デフレと相対価格 - 池田信夫

池田 信夫

毎月送っていただく『文藝春秋』の1月号に「ユニクロ型デフレで日本は沈む」という、浜矩子氏と荻原博子氏の対談が出ている。内容は以前の浜氏の記事と同じで、それに荻原氏が相槌を打っているだけだが、こんなお粗末な対談が日本の代表的な総合雑誌に堂々と出るのは困ったものだ。


そもそもタイトルの「ユニクロ型デフレ」というのが名辞矛盾であることに彼女たちは(編集者も)気づいていない。デフレーションというのは一般物価水準の下落であり、ユニクロの価格が下がるのは特定の財の相対価格の変化である。前者は通貨供給量によって起こる貨幣的な現象だが、後者は実体経済の変化で、両者はまったく原因が違う。

2000年代初頭から日本で起きている物価の下落は、この二つの原因が複合したものと考えられる。両者を分離することは困難だが、直近でいえば、野口悠紀雄氏も指摘するように、原油価格が1年で半減した影響が大きい。またドル安と、それに事実上ペッグしているアジア諸国の通貨の減価によって、輸入物価もほとんど半減した。ユニクロが低価格で高い利益を上げているのは、こうしたグローバルな相対価格の変化の結果であって原因ではない。


外需の激減に加えて内需も弱いため、GDPギャップが拡大している。現在の価格低下がどの要因によるものかは一概にはいえないが、輸入物価も外需もリアルな要因であり、金融政策では補正できない。白川総裁が「インフレにするぞ!」と叫んでも、それを実現する政策手段がないとインフレ予想は変化しないのだ。最後の手段は植田和男氏のいうように、日銀が車を何十万台も買ってリアルな需要を創出するなどの非伝統的な金融政策だが、これはもう狭義の金融政策とはいえない。

日銀が現状をデフレと呼ぶことをためらっているのは、それが貨幣的現象だと誤解されると、また一部の政治家や自称エコノミストが「日銀がお札をばらまけばデフレを脱却できる」という大合唱を始めるからだ。きのうの日経新聞の「経済教室」で池尾和人氏も指摘するように、通常の水準を大幅に超える非伝統的な金融政策は、フローの物価上昇ではなく資産価格のバブルを引き起こすリスクが大きい。

グローバル化による相対価格の変化は、90年代から続いている現象だ。日本の1/10の賃金で働く中国の労働者が生産すれば、衣類のような労働集約的な製品の価格が1/10になるのは当たり前である。その対策も長期的には、賃金を労働生産性に見合う水準まで下げるしかない。それには労働市場の改革によって人材を再配分する必要がある。

このようなグローバルな変化に、浜氏のいうような「分配の平等」で対応することはできない。いま起こっている最大の変化が、世界経済の中心の先進国から新興国への移動だという事実に気づかないで、「国家戦略」なんか立てられるはずはないのである。

追記:テクニカルな話をブログで補足した。