何年か前にWikiとネットで喧嘩した。売り言葉に買い言葉で、どんどんエスカレートした。今でも僕の項目は編集にロックされている。知り合いの人は、自分でWIKIを書くのが良くないということで、友達に頼んで自分のWIKIを書いてもらっている。ほとんど自作自演の茶番劇みたいなものである。僕は、それは偽善であると思った。書くなら自分で書こうと思った。
「そんなに文句があるならマスコミに言ってみろ」と管理人か誰かに言われたので、週刊誌やテレビ局、NET NEWSなどに、いかに日本のWIKIを運営している人たちが腐っているかを話した。その結果はいまでもグーグルに出てくる。彼等は、そんなにニュースになるとは思っていなかったようだ。
その次に、「本国のWIKIの代表に言いつけてみよう」と、「シンポジウムするから来ませんか」と誘ったら、出てくれた。話を聞くと、アメリカの代表はまともな人であった。私はそのときに、変なのはWIKI本体ではなく、日本のWIKIを運営している人たちだということに気が付いた。そして、馬鹿らしくなって、そいつらとやり取りをすることをお休みしている。グーグルした結果を引用するだけで記事を書く人たちなので、中身が間違っていて、浅い、薄い、軽すぎる。今度、挑発されたら、また受けて立ってもいいかなと考えている。
僕たちの世代は新聞や本の「活字を信じるな」といわれて育った世界である。それが今ではネットになった。「ネットに書いてあることを信じている人はいない」と思うのは僕だけではないと思う。いいWEBもあれば、悪いWEBもある。今のネットは単一のWEBの全体集合だけでなく、WEBとGOOGLEがセットになっていわゆるWEBとして利用されている。そしてミニグーグルとミニWEBがWIKIではないか。だからWIKIはどこまで言ってもマイナーな存在であり続けるであろう。
問題はWIKIがPEDIAという接尾を使って、いわゆる百科事典のようなふりをしていることにあるのではないだろうか。その意味で、僕は昔2チャンネルのことを「便所の落書きみたいなもの」といったことがあるが、WIKIは「真実と嘘と無知と偏見と嫉妬と虚栄が混じったネットの肥溜みたいなもの」ではないだろうか。そして、それが日本にだけ起こっている現象であるということが残念である。
コメント
>僕たちの世代は新聞や本の「活字を信じるな」といわれて育った世界である。
僕は西さんの1つ下の世代なんですが、無意識に
「本屋においてあるものはすべて正しい」と思ってしまう人間でした。
新聞も長く「間違いはしない」と思われてきたのではないでしょうか。
新聞とテレビしか見ないと、どうしてもそうなってしまうと思います。
いまはネットが発達して玉石混淆というか、「自分でよく見て、
自分の頭でよく考えないとダメだよ」という気運が日本でも出てきた
ような気がします。アゴラに期待しております。
Wikipediaはノイズが多くソースとして使えませんが、知らない専門用語を大まかに捉える意味では役に立ってると思いますよ(学生には論文を読むように言いますが)。
人物の項に関しては仰る通り変ですね。客観性のために張本人よりゴシップ好きで低俗な輩を優先してるようなものですから。名前で検索すると公式HPより上にWikipediaが表示されるのは何とかしてもらいたいです。
確かにネットに書いてあることは信憑性に欠けますね。
ネットの記事の中には、著者がテレビを観て得た知識をさも正しいように書いてある場合がある。
さらに、1つの物事を10の話題に膨らまして書いてあるものも多くあります。
やはり今、面白いのは、現場にいる記者が熱を込めて書いたものであると思います。
2chの場合は、一貫して、便所の落書きのようになる傾向がありますけど、Wikiは執筆者による見解の揺れが少ない、自然科学系に限って言えば、十分百科事典としての機能を果たしていると思います。
仰るとおりに、人によって見解の揺れる社会科学や時事的なもの、人物のページでは、信憑性が微妙になる場合もありますけど、それでも一部がデマだから、全体が信用できないというのはどうかと。
読む側の人間が個別に信憑性を判断すればいいだけのことですし、それはどんなメディアであっても変わらないと思います。
ただ、clydemenderさんが言っているように、自分で判断できない学生や、子供に読ませるのは問題があるかもしれませんね。
百科事典ではなく、テレビや新聞と同等の信憑性しかない、ゴシップだという認識は必要でしょうね。
>わたしもこれまで何度かWikipedia批判を書いてきましたが、わたしが批判する以外、
>どこからもWikipedia批判が聞こえてこないので、Wikipediaの偏向は限定的なのかとも
>思っていましたが、そうではなく、世界中に拡大していたわけです。
>しかしWikipedaの偏向は、そもそもその形態そのものに由来している、
>というべきだろうと思います。発行所はもとより、管理責任者も特定されず、
>誰でも何時でも勝手に書くことができるという、何もかもが勝手放題にできる媒体です。
>Webゆえに可能だとはいえ、全てが匿名、誰も、どこも責任はとらぬという無責任体制の
>無政府的メディアです。不正や捏造や偏向が蔓延しても不思議はありません。
>
>当社もWikipediaに捏造記事が掲載されています。当社の営業妨害を意図したものであるのは
>明らかですが、この捏造記事の責任は誰がとるのか。どんなウソ八百を書いても、
>誰も責任を負わぬ、問われぬというのがwikipediaの最大の特徴です。
http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/shinbun-ashi-10.htm
ヤフーの馬鹿サーファー(トピック編集者)が、
参考情報リンクとして、
臆面もなくWikipediaの項目を指定しているのは、犯罪的でもある。
「スポーツ報知」等が、用語解説のリンクとして
フレッシュアイペディア(Wikipediaの最新編集版)を貼り付けているのは、
到底看過できない。言論機関の死である。