尊皇開国は可能なのでしょうか? ―中川信博―

中川 信博

―保守自由主義陣営の問題点が浮き彫りに―

池田先生が桜プロジェクトへ出演された映像を再度見直しました。私は桜チャンネルを開局以来、応援しているのでそのようなバイアスがかかっていることをご承知の上、本稿を読んでいただければと思いますが、この議論の中に今の我国の保守自由主義陣営の問題点が凝縮されていると感じたのは私だけでなないと思います。

議論は『派遣切りという「弱者」を生んだもの』と題して司会前田有一さん、コメンテーター井尻千男先生、そしてゲスト池田信夫先生で行われました。


―失業が一番不幸な状態―

池田先生の論旨は、派遣切り問題の根本的原因について「正規雇用労働者の流動性を極端に抑える労働行政にあり、その極端な正規雇用労働者保護が非正規雇用労働者の雇用環境悪化の遠因となっている。そしてその解決には解雇規制の撤廃による雇用の流動性を高めるとともに、基本的には経済成長による労働市場の拡大が必要である」と解説しています。
―沈没するタイタニック号の中で椅子取りゲームをしているようなものと表現されています―

よって政策としては「失業をなくす、減らす」―失業率を抑える政策―こと。
そしてその戦略は

1 経営者の経営判断にまかせ解雇規制をなくすこと。
2 解雇された人々が再チャレンジに必要な社会環境(セーフティーネット)を構築すること
3 労働市場の流動性と補完性を高め、さらに労働市場を拡大(経済成長)させること

を掲げておられています。1について90年代にだらだらと続いた日本の「失われた10年」とアメリカのITバブル崩壊からの経済回復の相違を例に説明をされています。2については北欧諸国、特にスエーデンの事例を提示されています。3については「社内失業」という言葉と労働原資―企業からみれば労働力の仕入原価―がマクロで見れば―日本全体の統計で見れば―一定であるとして、―ここ15年くらいの統計で―社内失業者一人を解雇することにより、非正規雇用労働者が二人の雇用が創出できる―正規雇用労働者の人件費が非正規雇用労働者の倍かかるとして―と説明をされています。

―温情主義がにじみ出る戦後教育世代―

この意見に司会の前田さんが「今までかなり儲かってきたのだから景気が悪くなったからといってすぐに解雇というのはどうか」という意見を出します。これは国会でも社民党や共産党などが質問したように、左翼の常套意見ともいえます―蟹工船論法ともいえます―。これをにじみ出る温情主義と呼んでおります。

前田さんはチャンネル桜で司会をなされているくらいですから保守的な考え方をもたれているはずですが、しかし戦後教育の怖さで―私も同じですが―、こういう時のちょっとした考え方が極めて左翼的になってしまうのです。左翼は―当然私達も―いつでも目の前の不幸に対処しようとします。不幸な人がいれば助けようとします。しかしその助け方が枝葉をみて幹をみずなのです。

たとえば川があったとして上流からゴミが流れてきます。左翼は下流でそのゴミを一所懸命掃除します。一瞬川は綺麗になりますが、またゴミは流れてきます。当たり前です、上流でゴミが発生しているのですから、それを何とかしなければいつまでもゴミは流れてきます。その原因を取り除く間、川にはゴミは流れ続けますが、除去出来れば川はその後はなにもしなくても綺麗になります。

非正規雇用労働者の解雇問題では失業している状態の人を出来るだけ少なくすることが重要であると同時に、その受け皿である企業が延命することが第一条件です。そのための業績悪化予測解雇は致しかたない措置だと思います。この解雇する側とされる側のコンセンサスが「保守主義」あるいは「自由主義」という信頼関係だということだと思います。

目の前のかわいそうな―かわいそうかどうかの判断は難しいのですが―非正規雇用労働者の雇用を守る事が、しいては企業をつぶし、日本経済をがたがたにする危険性をはらんでいることに、目を向ける必要があると思います。そして失業という最悪な状態の人を出来るだけ少なくする為に、解雇条件の緩和をして経営者の自主判断に任せることが必要であることを認識しなければいけないと思います。

―なんとか日本的に解決できないものか―

それらをすべて了解された―同意された―上で井尻先生は「日本的やり方はないものか」と問いかけます。以前の大田区の町工場などで自然に行こなわれていた相互扶助などのように、ドラスティックに解雇という道ではなく、苦しいときは互いに我慢しあう文化が我国にはあったはずだ、そのように出来ないものかといいます。井尻先生は拓殖大学日本文化研究所で「新日本学」を学究されている立場でありますので、そのご発言は重みがあると思います。

