解雇自由化は日本経済復活のための一丁目一番地 - 藤沢数希

藤沢 数希

週刊ダイヤモンドの解雇解禁特集が方々で話題になっている。日本の極めて厳しい解雇規制が、企業の新規採用の抑制、非正規社員だけに押し付けられる不当な雇用リスク、日本のグローバル企業の国際競争力低下、ひいては日本経済の閉塞感の大きな原因になっていることはすでにさまざまな識者が指摘している。筆者は公務員も含めての日本の解雇規制の自由化が日本経済を再び成長軌道に乗せるための一丁目一番地だと考えている。結婚相手の職業人気1位が公務員、学生の就職先人気1位が公務員、そして新卒がみな大企業の正社員を目指す日本の現状は、病的だ。


いったん既得権を握った大企業の正社員や公務員が、どれだけ与えれれた仕事に向いていなくても、どれだけサボっていても給料をもらい続けられる一方で、非正規社員がどれだけがんばっても報われないような仕組みがあっていいわけはない。これでは江戸時代の身分制度だ。

また厳しい解雇規制が企業の採用意欲を削いでいる。いったん正社員として雇ったら、犯罪行為でもない限り首にできないのならば、企業側は雇用に極めて慎重になるだろう。その結果、困るのは職を探している失業者や新卒だ。また企業が雇用リスクを気にして採用を控える結果、数少ない正社員で仕事を回すことになる。そうすると忙しくて死にそうな正社員と、職がなくて死にそうな失業者や新卒が並存するという非常に歪な労働市場になる。

これらの問題を解決するのは、解雇規制を緩和して、労働市場の流動性を高めるしかない。筆者は、解雇規制は緩和ではなくて「自由化」がいいと考えている。ある程度の金銭的な保証を支払えば企業はいかなる理由でも社員を解雇できるようにするのである。アメリカなどは仕事ができない社員を簡単に首にできるのだが、同時に人種差別や性差別に対して非常にきびしく、そういった理由による解雇は禁止されている。しかし筆者はアメリカのこのような法律には疑問だ。首にされた社員は会社に不満を持つことが多く、いきおい「人種差別による不当解雇だ」なんて訴えを起こす。そしてこういう裁判は雇用主が差別用語をいっただのいってないだのの不毛な水掛け論が延々と続き、儲かるのは弁護士だけという状況になりがちだ。雇用なんて、経営者が好きか嫌いかで決めればいいことであって、それが差別だなんだと人にいわれる筋合いはない。

そもそも競争的な市場では、人種などの仕事の能力に関係ない属性にこだわるような経営者は、そういうおかしなこだわりがない経営者よりも採用活動で不利になるのだから、それなりのハンディキャップを背負うのである。そのハンディキャップを抱えながら会社を経営したいならば好きにやらせたらいいのだ。それに特定の人種や性別が採用されにくくて、そういった特定のグループの人材が割安に放置されていたら、目ざとい経営者がそういう人たちをすぐに雇うのである。非常に競争的なサッカーなどのプロスポーツや、国際金融の世界では、さまざまな国籍の人たちが働いており、そのような差別はほとんどないのだが、それは何も監督や経営者が特に倫理的であるということではない。ライバルに打つ勝つために少しでも優秀な人材を雇い入れなければならず、差別なんかしている暇がないのである。

解雇は金銭による完全自由化に限る。そこで金銭解決の額だが、月給一ヶ月程度で十分だろう。これは大企業にしてみたら格安だが、それ以上だと中小零細企業はとても払えない。今の法制度では、大企業が正社員を首にしようと思えば、ちょっと話がこじれれば年収の2年分ほどの金を積んで仕事のできない社員に辞めていただかなければならない。ところが実質的にすでに解雇自由の零細企業では一ヶ月でも重い負担だろう。なぜ零細企業は解雇自由で、大企業は解雇するのに年収の2年分なのかというのは、日本の法制度の執行体制による。要は裁判で社員が勝っても、裁判所は紙切れ一枚書いてくれるだけで、それは大企業には完全なる強制力を持つのだが、零細企業では社長が無視すれば会社の財産を差し押さえるのはかなり大変だし、裁判まで含めると割りに合わないことが多いからである。日本の大企業は国際的な競争にさらされているのである。仕事のできない社員を首にするのに、そんなにコストを払っていては株価が低迷するのも当然だろう。首にするのに月給一ヶ月分で十分だ。

