―失敗体験―
私は1995年Windows95と同時にインターネットの可能性を信じて起業しましたが、2年であえなく失敗をしました。ビジネスモデルは単純でインターネットでカー用品を売って、ガソリンスタンドで受け取ってもらうというものでした。―取り付けが発生するのでスタンドも多少儲かる仕組みです―
―インターネットの創世記―
当時のインターネットは一方向のメディアでした。プロバイダーも少なく、個人で起業した若者―私と同年代です。当時はサーバー3台位で3千人位の会員の接続と課金が出来ました。―同時ではありませんが―
投資金額は1000万程度です。会員3千人位で3年で初期投資償却が標準ではなかったかと思います。
80年代は電話ビジネスが大変革を遂げ、フォーバルや光通信等の電話機販売会社が低価格競争と顧客囲い込みで実績を倍々に伸ばしていた時期でもあります。そして90年代に来た第3次通信ブームくらいでしょうか、56Kモデムでビィービィー繋いで電話代が月数万になって社会問題化していました。20代~30代前半の若者―ちなみに私は30代前半―はインターネットの可能性にわくわくしたことを記憶しています。
当初大手ベンダーはプロバイダーというものに理解あまりなかったと思いますが、PC本体の販売とプロバイダーとのセット販売でどんどん顧客を獲得して、2000年以降は富士通、NTT、NEC、ソニーなどの台頭で、ほとんどの起業プロバイダーは設備投資が出来なかったのと、低価格化に対応できず、廃業か吸収で姿を消しました。
―私もこのころインターネット起業プランでサーバーを提案していましたので記憶していますが、インターネットサーバーやルーターは数百の同時セッションに対応してませんので、顧客が増えた分だけサーバーも増やさなければならないのに、資金不足でそのまま放置していましたので、夜中などつながらないことが多くありました。トラブルではなくセッションの絶対数不足です―
―ADSLの登場が劇的にビジネスを変える事に―
ビデオメディア戦争がVHSの勝利に終わったのは何も松下の戦略的勝利ではなく、3倍での速録画時間がベータより長かったのと、アダルトビデオがVHSを使っていたので結局ビデオレコーダーの選択に男性の意向が大きく働いた結果です。
インターネットの普及もほぼ同様でADSLの普及にはアダルトサイトの影響なしには語れないと思います。それまで写真だったものが動画になり男性のささやかな楽しみとしての空間がネット空間でありました。技術的にはネスケとアイイーの問題がアイイーの勝利に終わり、ブラウザ技術はムーアの法則以上の速さで進化しました。MMXからペンティアムなどのCPUハードウエア技術の進歩はマルチメディア処理技術の進化ともいえます。
―温故知新―
Perl(Practical Extraction and Report Language)をLarry Wall氏が開発したのが1987年でありますが、この言語がインターネットの可能性を大きく広げることを誰が予想したでしょうか。Perlにより記述された「掲示板」技術は一方向メディアであったホームページを双方向にしました。UNUX系OSのAPACHE上で動作しましたのでホームページ上に設置しますと、ほぼリアルタイムにやり取りが出来ました。2チャンネルの誕生です。
―もともと啓蒙主義的空間だったのでは―
2チャンネルには多くのユーザーが集いました。彼ばかりではなく彼女も集いました。彼ら彼女らはリアル社会で国家や地域社会、会社、学校、家族などといった伝統的コミュニティからある意味はみ出してしまった人たちでありました。インターネット掲示板は、そのはみ出し男女の匿名による自己実現の場となったのです。男性の癒し空間が彼ら彼女らのコミュニティへと進化しました。
彼ら彼女らは掲示板で自らが持つ、知識や情報、技術、評価などを掲示板の向こう側のユーザーに伝えます。掲示板を通じて議論して、賞賛や憎悪といった感情も掲示板を通じて伝えます。彼ら彼女らはこの空間によって伝統や性別、年齢などといった「しがらみ」から解放され、インターネット区間で解放された自「己」を表現します。その空間には神も仏もなくあるのはインターネットにアクセスしている「己」である自身だけです。伝統文化、国家社会から自立した「己」が出現したのであります。
―匿名(ハンドルネーム)が前提であった掲示板―
伝統や社会から解放された個人はインターネット上のハンドルネームで第二の自己を実現します。リアルな自己は落ちこぼれであったり、いじめられっこであったり、恋愛におくてであったり、逆に社会的に認められており、本音をいえない環境であったりとなんらか逃避したい環境にあったのではないでしょうか。ですからインターネットの匿名性とは匿名ではなく実は本来の自分自身であり、リアルな自分が匿名なのかもしれません。ですから私達にとって匿名でも彼ら彼女らにとっては本名であり第一の自己であり、ほんとうの姿の体現なのかも知れません。
(続く)