井尻先生の経営者批判として「株式連動の雇用調整」という言葉を使いましたが、おそらく株価の下落が時価会計の現在では、直接P/Lに影響するので、業績悪化に対する、事前対策としての雇用調整が行なわれることに対してのことを指していわれたと思います。しかしこれは、今の会計ルールの中では致し方ないことでもあります。P/Lが悪化しますと現在日本の株式市場の50%近くを占めている外国からの投資が減少します。この減少がさらなるP/Lの悪化につながるので、経営者は外国人投資家へのパフォーマンスとして雇用調整をしなければならないという側面も大いにあると思います。―誰でも解雇はしたくないと思いますし、雇用調整をすることが雇用を守ることにもつながります―

それらの行為を総じて「株式連動」といわれたと思います。そして外国におもねず、日本の経営者は日本主導で何かできることはないか、すぐに解雇ということではなく、考えて我慢をして嵐が通り過ぎるまで待つことは出来ないのかということだと思います。

―じつはもっとドラスティックだった戦前から戦後すぐの時期―

池田先生の研究論文「情報通信革命と日本企業」を読みますと、戦前などはある意味資本主義の原理がドラスティックに日本企業に働いて、解雇やそれをめぐる労働争議が頻発していたとあります。そしてそうしたなかで大正時代の好景気が労働者不足とその引き抜きなどのため賃金が上昇し経営を圧迫します。その対策が労働者の囲い込み戦略で、いわゆる「終身雇用制」で、熟練工不足のため未熟練工の評価と賃金抑制目的で採用されたのが「年功序列賃金」と指摘されています。そしてそういう雇用戦略は当時の日本の経営者では少数派で、多くが株主による企業支配が普通であったと述べられております。そしてこれら「年功応序列賃金」と「終身雇用」は温情主義からではなく、あくまでも「算盤」から発生した対策だとも示されています。

―両者を結ぶ思想の確立が急がれます―

井尻先生などの日本的保守主義思想の方々―バーク的保守とは若干違うという意味です―と自由主義経済を標榜する経済学者の方々との溝がこの労働問題では顕著化することがわかりました。私は日本の伝統や文化を守るために欧米の啓蒙主義的流れにある程度一線をおきたいと思い、経済発展の為には自由貿易を守らなければならないとも考えております。

井尻先生が池田先生へ「池田さんは原理主義的過ぎるんだよ」と言われたのは象徴的で、自由主義経済の大原則は世界共通の原理の中で自由に経済活動をするということですから原理主義的な姿勢は当然だと思います。しかしそのルールつくりに日本がコミットしていないことが、日本的保守主義思想の方々には納得できないのではないかと思います。

それは80年代後半ホンダがF1に復帰して確固たる地位を気づいたにもかかわらず、度重なるレギュレーションの変更で最終的にはホンダを撤退に追い込んだことや、ノルディックスキー複合やジャンプでも同様に我国への執拗なレギュレーション変更によるバッシングで、その地位を奪ったことへの日本人の憤りに現れています。

私個人は井尻、池田両先生の主張はまったくもって正論であると思います。そして前田さんの心情左翼的なのは戦後教育世代の誰でもが持つ感情です。ですが、かすかにある溝がどうしても今回気になりました。

私達の真の敵は国連や我国中枢に入り込んだ共産分子であると思います。彼らは「人権」を振りかざし、「弱者を保護せよ」と叫びながら、我国の伝統と経済を破壊しようとしております。なにかこの溝を取り除く大きな思想で我国の伝統と自由貿易経済を守る必要があると思います。

追記
タイトルを「尊王」から「尊皇」へ変更
池田先生の論文名「情報通信と日本企業」を「情報通信革命と日本企業」へ変更
同PDFファイルへのリンク追加
H21.9.4 20:18

コメント

  1. 池田信夫 より:

    私の本の書名は『情報通信革命と日本企業』。上のリンク先にPDFファイルがあります。

  2. bobbob1978 より:

    よく日本的保守主義思想の方々が「日本の伝統」を口にしますが、彼等は情緒に捕らわれ「真の日本の伝統」を理解していないような気がします。
    日本が戦後の一時期を除き独立を保ち続け、独自の文明を築くことが出来たのは日本が世界の情勢に合わせて自らを変化させ続けてきたからです。
    世界史を学べば多くの国が興っては滅んで行ったのが判ります。彼の国々は古いシステムを変更することが出来ず、新しい時代に対応出来なかったから滅びて行ったのです。
    一時期「日本人の猿真似」が揶揄されたことがありますがこれは恥ずべきことではありません。他者のよいところを取り入れ自己進化し続けたからこそ、1400年以上に渡り他国に支配されず、また国が連続性を失うような革命を経験することなく日本は続いて来たのです。