多くの経済学者が硬直した日本の労働市場の問題を指摘してきたにも関わらず、こういった解雇規制に対する改革は政治的に実行不可能だと考えられてきた。しかし筆者は本当にそうなのかと、問いたい。郵政ファミリーへの利益誘導に明け暮れた国民新党は前回の参院選で、結局ひとつの議席も獲得できなかった。日本の首相は、お笑い芸人が視聴率を取れなくなるとすぐにテレビにでられなくなるみたいに、支持率が落ちるとマスコミにボロクソに叩かれ辞めさせられる。今時、利権団体の組織票で選挙に勝てるような時代ではないのである。だったら多少の抵抗はあっても、日本の未来のために正しいことを成し遂げようとする志の高い政治家が現れてもいいではないか。そして解雇規制の自由化こそが今の日本にとって「正しいこと」なのである。

参考資料
ダイヤモンド 「解雇解禁」特集号で大事な3つの論点、山崎元
最悪の時はこれからだ、池田信夫
有期雇用の必要性、あるいは司法修習生の就職対策について、城繁幸

コメント

  1. wishborn2400 より:

    粗雑で、極端な主張ですね。妥当性はあまりなさそうです。
    一月分の給料で業績と関係なく解雇が「完全自由」というのは、
    不当だという非正規の雇用リスクと大差ないどころか、景気が
    どれほどよい状態であっても、常に解雇のリスク、それも従業員
    の側には全く理由のわからないものにさらされるということになり
    ます。無論、非正規を含めて、全ての被雇用者がです。

    それによる個々人の経済基盤の不安定化は、耐久消費財の
    購買意欲を減衰させ、収入のより多くを貯蓄にまわそうという
    心理を引き起こすことでしょう。
    ローンを組むには、かなりの勇気が必要になるかもしれませ
    んね。

    市場に任せれば、全て円満にいくのだという確信に基づいた
    主張のようですが、社員が忙しくて死にそう、もしくは自ら死んで
    しまうのは、社会的規制の意義を忘れた経営者の問題です。
    解雇の完全自由化とは、そうした死ぬほどに働かせる経営者
    にも、自由な解雇というカードを持たせることになるのです。
    従業員には悪夢でしょう。

    まあそもそも、社員が忙しくて死にそうなのに、雇用を渋るような
    経営者が解雇自由化をすれば、雇用するかというのも疑問ですね。
    労働基準法を遵守させる方が先でしょう。

  2. horie_takapon より:

    一月分の給料で業績と関係なく解雇という事であれば、定年まで前提の莫大な保障金の為、雇用を手控えたり吟味する事がなくなり、再就職しやすい環境が整い、また保障のしがらみがないので手取り額も多くなる筈です。
    淘汰される企業が苦しみながら人件費を捻出しつつやがて一緒に突然死を迎えるより、収益があって雇用の余地がある企業に再吸収してもらったほうが社会の仕組みとしては安定していくと考えております。
    再就職機会に恵まれるので再チャレンジの機会が皆平等に訪れます。
    今は一旦失業してしまうとそこから這い上がるのが非常に困難なので皆で既得権益を守ろうとしているだけです。
    これは負の雇用スパイラルとなって徐々にジリ貧に近づくことでしょう。

