世論調査の改善と政策への反映 - 松本徹三

2010年08月02日 10:05

数日前の朝、たまたまTVの教育番組を見ていたら、埼玉大学の松本正生先生が「世論調査」のことについて話しておられました。先生は先ず「世論調査」が政治に対して与える大きな影響について、かつて自民党の小泉純一郎総裁の後継者として安倍晋三さんが選ばれた時の例を引いて説明し、この様な「世論調査」の力は「国民の報道機関に対する信頼」が基礎になっているのであるから、その信頼を傷つけないようにしなければならないというような趣旨の言葉で締めくくられていました。しかし、これは、この大きな問題を締めくくる言葉としては、いささか物足らないものでした。


また、先生はお話の中で、「重要問題に対する国民投票」についても触れられ、「世論調査」は法的には何ら意味を持たないものではあるが、政治家にとっては「国民投票」と同じような重さを持ったものとして受け止められるので、現在のように頻繁に「世論調査」が行われ、多くの政治家がその都度これに影響されるような事態は、本来あるべき「国民投票」に対する緊張感を薄めるという「好ましくない影響」をもたらせかねないとも警告しておられました。しかし、この問題についても、「もっと深堀されて然るべき」と私は強く感じた次第です。

私は政治学を学んだこともなければ、これまで特に政治について深く考えたことがあるわけでもありませんが、小泉政権の後を継いだ安倍政権の誕生から、衆院選での自民党の大敗北を経て今日に至るまでの日本の政治の混迷については、心を痛めることが多く、「どうすれば諸外国からも信頼される長期安定政権が出来るのだろうか」を考えることが多くなっています。(米、英、仏、独に対し、イタリアの政治が不安定なことは周知の事実ですが、最近は日頃付き合いのある欧米諸国のビジネスパーソン達からも、「日本最近どうしちゃったの? イタリアみたいになっちゃったね」とよく言われ、これはあまり嬉しいことではありません。)

「昨今の日本の政権が不安定なのは、国民の政治に対する考え方が未成熟で、目先の問題ばかりに興味を持っている一方で、現状では確固たる信念を持った政治家が見当たらない」ということが、つとに言われています。それはその通りでしょう。しかし、「それではどうすればよいのか」については、誰からも建設的な意見は出ていません。そこで、政治には全くの素人である私も、「そういうことなら、現実に即した処方箋を考えてみなければならないのでは」と思うに至っているのです。

私が言う「現実」とは、つまるところ下記の二つです。

1)国民の「利害」も「考え方」も種々様々であり、殆どの人達にとっては、長期的なことよりも明日のことの方が大切である。また、国民は基本的に「気分屋」であり、深く論理的にものを考えることは少ない。
2)政治は結局は政局で動くので、多くの政治家が目先の政局を乗り切る方策を考えるのに忙しく、信念を持って「長期的な国策」を考える余裕がない様に見受けられる。

1)については、国民を「衆愚」と決めつけてしまうのは簡単ですが、それでは何の解決策にもなりません。また、現実に「世論調査」の結果などを見ている限りでは、国民はそんなに愚かであるとも思えません。

国民は、最近の早い時点での世論調査では、「現実の財政や外交に適切に対応する能力に不安を感じさせた鳩山首相」にも、「古い金権体質を引きずっているかのような小沢幹事長」にも、共にレッドカードを出し、この両者の問題点を解消してくれると思われた菅さんに大きな期待がかけたかのようでした。ところが、参院選が近づいた時点では、消費税に関する菅さんの発言が唐突であったことなどから、将来の菅政権への展望が不透明になり、その期待は急速にしぼみました。

しかし、国民がそれ程愚かでない証拠には、参院選に惨敗した後でも、「菅首相は辞任する必要はない(首相が頻繁に変わるのは望ましくない)」という意見が70%を超え、消費税の増加についても、許容する意見が過半を占めています。

思い起こしてみると、民主、社民、国民新党の三党連立体制が確固として機能していた頃から、「普天間」の問題や「郵政の再国有化」の問題については、「世論」は常に懐疑的な見方を示してきました。それどころか、民主党のマニフェストを支持して投票した筈の国民の多くも、「子供手当て」のようなバラマキ色の強い政策についてはかなり批判的でした。結局のところ、「世論」が諸手を挙げて民主党に喝采を送ったのは、「事業仕分け」位であり、マニフェストの遵守を強く迫る声は、最後までさほど強くはありませんでした。