  3. bobbob1978 より:

    この「自ら変化し新しい時代に対応する柔軟性」こそが日本の真価であり、「真の日本の伝統」です。
    日本的保守主義思想の方々は日本の伝統など理解していないのです。彼等はただ新しい時代に付いていけないだけの懐古主義者に過ぎません。彼等に付き合って古いシステムを墨守し続けると、それこそ国の連続性を脅かすような革命を引き起こしかねません。
    現在は日本の真価である「自ら変化し新しい時代に対応する柔軟性」を発揮し、新しい国へと自己進化すべきときなのです。新しい時代に付いていけない老害たちにはさっさと退場して頂きたいものです。

  4. hogeihantai より:

    >両者を結ぶ思想の確立が急がれます

    池田氏は御自身のお考えを述べられています。‘日本的保守主義思想’の方達の対案はあるのでしょうか?是非お聞きしたい。それが無い限り‘結ぶ思想’なるものは生まれないと思います。

    >真の敵は国連や我国中枢に入り込んだ共産分子

    冷戦が終わって20年になります。我が国の中枢に共産主義者がいるのですか。弱者を保護せよと農業や地方にばら撒きをやってきた自民党も共産主義者ということですか。風車に突進と叫ぶドンキホーテのようですよ。

  5. jnavyno1 より:

    池田先生
    中川です。ご指摘有難うございます。早速PDFにリンクを張らせて頂きました。

    桜の件は前田さんが問題の本質をいまひとつ理解しておらずに原則論に終始されたことはいささか物足りないと感じました。―前田さん言い人なんですが―

    雇用問題は国民を含め私達も臨機応変に対応してきていることに遠因があると感じています。

  6. jnavyno1 より:

    >bobbob1978さん

    >懐古主義者に過ぎません。
    私もそうかもしれません

    >「自ら変化し新しい時代に対応する柔軟性」
    そのために統治に対するコミットメントが必要だと思います。

  7. jnavyno1 より:

    > hogeihantaiさん

    中川です。コメント有難うございます。またご指摘に感謝いたします。

    >自民党も共産主義者ということですか。

    共産主義とは言い切れませんが、集産主義とはいえるかも知れません。アメリカでは自民党を中道左派、民主党を左派とみている報道が散見されます。

    今回の選挙で私達はソフトサヨクとサヨクの選択肢しかなかったように感じます。池田先生の下記論考は正鵠を得ていると思います。
    http://agora-web.jp/archives/734522.html

    今我が国に必要なのは保守主義政党であると思っています。

  8. sutshi330 より:

    この記事が書かれる前にYoutubeで既に観ておりました。そのときに感じたことを書きます。
    クズみたいな番組ですが、経済を分かろうとしないご老人や情緒的な一般の方と、単なる正論を述べる池田先生の間に横たわる埋めがたい溝を戯画的に表していて、ある意味で楽しめました。
    経済政策に関わる対立ですらなく、左に座る白髪のご老人は「理屈はどうでもいいけどとにかくアメリカの真似は嫌だ」と言っているようにしか見受けられませんでした。
    また、『アマルフィ』に90点を付けるような映画評論家の知性を私は一片も信頼しません。
    そういう類のコンテンツは無視するか、とことん馬鹿にするのが正しい反応ではないかと存じます。風刺文化が圧殺され、何事も真面目に批判するのが是とされる日本ですが、さすがに記事を書くほどの価値はないでしょう。

  9. jnavyno1 より:

    >sutshi330さん

    中川です。コメント有難うございます。
    >経済を分かろうとしないご老人や情緒的な一般の方と、単なる正論を述べる池田先生の間に横たわる埋めがたい溝を戯画的に表していて、ある意味で楽しめました。

    井尻先生は日本経済新聞社出身で経済問題にも詳しいと思います。英国流の自由主義と米国のそれとが同根ながら違うように、日本のそれもそうありたいということだと思います。

    前田さんの情緒的なところは本文に書きましたが、戦後教育のなせる業です。思考の中心に抜きがたいマルクス思想があり、こういう自分の身近な問題になると、自己中心的に―エゴイズム―なります。

    国益とか自己犠牲の尊さとかを理解しているのですがが、血肉になってないので、このような問題を判断するときにそれが露呈してきます。

    私なども「先生と呼ぶな」とか「天声人語は読んでおけ」と言う教師に薫陶を受けましたので、基本的に同類です。

  10. shlife より:

    おっしゃっているところの根拠が分からない部分があります。
    以下の書籍の観点からは、どのような分析になるのでしょうか?