  3. katrina1015 より:

    layoff or termination?
    仕事の出来ない社員にやめていただくのは
    当たり前ではないでしょうか?
    どうもレイオフ=会社都合での退社であって
    解雇?といっていいかどうかです。
    つまり解雇規制の解除=経営の失敗ということです。けっして個人の問題ではありません。
    たぶん、筆者はわざとなんでしょう。知らないはずはないと思いますよ。
    月給一ヶ月分???冗談?
    まず、年俸制で賃金は一年分前払い+追加オプション+一年分くらいでどうでしょうか?退職のさいには競業避止義務の無効および退職後に一切の制限をかけかないこと。重要なのは経営の失敗であることを認めること。けっして解雇された労働者の責任ではないこと明記すべし。
    てゆか日本企業にはあまり意味がないような話題でしたね。日本の大企業の正社員はひまなのか?ま~公務員はひまそうだけどw

  4. heromichi より:

    >そもそも競争的な市場では、人種などの仕事の能力に関係ない属性にこだわるような経営者は、そういうおかしなこだわりがない経営者よりも採用活動で不利になるのだから、それなりのハンディキャップを背負うのである。

    これは必ずしも妥当ではありません。
    ある経済学者達が、面接シートの内容は同じで、名前を黒人風の名前と白人風の名前とにわけて、採用試験に送ったところ、黒人風の名前だと有意に面接に呼ばれる割合が少なかったようです。
    彼らは、このような採用方針が黒人が真面目に教育を受けるインセンティブを削いでいると考えています。
    そして、真面目に教育を受けている黒人の割合が小さい以上、差別することが経営者にとって合理的になるというわけです。
    このような統計的差別(あるいは逆淘汰)は競争では解決されません。
    現状がベストかどうかはともかく、政府の介入には理論的にも実証的にも根拠があります。

  5. ghi555 より:

    流動性が低いというのは経営問題の
    一部に過ぎないとかんがえます。
    例えば、流動性の高いプロスポーツの球団でも
    経営が苦しかったり、潰れたりしています。
    また、ボクシングなどは日本よりアメリカの方が
    ビジネスとして大きいです。
    日本のボクシングとプロレスを比べても、
    より固定的なプロレスの方が、興行が大きいです。

  6. ririnn1616 より:

    企業側に雇用流動性の恩典を与えるならば、当然に従業者側にも流動性を選択する為の最低限の条件が必要です。「同一労働、同一賃金」であり、これが最低限保証されるならば、従業者側にも雇用流動性に十分に対処でき、むしろ職業選択の権利としての側面が現れます。
     正規労働の流動化が、コスト削減の面から論ずるのであれば、生産性・付加価値労働には正当な対価コストを支払うべきで、生産性ある労働には当然に正規・非正規の差はなく、対価として支払うべき。
     正規・非正規の区別は、誰に利益があるのか。実は、正規労働者の非正規労働者に対する差別的既得権としての身分制度温存と、企業側には真正面から非正規労働への低賃金雇用により見せしめと正規労働への賃金上昇抑制の意義があり、2000年以降の急激な大企業の対売上高人件費比率の低下と経営者側の役員報酬の上昇、配当率の上昇、利益準備金の積み増しなど「分配」が大きく変わってきたことに注視すべき。
     ここにきて、更に上記のような議論が出てくるのであるが、労働の流動性を唱えるのであれば、日本の雇用、特に正規労働に付与されていた「ロイヤリティ」も正当な労働対価として評価せずに、客観的な基準ですべての労働を評価すべき。

  7. jonias より:

    >wishborn2400様

    >そうした死ぬほどに働かせる経営者にも、自由な解雇というカードを持たせる
    >雇用を渋るような経営者

    労働市場が流動化すれば、そんな理不尽な企業からは人がいなくなります。と言うより「嫌なら辞める」という選択が労働者に与えられるというのが、最大の利点でしょう。

    >ghi555
    流動性が高ければ、ゾンビ企業が潰れ、新規産業に人が移っていく。望ましいことではありませんか?

