重力に抵抗する人々 - 『ネット帝国主義と日本の敗北』

池田 信夫

★☆☆☆☆(評者)池田信夫

ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化 (幻冬舎新書)ネット帝国主義と日本の敗北―搾取されるカネと文化 (幻冬舎新書)
著者:岸 博幸
販売元:幻冬舎
発売日:2010-01-30
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ベストセラーになっているクリス・アンダーソンの『フリー』は、彼の前著『ロングテール』ほど斬新な本ではない。彼が指摘しているネットビジネスの原理は、基本的には経済学の教科書に書かれているからだ。それは次のような二つの原理である:

  • 絶対的に供給過剰な商品は自由財になる

  • 価格は限界費用と均等化する

インターネットでは膨大な情報が供給され、その量はつねに需要を上回っているので、価格ゼロの自由財になる。また情報の限界費用(複製費用)はゼロなので、価格はゼロになる。これは経済学のきわめて基本的な原理であり、いわば重力の法則のようなものだ。たしかにそれは従来の資本主義に慣れてきた企業にとっては都合の悪いものだろうが、残念ながら重力を非難してもそれをなくすことはできない。

本書の大部分は『フリー』に書かれているのと同じで、目新しい事実の指摘はない。ネット上で情報の価格がゼロに近づき、プラットフォームを独占するものが利益も独占し、コンテンツはもうからず、伝統的メディアが死滅する。それをアメリカの「帝国主義」がグーグルを使って世界を征服するというユダヤ陰謀論のようなストーリーで語っているとことが、しいていえば新しいぐらいだろう。

もちろんそんな話はナンセンスで、アメリカの既存企業は著作権を盾にとってネット企業に激しく抵抗し、議会は著作権を製作後95年に延長し、裁判所はP2Pを違法にした。アメリカのネット企業は、そうした旧体制の岩盤を突破して新しいビジネスを開拓したのだ。ところが日本では、著作権法によって検索エンジンが禁止され、著者が取締役をつとめるエイベックスなどが著作権の過剰保護を要求して「フェアユース」などをつぶしてきた結果、新しい企業が登場せず、IT産業は壊滅状態だ。

それでも著者は重力に逆らって、古い音楽産業やマスコミを政府が保護せよと主張する。グーグルやアップルが急速な拡大をとげたのは、特別にアメリカ政府の保護を受けて世界を「搾取」したからではない。ネット上の重力の法則を梃子にして情報の開放によってシェアを拡大し、独占できる部分(広告や課金)でもうける戦略を構築したからである。それもできなかった日本企業が、泣き言をいって著作権という名の既得権に救いを求めても、墜落のスピードを一時的にゆるめるのが関の山だろう。