の体からエイリアンが飛び出す衝撃的なシーンそっくりです。


 以前、私の子供が野菜についていたアオムシを育てていたとき、突然幼虫が飛び出すのを見て食欲をなくしました。これはアオムシコマユバチで、モンシロチョウの幼虫に寄生します。(幼虫図鑑 動画・・・繊細な方には動画をお薦めしません)

 ダーウィンでなくとも、これが慈悲深い神が造ったものとは信じられません。体を食べさせてもらって成長し、最後に殺してしまう、まあこれ以上の恩知らずはないでしょう。

 ダーウィンの生きた時代、キリスト教は社会に強い影響力を持っていて、多くの人は幼少期から神の存在を信じ込まされていたと推測できます。ダーウィンがそこから逃れるのはきっと簡単でなかったのでしょう。

 現代なら宗教の影響力は小さく、ヒメバチを知らなくても、世の中の悲惨な出来事、戦争やテロ、病気や凶悪犯罪を知るだけで慈悲深い全能の神の存在を疑うに十分です。罪のない子供までが犠牲になる現実と慈悲深い神とはどう考えても整合しません。

 ヒメバチのように寄生虫は宿主に寄生し、自己複製をして広がっていきます。宗教も人間に取り付き、自己複製して他人に取り付き、世代や地域を超えて広がっていきます。そして一神教の歴史は戦争と殺戮の歴史でもあります。

 リチャード・ドーキンスは比喩の上手な人物ですが、彼は宗教を寄生虫、あるいはコンピューターウィルスに例えました。たいへん刺激的な比喩ですが、なかなか核心を衝いたものだと思います。もっともこの比喩はちょっとばかり顰蹙(ひんしゅく)を買いそうですが。

 巧妙に設計されたものは自己複製を通じて自動的に拡散していくわけで、設計者は継続的な努力が不要という優れたものです。2千年ほども昔に作られたプログラムが未だに命脈を保っているのは設計がよほど優れていたからでしょう。

 一旦寄生されるとその駆除はなかなか厄介です。功罪両面があるものの、所詮、宗教は人を騙すことなしには成立しないものであり、宗教組織は寄生拡大を推進するシステムです。それに対する非課税などの優遇措置は国がその活動をわざわざ支援するものであり、時代錯誤と言うべきでしょう。

(*1) R・ドーキンス「悪魔に仕える牧師」より

コメント

  1. courante1 より:

    筆者の岡田克敏です。
    今日は休日なので、少し趣向を変えた話題を出しました。アゴラの趣旨からちょっと外れるかもしれませんが、その点について、ご意見をお寄せいただければ幸いです。

  2. jota_shimazaki より:

    宗教は人間を駆動するOSのようなものだ、と15年程前から思っていましたが、このエントリの議論とちょっと似た感じだと思いました。 寄生という意味では、OSの裏に巣食うbotのようなもの、ということになるのかも知れませんが。 
    しかし、よくよく考えてみると、人間の文化も、私達の人生も、代々次世代の子供達を通じて時の流れの中を旅して行くわけで、それらのミームは「人間に寄生している」と言えなくもないように思います。 ですから、私は基本的には伝わって行く情報体の存在は肯定しています。 この辺りは松岡正剛さん http://www.kanshin.com/keyword/84461 の「情報と文化」 http://www.kanshin.com/keyword/225299 の影響です。 ただ、宗教に関して言えば、3001年宇宙の旅でクラークも書いていたように、将来的には有害なものとしてフェイドアウトして行って貰いたいものだ、と思っています。

  3. hogeihantai より:

    米国のイスラム原理主義者との戦争もパレスチナ問題が解決しない限り永遠に続きそうですね。長年、米国政府の対外援助の最大の対象国はイスラエルですが、米国はヨルダン川西岸の占領地へイスラエル人が住宅を建設することに表向きは反対しています。然し、イスラエル人の西岸への入植と住宅建設は今も続いておりイスラム教徒の怒りに火をつけています。

    先日BBC放送でこの問題を取り上げていましたが、西岸入植を金銭的に援助する組織が米国にいくつかあるそうです。彼らは全てユダヤ系米国人かというと、そうではなく普通のキリスト教米国人も多数いるとのこと。米国の調査会社PEW RESEARCH CENTERによるとイスラエルの建国によりキリストの再来が近くなったと信じる米国人は36%もいます。

    ヨーロッパの先進国ではキリスト教は日本の葬式仏教と同じく形骸化し結婚式と葬式位しか出番はなく精神的な拠り所ではなくなっています。米国は先進国のキリスト教国としては特異な存在と言うべきでしょう。極めて高い教育を受けた米国人でも宗教論争を振りかざし辟易した経験が何度かあります。彼らはとても真面目で善意に満ちているが故に中東に、そして世界に平和は来ないのではと悲観的になります。

  4. oh3ho より:

    確かに、科学でも分かる宗教を、宗教サイドが呈示しなければ不毛でしょう。科学も宗教もお互いあっての進歩が歴史でしたから、片方が否定され消え去るとすれば、新しい何かを作らなければならないでしょう。科学だけでは生きていけないと言うのが、最先端科学のテーマですから。
    現代をそんな風に捕らえると面白いですよ。

  5. docnosuke より:

    ほとんどの人間は目の前にある問題に対してその都度最善の策を考えられるほどの経験もキャパシティも持っていないので、何らかの思考のフレームワークに従って生きているだけなのかもしれません。

    知って知らずか、そういうフレームワークを欲しているのかもしれません。そうしないと必要な思考量に圧倒されて、生きづらいからです。

    私は科学者なので宗教的な考え方はともかく、信者たちの組織的な活動はまがいものだと思っていますが、宗教を熱心に信じる人々から宗教を奪っても、彼らはなんらかの別の考え方に洗脳されるだけのような気がします。さらに、騙す、騙されるという点の定義も曖昧ですね。

    信じることで生き易さを得ることが人間の本質的な性だとすれば、人類自体がその程度の存在だという、それだけのことなのかもしれません。

  6. oh3ho より:

    <<人間は目の前にある問題に対してその都度最善の策を考えられるほどの経験もキャパシティも持っていない。 人間の能力にキャパシティの限界などない。と考え、そのキャパシティを無限に増大させようとするのが、宗教なのです。 科学は、反対にその努力を放棄し、代わりに緩衝として思考のフレームワークを発明したので、やがて科学の進歩とは、フレームワークの脱皮にすり替わてしまうのです。どちらも人間の行為で根は同じなので、科学はフレームワークのない宗教を、宗教は科学のフレームワークを、つまりお互いを思いやれば上手く行くはずなのです。 先端科学にとってフレームワークのない思考は魅力的と思いますが…