    >ririnn1616
    因果が逆ではありませんか?市場が自由であればこそ、同一労働は同一賃金に収斂して行くのです(一物一価)。そのような区別は意味を成さなくなります。

    その意味で「解雇解禁」というよりは「正規・非正規の区別をなくそう」、「解雇の条件はみんな同じにしよう」。そのようなアプローチのほうが世間的に受け入れられやすいかもしれませんね。

    役員報酬は確かに上がっていますけど、それは株の持合が崩れ経営責任が問われるようになったことが主要因。景気が底の2000年と比較すれば、高くなるのは当然ですし。

  8. ks_melt より:

    日本経済復活のために解雇の自由化が不可欠という貴殿の主張もまちがいだが、その理由にダメ社員を抱え続けなければならないというのはもっとおかしいと思います。
    ダメ社員というのは、昇給、昇格、配置等の人事・査定で十分解決できるものであり、他の社員から見てもダメであるはずで、現行の法的問題でできないような問題だと考えるようであれば、そのような経営者は経営に当たること自身が不都合でしょう。(ツイッターにて同趣旨反論)

  9. heromichi より:

    差別に限らず、市場の失敗はどのような市場でも起こりうるものです。
    どこを自由化して、どの規制を残すのか、あるいは、規制をどのように変えるのかというのは微妙な問題だと思います。
    おっしゃるように、経済学者の大勢は自由化の方向を支持しているようです。
    しかし、派遣の問題も、現在は市場の失敗として認識されているようですし、労働市場の制度設計は微妙な問題だと思います。

    http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100713/215395/?P=4

  10. jonias より:

    経済学者はみな「市場の失敗」を認めます。私も自由化だけで上手くいくとは思っていません。「同一労働同一条件」法を作るべきです。

    【竹中平蔵】”日本版オランダ革命”に取り組め
    http://www.youtube.com/watch?v=K6V6gcI4x8g

    規制というのは、みなに公平にかかるものであればあった方がよい場合もあるでしょうが、一部の人だけを保護するものは、その外側にいる人たちを苦しめるだけですからね。

  11. wishborn2400 より:

    joniasさん、
    労働市場が流動化すれば理不尽な企業から人がいなくなると
    あなたが言ったからといって、そうなるわけではありません。
    「完全自由化」そのものが「気に入らない」という、「理不尽な」
    理由であっても解雇を可能にするわけですからね。
    矛盾もいいところです。

    また、現在でも自己都合で会社をやめることは出来ますよ。
    何が選択肢でしょうか?
    解雇の完全自由化で、桶屋が儲かる的なバラ色の展開が
    生じて、労働市場が売り手優位になる筈などという手前味噌
    な理屈に妥当性はありません。

  12. jonias より:

    wishborn2400様

    手前味噌?我田引水の間違いですかね?

    「気に入らない」という「理不尽な」理由でやめさせるような企業に、そのまま所属していたいと思う理由は何ですか?そんな会社なら、こちらから願い下げだ、というのが普通の感覚だと思うのですが。そんなところにいてもいいことないでしょう。

    現在は再就職の機会が少ないからこそ、たとえ嫌でも会社にしがみつくわけです。雇用規制と労働需要は反比例の関係にありますから、労働市場が流動化すれば雇用機会も増え、無理する必要がなくなります。

    市場が自由になれば、当然、競争力を維持するために、労働者を厚遇しなければ企業が立ち行かなくなってしまいます。当然、全体的な賃金は上がります。これは規制緩和したデンマークやオランダでも確認された事象です。

  13. 国は正社員に国土を切り売りして家を持たせ、それを30年くらいのローンで返済させることで“商売”しています。その正社員の身分が不安定だと国の債権が不安定になるので流動化されないでしょう。残念ながら、非正規雇用の人を正規雇用にしようとする試みは徒労に終わると悲観的にならざるをえません。それより非正規のままでも家や家庭を持てる仕組みを考える方が可能性があると思います。
    例えば所得税の金額の多寡による累進性を止めて低額のフラット税制にするのはどうでしょう。その分の税収減は身分の安定性に対して累進課税を行うことで相殺するのです。公務員や大手企業の正社員は、安定的な身分を保証するかわりに、その分より多くの税を納めていただき、一方、身分の不安定な非正規雇用の人は、金額の多さに対して税がかからなければ、瞬間的に多額の稼ぎがあった場合、一挙に家を買うことも可能となります。極端な例では、一発屋の芸人など、1年間で数億稼いでも翌年は売れなくて稼ぎがゼロなんて場合も、稼いだ年の税が安ければ、家や家庭を持つことも可能となるでしょう。

