温暖な気候と四季の変化に恵まれた自然条件、犯罪の少ない安全な社会、世界の中では高水準の所得や医療体制、トップレベルの平均寿命、これらは日本の特色と言えるでしょう。国連開発計画(UNDP)が発表した国民の豊かさを示す指標では、09年日本は8位から10位になったものの、まだまだ上位にランクされています。
イザヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言いましたが、これは世界における日本の恵まれた状況を表しています。灼熱や酷寒の国、生命が危険にさらされている国、世界には厳しい条件の国がいっぱいあります。
ところがOECDのFactbook2009によると、日本人の主観的幸福度は34カ国中、下から9番目という低さです。ヨーロッパ諸国が上位を占めるのはわかりますが、日本はロシア、韓国、ブラジルにも及びません。また別の調査もあります。
「33カ国の人に、自分の国の評判はいいと思うか、と自己採点してもらった。すると困った日本。最下位である。ロシアも中国も南アもみんな上だ」。
これは10月9日の毎日新聞「発信箱」の米レピュテーション・インスティテュート社の調査を紹介した福本容子氏の記事です。記事中の「自分の国の評判はいいと思うか」というのは他国から見た評判と誤解しそうな表現ですが、自己採点とあるので、日本人は日本国をもっとも低く評価しているという意味だと思われます。
これらの調査結果は、日本は主観的幸福度も、国に対する評価もたいへん低いということを示しています。この両者は密接に関係していると考えられます。
国民の豊かさを示す客観的な豊かさの指標と主観的な幸福度・国に対する評価になぜこんなに大差があるのか、実に不思議です。主観的な幸福度は言語の差もあって、所得統計などに比べると客観性に劣りますが、それでもこの大差は注目に値します。
日本の経済が低迷する一方、貧困率が高くなり、閉塞感が社会を覆っている。腹黒い官僚や大企業が甘い汁を吸い、正直な一般国民は割りを食わされている。こんなイメージが広く浸透しているのではないでしょうか。
多分、十数年前の国による国民生活調査だったと思いますが、国民の幸福感は景気の悪いときに上昇し、逆に景気の良いときに下がるという結果が出ていました。これは景気の悪いときには暗い話が多く報道されるために、自分の境遇が比較的恵まれたものに感じられることから説明できると思います。他人の不幸は蜜の味というわけです。景気の良いときは逆のことが起こると考えられます。
幸福感は絶対的な生活水準によって決まる部分もありますが、相対的に決まる部分が大きいと思われます。自分自身の過去との比較、周囲の人間との比較、他国との比較によって規定されるわけです。それに加え、我々がどんな国、どんな社会に住んでいるかという認識も大きい要素だと思われます。
我々が社会の状況を直接認識している部分は僅かで、大部分はマスコミ報道を通じた認識です。つまり我々が認識しているものの大部分はマスコミが制作したイメージです。例えば治安の問題では、犯罪が大きく減少しているにもかかわらず、そのような報道はほとんどされません(関連拙記事)。
教育や福祉の問題では、常に引き合いに出されるのはフィンランドやスウェーデンといった最上位の国々であり、日本の「惨めな」状況が語られます。不幸の多くは国の施策の問題とされますが、そこではこれらの国の国民負担率が70%前後であることはあまり触れられません。
食品偽装が問題となったとき、不安を煽る過熱報道が続き「いったい何を食べたらよいのでしょうか」といった食への不安が国全体を覆いました。ところが実際のリスクは交通事故などに比べると遥かに小さいものであり、海外では日本の食品は高価でも買われているように高い安全性が認められています。
政府や企業に対する非難を繰り返し聞かされる読者は政治や社会に対する信頼性を徐々に失います。それは国に対する低評価の要因となることでしょう。
すべてとは言いませんが、客観的な条件に比べ幸福感が異常に低い大きな理由はマスコミの姿勢にあると考えられます。自民党は選挙で大敗を喫しましたが、敗因のひとつはマスコミが長年ばら撒いてきた不満の種がついに結実した結果であると考えることができます。
