市場原理批判の常識 - 『これからの「正義」の話をしよう』

2010年05月29日 18:35

★★★★☆(評者)池田信夫

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
著者:マイケル・サンデル
販売元:早川書房
発売日:2010-05-22
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鳩山内閣も総辞職は時間の問題になってきたようだが、鳩山首相の提唱した「いのちを守る政治」は、無内容な政治的スローガンとして歴史に残るだろう。彼が「市場原理主義」をきらう気持ちはわからなくもないが、それに対して「人間」とか「いのち」などというベタなヒューマニズムを対置したところで、市場原理を乗り超えられるはずもない。

本書はハーバード大学で最大の履修者を誇る、法哲学の講義をもとにしたものだ。哲学といっても「救命ボートで飢えて死にそうな3人が1人の肉を食べたことは有罪か」といった裁判をもとにして何が正義かを論じるもので、よくも悪くもアメリカ的だ。フランスのポストモダンのような哲学的な深みはないが、きわめて具体的でわかりやすい。

著者の立場はいわゆるコミュニタリアンで、経済学の想定するような制度的真空のもとでの負荷なき自己を否定し、人は何らかのコミュニティに埋め込まれ、その価値観は(無意識のうちに)伝統的な「物語」に依拠していると論じる。これは原則としては正しく、彼が経済学の「非現実的な個人主義」を批判する部分は、多くの経済学者も同意するだろう。

問題はその先である。社会を個人に分解できないとしても、著者のいうアリストテレス的な共通善とは具体的に何なのか。特定の宗教や道徳だとすれば、それが「自然」な価値だという根拠は何か。その根拠を投票や慣習によって決めるとすれば、個人主義の集計にすぎない――こうした批判に対してコミュニタリアンが十分な答を用意していないことも、著者は正直に認める。アメリカのような多様な社会で、個人を超えた価値を絶対化することは不可能である。

他方、日本ではよくも悪くも「伝統」とか「国益」といった曖昧な価値を絶対化し、それを基準にして「格差」や「品格」を論じる傾向が強い。こうした低次元のパターナリズムに対しては、本書が前半で提示しているリバタリアンの立場からの批判で十分である。本書は法廷のように多様な考え方をバランスを取って紹介しているので、鳩山首相もせめてこれぐらいの常識は身につけてから市場原理を批判してほしいものだ。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 青山学院大学非常勤講師 学術博士(慶應義塾大学)

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