  14. ksmethod より:

    経営者にしてみれば、労働者の権利を主張する社員、労基法やその他の法令違反を告発しようとする社員、経営者との肉体関係を拒絶した社員などを適当な理由をつけて解雇できるようになるのだから、解雇の自由化は魔法のカードのようなものでしょう。
    そして会社に長くいられるのは、劣悪な労働環境でも文句を言わず働き続ける奴隷のような社員、法令違反を平気でするモラルの低い社員のみになります。
    必然的に企業のコンプライアンス意識は低下し、労働者は常に解雇の不安に脅かされ心を病む人が増えます。
    また、どんなに仕事を頑張っても経営者のさじ加減ひとつで解雇されるのですから、労働者の勤労意欲も減退します。

    結局、解雇自由化で得をするのは経営者だけなのです。

  15. jonias より:

    >ksmethod

    論理が破綻していますよ(笑)。
    なぜそんな企業にしがみつくんですか?

    上場企業であれば、経営者もサラリーマンです。
    雇用規制が緩ければ、会社が傾いた場合、株主に追及され真っ先に責任を取らされるのは経営者です。

  16. wishborn2400 より:

    joniasさん、全く愚かな回答です。
    まず、あなたの言う社会では、明らかに理不尽であるといえる
    理由であっても自由に解雇できるということは確認できました。
    人種、性別その他の差別的な理由での解雇も可能でしょうし、
    内部告発者が保護されるということもないでしょう。
    まあ、まともな社会ではありません。

    また、あなたの論理が桶屋が儲かる的な理論であることが
    明確になったものと思います。
    解雇の完全自由化が、景気の変動を無くすわけでもなく、
    恒久的な好況をもたらすわけでもないのに、労働市場が
    売り手市場になるのだなどとは言えません。
    個々人の経済基盤が脆弱になる、つまり労働市場としては
    買い手市場となる要素が強化されるという私の指摘を無視
    されては困ります。
    つまり、「解雇の完全自由化」と「再就職の機会の拡大」と
    は直結していないのです。雇用規制と労働需要との関係に
    のみ着目し、社会経済全体への影響が考慮されていません。

    さらには、デンマークやオランダについて言及するのであれば
    その社会保障を含めた政策を考慮して言及すべきですね。
    都合のよいところだけつまみ食いをするのは感心しません。
    しかし、労働組合を作ろうとしたら解雇できるというのでは、
    まず無理ですね。

  17. i8051 より:

    >wishborn2400さん
    私にはあなたの意見の方が余程愚かに聞こえます。

    あなたの意見は、突飛ですが「赤ちゃんポストを設置すれば赤ん坊を捨てる親が増える」という議論と同じです。そこには、可能ならば子を捨てる親がまともか(その元で育つ子は幸福か?)という視点が欠けています。

    あなたは「規制がないと因業な企業が気まぐれに解雇する」といいますが、それが問題だと思えるのは、そんな因業な企業であってもしがみつく必用がある現状を無自覚のうちに自明の前提としているからです。

    そんな企業に雇用されて幸福なんですか?そうでないとすれば、糞みたいな企業であってもしがみ付かざるを得ない現状を作っている原因こそ改善されるべきでは?(記事本文を読み返してください)

    あと、あなたは多分、そもそも企業は「雇用したい」(人を雇わないことには何もできない)という当たり前の事実をちゃんと認識してないのでは。失礼ですがご自分のその被害妄想傾向、自覚されてます?