    右であれ左であれ、わが祖国日本 (PHP新書)
    船曳 建夫 (著)

  11. jnavyno1 より:

    >shlifeさん

    中川です。コメントありがとうございます。

    当該書籍拝読します。

  12. kakusei39 より:

    私は、この放送を幾度か繰り返し見て、次のように思いました。

    私が高校時代の歴史の先生から聞いた話なので本当かどうは横に置いて下さい。
    元寇の時に、元の上陸軍を迎え撃った日本軍は、それまでの戦の礼儀の通り、「やあーやあー、近からん者は音にも聞け、遠からん者は目にも見よ。我こそは・・」と名乗りをあげてから敵に向かおうとしたが、名乗りを上げているところに、矢を射掛けられて、次々と倒れていった。遂に日本軍は、名乗りをやめて敵に向かうようになった。

    中川さんの分類だと、この元軍のやり方は、日本の伝統にはないものであり、恐らくは、名乗りを止めて直ちに攻撃せよと命じた将は、日本の伝統を破った人なんでしょう。そして、井尻さんは、伝統を破らないで対応する方法はないのかと言ってる訳です。

  13. kakusei39 より:

    (承前)日本の伝統は、名乗りだけにあるわけではなく、種々のところに存在する訳ですから、名乗りなしの戦いにも、日本らしさは見出せるはずで、大事なことは、元軍に国土が蹂躙されないようにすることのはずです。

    チャンネル桜のお話も、まず企業が国際競争に勝ち残れないと、日本国民は皆不幸になるのですし、失業者が大発生するのですから、ことの本質を考えれば、過去の企業に福祉を負担させる方式が、存続できない時代に来ていることをまず認識すべきです。その上で、例えば、セフティネットに日本らしさをどう生かせるかを考えるのが、社会学者のすべきことであり、単に日本伝統を守れなどの話だけなら、神主で十分だと思います。

    国際競争というどちらかといえば数字で決まるゾーンに、文化を持ち込み解決策を考えるから、荒唐な話になります。私は、右の方々の勉強不足が非常に気になります。彼らの話を聞いていると、鎖国しか無いように思います。

  14. jnavyno1 より:

    >kakusei39さん

    中川です。
    >私は、右の方々の勉強不足が非常に気になります。

    少なくとも井尻先生は問題の本質を理解しておられると思います。明治以降の開国の波、特に戦後の米国追従がまったくの日本的解釈がなされていないことへの不満だと拝察しております。

    「宇内(うだい)」という言葉は「世界」のことですが、日本の建国の理念は「八紘為宇」。意訳すれば世界恒久平和と言うことになると思います。

    そのために他国を侵略するのではなく、先進国であった、隣国の制度や文化を積極的に取り入れて、一つの融合文化圏を創ろうとしたのではないかと考えています。

    そうしてその文脈の上に、さらに西洋近代を取り入れるため、五箇条の御誓文を發せられて開国しました。しかし敗戦後はこれらを忘れ、ただ自国を否定し、他国を賛美し、何も解釈せず流されるままに他国の制度を模倣することばかりになってしまった、我が国の現状が今日ではないでしょうか?

    変化することを忘れ、進歩しようとして歴史を捨て去ること、模倣に明け暮れ何も努力しない、考えない国に未来はやってくるのでしょうか?

  15. kakusei39 より:

    井尻さんの発言を再度読み直しましたが、理解しておられないですね。

    「OECDはじめね、そのー、グローバル・スタンダードというものを追求することがいいのか、ね、そう、それを超えた日本的システムを構築するかというね。そういう選択の中で我々は悩んでるんで、・・」

    と言うのが池田先生の正社員の解雇条件緩和に対応する話として出てくる訳でして、正社員と非正規社員がなぜ発生しているのかすら理解できていないから、話がかみ合わないのです。

    >何も解釈せず流されるままに他国の制度を模倣することばかりになってしまった、我が国の現状が今日ではないでしょうか

    終身雇用、年功序列賃金、企業内組合、完全に日本オリジナルでしょ。それが時代に合わなくなっているから苦しんでいるのが分かりません?