このような個々の情況を検分する限りでは、その都度なされる「世論調査」の結果の方が、何となく「民意」をより正確に反映しているような印象を与え、選挙の結果は、むしろ「一時的な流れ」を増幅したに過ぎないかのような印象すら与えます。

もう一度話を戻すと、1)については、古今東西を問わず当たり前のことであり、今更言い立てほどのことでもありあません。基本的には、国民は、「現在の自分達が置かれた立場からの計算」と「心情的な傾向」の両面から、種々の政策に対する自分の賛否を決めるのですから、意見が割れるのは当然です。

その結果として、多くの先進諸国では、「自由経済(小さな政府)」と「社会保障(大きな政府)」のどちらを重視するかについての考え方が二極に分離し、これが近代における「二大政党論」の根拠にもなっているわけですが、国と時代によって様々な付随条件が生じ、細分化された「利害」と「心情」が様々な組み合わせを生み出すので、情況はどんどん複雑になっていきます。

それでも、日本の場合は、民族や宗教による考え方の相違が少なく、また、韓国のように、歴史的な背景から左右の両極が大きく乖離するというような情況もないので、政策の決定は比較的楽だと思います。つまり、個々の政策について、肌目細かい配慮を行っていけば、大きな対立は回避できる可能性が大きいのです。(逆に言えば、政権がどちらに転んでも、実際には政策上の大きな揺らぎは生じないということです。)

私は、「長期的な視点に立った戦略的な政策の遂行を可能にする為には、不安定な議院内閣制ではなく、4年の任期が保証された大統領制を導入した方がよい」という基本的な考えを持っていますが、今回はその事を論じる積りはなく、行政府が如何なる形で作られようと、実際の政策の実行には、個々の問題に対する「民意」をその都度確かめる「直接民主制」に近い方法を取り入れるべきだという事を論じたいのです。

考えてみれば、最も望ましい民主制とは、本来は「直接民主制」であり、「国民が先ず議員や大統領を選び、彼等に自分達の信じる政策を立案実行させる」という現在の「間接民主制」は、いわば妥協の産物だとも言えます。

現状が何故そうなっているかと言えば、「『直接民主制』は実行が困難である」という考えと、「『間接民主制』でも個々の政策に十分『民意』は反映できる」という考えが、組み合わさった結果であると思います。しかし、現在においては、新聞、ラジオ・テレビ、電話、インターネットなどの普及により、情況は随分変わってきていますから、この事は再検証すべき時期に来ていると考えます。

具体的に言えば、ここで考えるべきは、「国民投票」という法的な手段による「直接民主制」の導入は無理であっても、「現在の世論調査のやり方を抜本的に改善」した上で、「為政者がその結果を極力政策決定に取り入れる」ことだと、私は思うのです。

この考えの根拠としては、下記の二つがあります。

1)現在各報道機関が行っている世論調査が、現実の政治に大きな影響を与えていることは紛れもない事実であり、このことを直視すべきである。
2)立法府に所属する各党派の議員や、行政府を掌握する与党の議員は、時折行われる選挙に全てを賭けるのではなく、常日頃の活動において、常に「民意」を汲み取る努力をするべきである。

しかしながら、現在頻繁に行われている「世論調査」は極めて大雑把なものであり、適切なやり方で為されているとは必ずしも思えません。そもそも国民の意見を聞く前に、「国民に対して正確な情報が十分に与えられているか」を十分に検証するべきだし、「問い方」次第で答えは大きく変わってきますから、これに対しても「公正、且つ慎重な配慮」が十分に為されなければなりません。

それでは、現在の世論調査のやり方のどこを変えればよいのかということについては、色々な意見がありましょうが、私としては、取りあえず下記を提言したいと思います。

1)「公正な世論調査のやり方」を定める「世論調査法」を制定する。
2)「世論調査法」に基づき、実際に「世論調査」を実施する「世論調査局」を、内閣直属の機関として設立する。
3)如何なる政党も、一定の条件を満たせば、いつでも「世論調査法に基づく世論調査の実施」を「世論調査局」に対して請求出来、その方法についての意見も、自由に具申出来る。
4)「世論調査局」は、それぞれの「世論調査」の実施に当たっては、「世論調査法」に基づく「事実関係の精査」及び「広範な意見の収集」を事前に行い、これを公表する。
5)「世論調査」の結果は、そのままでは何の法的効力も持たないが、立法府や行政府、及び各報道機関等は、いつでもそれを参照しながら、自らの意見を開陳することが出来る。

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