小沢幹事長の自重を望む - 松本徹三

松本 徹三

小沢さんが、高野山で日本仏教会の会長と会った後、記者団に対し、「キリスト教やイスラム教は独善的で排他的だ。このために欧米社会は行き詰っている。これに対し、仏教は度量の広い宗教だ」と語ったと報じられています。これは「日本政府を実質的に支配している」と見做されている政治家の発言としては、まさに「驚天動地」と言ってもよい程のものです。


小沢さんが、哲学者、作家、評論家なのだったら、別に何という事はありません。一歩譲って、野党の指導者なのなら、まあいいでしょう。しかし、一国の政府を代表する人の発言としては、完全に常識外です。文明諸国の間では、他国民の精神的支柱(特に宗教)に対する直接的な誹謗は、たとえ相手が敵対する国であったとしても、やらないのが普通だからです。

「小沢さんは党の幹事長であって、日本政府を代表する立場ではない」と言われる方もいるでしょうが、それは形式的なことに過ぎません。

米国政府だって、普天間基地問題等についての日本政府の閣僚間の発言が一貫せず、一方、首相の発言は概ね抽象的なものに終始している現状に当惑しきっているのですから、「現在の民主党政権においては、物事は最終的にどのように決まるのか」ということについて、色々と勉強しているのは間違いありません。外交であっても、日常のビジネスであっても、難しい状況になれば、「誰がキーマンか? どこをどのようにつつけば解決の糸口が掴めるか?」と考えるのは当然だからです。

私は何も「普天間基地問題についても小沢さんがキーマンだ」などと言っているのではありませんが、一般論として、日米関係の先行きについて不安を感じ始めた米国政府が、「何事によらずキーマンであるに違いない小沢一郎という人物の事を、この際もっと知っておく必要がある」と考えているのは、容易に推測出来ると申し上げているのです。

恐らく、日米双方を知っていると目されている多くの人が、「一言で言えば、小沢とはどういう人間か?」ということを、今、米国政府の要人達から聞かれていると思います。そういう時に、この発言が当の小沢さんの口から飛び出したのです。あまりにもタイミングが悪かったと言わざるを得ません。

「一言で答えろ」と問われた知日派米国人の誰かが、「小沢という人物は、かつての自民党において『キングメーカー』として君臨した『老獪なマキャベリスト』だ。長らく不遇だったが、人材の少ない民主党で次第に頼りにされるようになり、今回の選挙を大勝利に導いた事で、遂に『政権党を実質的に支配する』地位を得た。キリスト教や欧米文化に対しては攻撃的だ」と答えたとしても、止むを得ないでしょう。そうなると、読み手の心には、最後の一節だけがズシンと響くでしょう。

欧米人には、「敵か味方か」を性急に識別したがる傾向がありますから、かつての鳩山論文も相当過剰な反応を生み出しました。鳩山論文については、「何が何だかよく分からない」というのが全体の印象であったのに対し、今回の小沢発言は、直接的に、且つ強烈に、キリスト教そのものを批判しているのですから、これはもう、はっきりと「俺はお前らとは別の価値観で動く人間だぞ」と言っているに等しいと言えます。欧米人にとっては、「別の価値観で動く人間」は、「敵」に極めて近い存在です。

今回のオバマ大統領の訪日で、日米間では表向きには友好関係が演出されていますが、米国政府の心の底にある警戒感は、残念ながら、この事で相当に深まるでしょう。

小沢さんの心の中は来年の参院選のことで占められており、今回の高野山訪問も、「これまで自民党と関係が深かった日本仏教会の切り崩し」が目的だったと思われます。政治家は誰でも、会った人の心を掴んで味方にしようという本能が身についており、能力のある人になればなるほど、しばしば必要以上のリップサービスをする傾向がありますから、今回の発言もその流れだったのだと思います。しかし、現在の小沢さんの民主党の中での力と、日米関係の現状を考えると、ここはもう少し自重して欲しかったというのが、正直な気持です。

宗教というものは、もともと独善的なものであり、特にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教といった一神教にはその傾向が強いのは事実ですし、そのことが世界の多くの紛争の根源であるというのも、一つの頷ける見方です。また、同じキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の中にも、色々な流派があり、お互いに批判しあったり、露骨に憎みあったりしているのも事実です。イスラム教におけるスンニ派とシーア派の血で血を洗う争いは広く知られていますし、キリスト教の内部にも、カトリック、プロテスタントを問わず、多くの批判勢力があります。