先に紹介した毎日新聞の記事には「(日本が最下位なのは)日本の新聞が悪い事ばっかり書いてるせいか。(中略) 悪い悪い病に益なし。復元の自信も勇気もまひさせる。もういいとこ目覚めましょ」と「自己批判」しています。でも福本氏のような人はごく少数で、大勢は「悪い悪い」と報道することが使命と心得ているようです。
あたりまえのことですが、幸福感を高めることは最大の目標のひとつと言ってもよいでしょう。経済の豊かさが一定水準あるとき、幸福感の重要度は言うまでもないと思います。「悪い悪い」と言い続け、幸福感をひたすら下げる仕事は、すなわち国民を不幸に陥れる仕事であり、まことに罪深いことと言わねばなりません。
マスコミは幸福度が低いことをまともに取り上げることすらしませんが、自らの報道のひとつの結果として、真面目に受け止めるべきでしょう。
是は是として褒めることも必要です。非を指弾するばかりでは「坂の上の雲」はどこにも見えず、暗い日本の未来が見えるばかりです。
コメント
もしかしたら、OECD34ヶ国中で「最も外国の情報が少ないor知らない」のではないでしょうか。知らないことで、何か人間の生理で変な風に回路が働いて、自動的に悪い評価につながっているのかもしれません。
長いことアメリカ在住の私ですが、幸福度のような主観的な指標は異文化を超えて単純に比較出来ないものかなと思います。概して外国人の幸福感は日本人のものよりもシンプルだと感じますし、日本人は正直、しかめ面して不幸だ、苦労している、などと表現するのが大好きなマゾなのかな、と考えております。日本人はネガティブになれる対象がないと拍子抜けしてしまい、不幸ではないが味気のない生活をおくるようになるのではないか、とまで考えています。私はそんなマゾ気質が良いとは思っていませんが(笑)。
劣悪な労働環境を見ると、日本企業で働いている人の多くは(サビ残など)絶対的な価値観をもってして可哀想だなと思いますが、私が知っている限り他の国と比べて日本が多くの部分において不幸と感じるべき部分はそれほど多くないと思います。価値観の問題ですが。
言語や文化の壁は厚いのかもしれませんね。だから僕は若い人には海外をちょっとでも経験してみて、日本の良い所と悪い所を客観視しながら体感して欲しいなと思います。こんな時世だからこそです。
私はマスコミがそうした風潮を作った訳ではなく、戦後いつのまにか日本人は海外に対して劣等感を持つことが癖になり、日本はダメだという記事を好んで読むようになった結果マスコミもそうした記事を多く出すことになったのではと考えます。
大変失礼な言い方ですが、なんだかいわゆる「オヤジ慰撫史観」とか、いわゆるネトウヨの「日教組・マスゴミ被害妄想」的なお話に聞こえます。メディアを真に受けて煽られるような頭デッカチで観念的なタイプの人間って、せいぜい10%程度の少数派なんじゃないでしょうか。
といいますか、2chなどを観察していると、むしろ自分の人生に不全感がある人が追い込まれて観念的になって「マスゴミが悪いんだ」と「不幸の理由探し」をしているのだ、という図式の方が現実に近いように感じます。
日本が客観的な豊かさにもかかわらず主観的幸福度が低い理由のひとつにマスコミの関与があるのではないか、という提起をしたわけですが、いろいろなご意見をいただき、ありがとうございます。
外国の情報が少ないというご意見は、外国の情報が偏って伝えられているという意味なら、理解できます。
幸福度のような主観的な指標は異文化を超えて単純に比較出来ない、というご指摘はその通りだと思いますが、多くの調査において大差がある事実をそれだけで説明できるとは思えません。UNDPの調査などもその誤差を埋める配慮がなされていると思います。高い信頼性を求めるのは無理だとしてもある程度の傾向を読むくらいは可能かと。
読者が風潮を作り出した、というご意見に対しては次の記事で説明するつもりです。
4のコメントの方は、鳩山首相のように具体性の乏しいご意見であり、お答えしかねます。
岡田克敏
GHQによる War guilt information program が
とても効果的に機能しているのでしょうか。
左翼は日本人としての誇りを踏みにじるし、
右翼は「正しい誇り」から逸らさせようとする。
どっちに転んでも、「日本は素晴らしい国」と
心から受け入れることが出来なくさせます。