  16. kakusei39 より:

    (承前)
    >敗戦後はこれらを忘れ、ただ自国を否定し、他国を賛美し、・・

    なぜこうなったのかお考えになってます?戦争に負けたからですよ。誰が、負ける戦争をやったのでしょうか。やり始めた連中を賛美し、負けてねじ伏せられて洗脳された連中を非難する・・こう言うのを倒錯というのじゃないでしょうか。

    将校などの職業軍人は5万人いた。敗戦を悔いて自死を選んだ人は5百人と聞く。「俺が対米戦に引き込んだのだ」と勝っている時に自慢したと言う石川信吾少将は、昭和39年71歳の天寿を全うした。インパールに白骨街道を敷いた牟田口廉也中将は昭和41年78歳で安らかに永眠。「ただ自国を否定」せざるを得ない状態を作ったのは誰かを忘れてはいないだろうか。

    右の論者の不勉強が気になる。

  17. jnavyno1 より:

    >shlifeさん

    中川です。

    右であれ左であれ、わが祖国日本 (PHP新書)
    船曳 建夫 (著)

    を拝読いたしました。書評はブログにでも書きますが、感想です。

    P188
    >これまでの中華思想的行動原理には「侵略」はないのです。帝国は属国を支配しても侵略したりしない。属国を中国の直轄する版図に入れても、責任が増えるだけで利益をもたらさないのです。略

    中国はその北と南、東に向かっては、ここに二千年、漢王朝以来、その領域はほとんど変っていません。その後西の砂漠地帯とチベット高原に版図を広げましたが…略

    日本は日中戦争以前から、中国を侵略していたので、そのことに対する恨みは、別に江沢民が反日教育をしようとしまいと、中国には課題として残っています。< 東大の教授に失礼ですが、ちょっと論説が変なのではないですか。「中国には侵略はない。あるのは版図を広げる行為だけだ」「ここ二千年領域は変ってないが、砂漠とチベット高原に版図を広げた」 チベットの人が聞いたら、怒りますよ。これ。 一方日本は「侵略した」と断言してる。根拠はなんだろうか。版図を広げた中国は侵略してなくて、日本は侵略した。 理解できませんね。「右であれ左であれ、わが祖国中国」の間違いではないですか?

  18. jnavyno1 より:

    >kakusei39さん

    中川です。ご指摘有難うございます。

    >なぜこうなったのかお考えになってます?戦争に負けたからですよ。

    おっしゃるとおりです。ただおっしゃっている議論と私は、おそらく少し違うニアンスで言っていると思います。

    よくドイツがなぜソ連に攻め込んだのかと問う方があられますが、それはそれが宿命だからです。宿命と申しますとやや大げさなので、主目的だったのです。それらを予告したのがマッキンダーであり、解説しましたのがスパイクスマンです。

    では日本は?秋山真之は米国留学時、マハン提督に師事します。マハンの「海上権力史論」は当時も今も米国の安全保障政策の基本をなすのもです。秋山真之は帰国後のレポートで米国の太平洋覇権企図を指摘します。そして近い将来米国との戦争を予見します。米国は日露戦争後すぐに仮想敵国を我国においた「オレンジ計画」を作成します。

    地政学的見地より見ればこの二つの戦いは必然であり不可避だったのです。不可避の戦争をやや不統一の戦略で戦わざるを得なかったのです。その真因は世論の不統一です。それはソ連によってもたらされました。

  19. kakusei39 より:

    釈迦に説法でしょうが、「オレンジ計画」は、アメリカの対外軍事政策の「レインボー計画」のオレンジ編にしか過ぎません。イギリスを仮想敵国とした「レッド計画」もあったわけで、仮想敵国を想定して軍事的準備をするのは、どの国も当然のことです。

    もし、それが必然ならば、日本はソ連を仮想敵国として軍事を整えてきた訳ですから、なぜソ連に攻め込まなかったのですか。またもやソ連の謀略ですか。田中新一中将のやった関特演の中止も謀略なのでしたら、証明してください。

    もし、対米開戦が歴史の必然なら、自虐史観も歴史の必然になるはずです。開戦はやもうえなかったとしながら、占領下で洗脳された人達を罵倒するのは如何なものなんでしょうか。

    私は、満州事変以降それ行けと戦線拡大を、陛下の裁可も受けず不法にやってきた果てに、思わざる結果として、開戦しか選択の余地のない状態になったと思っています。歴史の必然なら、仏印南部進駐がなぜ必然なのかを説明して下さい。

  20. shlife より:

    議論を続けるには、根拠や理由の説明が必要です。

    必然、当然 などの断定する言葉は注意して使ってください。使うからには、了解できる妥当性が求められます。(単に確率の問題ですが....)

    「策略」はわかりにくいです。
    人に心があれば思いが生まれます。意外と重要で、策略・策謀は、自身・家族・国などの欲望や自己中心性の総称といえるかも知れません。 
    ただ、理由を策略とするのは論点が見えにくくなります。