しかし、これらの宗教の何れもが、長い歴史の中で数多くの人々の心の内を支配してきた強い宗教ですから、それぞれに部外者には読み取れないような「幅」と「奥行き」、更には「深み」があります。その内容を良く知らずして、その宗教そのものを安易にコケにする事は、当然慎むべきでしょう。

たとえば、先の大戦後に、「『今、在るがままに在ること』が全てに優先する」と考える、非キリスト教的な「実存主義」が多くの人達の心を掴んだ時にも、カール・ヤスパースや、オルテガ・イ・ガゼット等の哲学者達は、「実存主義的なキリスト教信仰」ということを、熱く語っています。これはキリスト教の「幅の広さ」を示す一例です。

小沢さんの言葉の中で更に問題だったのは、「イスラム教はキリスト教よりはマシだが…」という言葉や、「その為に欧米社会は行き詰っている」という言葉です。こういう言葉を聞いて、カチンと来ない欧米人は先ずいないでしょう。

前者については、「キリスト教と仏教の優劣について日本人が語るのなら、まあ耳を傾けても良いが、キリスト教とイスラム教の優劣について日本人が語るのは、噴飯ものだ」と思うでしょうし、後者に対しては、「現在の日本社会がどんなに立派なのかは知らないが、欧米社会が抱えている精神的問題の原因について、日本人に説教してもらう必要はない」と反発するでしょう。

過ぎた事は仕方ありませんが、今や日本の権力構造の中で最高の地位を得たに等しい小沢さんには、今後は、選挙だけではなく、国益の事も深く考えて頂き、何事によらず慎重な言動に徹して頂くことを、切に望む次第です。一つの党が選挙に勝つために、日本の国益が失われて良いわけはありません。

コメント

  1. Piichan より:

    多神教の典型とされる神道にしても、特に、神社神道は、伊勢神宮・天皇を頂点にした一神教と化しているともいえます。国家神道が戦争に加担してしまったのは皆さんもご存知かとおもいます。

    必要なのは他者の信仰を尊重することであって、宗教の優劣をつけることではないでしょう。

  2. ismaelx より:

    欧米の軍には従軍神父や牧師がおり、本国の教会では戦勝を祈ったり、戦死者に黙祷したり、出征した軍人の家族のための催しがあります。
    宗教が戦争にかかわることは、どの国でもあたりまえのことであって、特異なできごとではありません。

  3. fk2002742 より:

    松本さんの意見には全く賛成です。

    仏教といってもいろいろありますが、「学問(広義の)」で世を治めようとして精神主義に陥って葬式以外に出番がなくなったことにも耳を傾けてほしいものです。

    動的平衡といいますか、何かムーヴメントを興してほしいです。ヨーロッパは宗教と芸術と官僚・政治家が一体なので多少の貧困でもバッファーとして働くのですが・・・

  4. short_faced_bear より:

    居酒屋レヴェルの宗教観、ステレオタイプのキリスト教観、イスラム教観、仏教観。信仰を追究した人ならこの発言がいかに浅墓なものか直ぐにわかるでしょう。この程度のリップサービスで動くのかな心が。
    松本さんの文章にその方面の造詣の深さが見えます。

  5. dachsies32 より:

    高野山の日本仏教会会長って、積年(far over millennium)の対立を超えて天台座主との和解を果した人ではなかったでしたっけ?
    他宗を貶めるような発言をされた小沢さんに対しては、寧ろ軽蔑の念を抱いたのではないかと、、、

    それと、昨夜の小沢さんと記者団とのやり取り。小沢さんが主張しように仏教徒って死ねば皆仏陀になるのでしたっけ?俗語として死ねばホトケですが、それも語源は警察用語だったような、、、(不幸な死に方をした人を悼む気持ちから)。
    浄土真宗ですら、阿弥陀様が約束したのは極楽浄土に連れて行くという事だけで、即仏陀になるということは意味しなかったと理解していたんだけどなぁ。

  6. minourat より:

    > 浄土真宗ですら、阿弥陀様が約束したのは極楽浄土に連れて行くという事だけで

    大無量寿経の十八願には「十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念(すべての人々が心から信じて、わたしの国 に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して)」とあります。 ここで大切なのは、 阿弥陀仏の救いを心から信じるという条件です。

    親鸞はこれをさらに簡略化して念仏は一回でもよいとしています。 実は、 阿弥陀仏というのは仏法の真如を表わす方便仏でして、 大切なのは仏法を受け入れて生きるということです(死んでからのことではありません)。