  18. wishborn2400 より:

    i8051さん、経営者は親ではありません。
    あなたが勝手に考えた、まったく不適切な例えです。

    経営者がどのようであれ、労働基準法その他の労働法規を
    遵守するのであれば、現状においても労働者が過労死する
    ということはないでしょう。
    問題のある企業にしがみつく必要がなくなれば、そうした
    問題がなくなる筈というのは簡単です。
    しかし、先ほども指摘したように「解雇の完全自由化」は
    被雇用者の経済基盤を脆弱にし、将来不安を増大させる
    懸念があります。これは、しがみつく必要性を増加させる
    ものではないですか?
    さらに「解雇の完全自由化」は、スムーズな再雇用がなさ
    れることを保障するものではありません。
    「解雇の完全自由化」で「雇用の流動化」が生じることで
    なにもかも問題が解決するほど簡単は話ではないでしょう。
    バラ色の妄想の方を考えなおされることをお勧めします。

    また、経営者は利潤を得たいから雇用したいのであって、
    「雇用」そのものをしたいわけではありません。
    当たり前の事実ですね。

  19. 佐藤 大輔 より:

    解雇規制の緩和には基本的には賛成です。
    そこで、藤沢さんの文章にある、「大企業の場合は2年分の解雇手当」というのは、むしろ妥当な線なのでは?
    藤沢さんのおっしゃっている「大企業の場合は2年分の給料を払って辞めてもらえる」というのは一般的ではなく、現状は基本的には「社員が拒否すれば辞めてもらえない」だと思います。
    より理に適った形を求めるのであれば、社会人として働く上で、より能力のある人がその力を発揮できるポジションに着き、能力の無い人は去るべきでしょう。
    しかし、完全に自由化してしまうと、社長の気分次第で、社員の人生が滅茶苦茶にされてしまう危険性があることは否めません。
    そこで、「辞めさせるには2年分の給料を払わなければならない」ということにはれば、社長も慎重になるでしょう。
    会社の体力に応じて、解雇手当を「2年分」「1年分」「半年分」くらいにランク分けし、雇用直後1年間は原則禁止など制限をつければよいでしょう。プラス失業保険も付けば、辞めさせられる側もそう困らないのではないでしょうか。

  20. ケット より:

    重要なことは、単純にいえば「自由化されなくて餓死する人と、自由化されて餓死する人と、どちらが多いか」では?

    それは、これからの日本の産業構造が、何人必要としているか、それが問題なのでは。
    人が足りない、現実的に可能な職業訓練で移行できる「これからの成長分野」がたくさんの人を必要としているなら、自由化すれば今苦しんでいる正規労働者も得をするでしょう。
    でもそれがないなら、成長分野は人を必要としていないなら、ほとんどは世界の貧民層のレベルまで落ちるだけです。
    どちらでしょうか?

    さらに前提として、どちらであっても「餓死は容認しない」…最低限のセイフティーネットは無条件に張っておいたほうが、安心して自由化できると思います。
    皆が公務員や大企業に行きたがる、保守化するのもセイフティーネットがないんだ落ちたら餓死だ、と日本全体が若者に伝えているからなのでは?

  21. jonias より:

    >wishborn2400

    結局、あなたの主張は、そういったモラルの低い企業に労働者を縛り付け、延命させろと言っているのと同義です。労働移動を容易にすることで、そうした企業は淘汰されるべきだ。「仕事」ではなく「人」を守るべきだ、というのが緩和派の考え方です。

    日銀の白川総裁は、雇用に流動性がないことが、デフレ要因であると述べています。つまり、企業の業績が落ちた場合、欧米では給与水準は変えずに人を切る。解雇された人は業績の良い企業に移っていく。日本では解雇の規制が強いために、一人当たりの賃金を削って雇用を継続する場合が多い。そのために労働者全体の所得が落ち、結果、購買力も低下していく、と。

  22. ririnn1616 より:

    2000年を境に生産年齢人口は既に減少してきている。新卒の学生も年々減少してきているのに、なぜこの危機的な雇用情勢なのか。デフレというが、リーマンショックの前までは最長の景気上昇期を続けていた。雇用の需給において、雇用の供給に限界が見えて10年経過し、益々売り手市場の状況に成らなければならないのに、この厳しい雇用情勢はなぜ。
     雇用が際限のないコスト競争の主要な手段となり、「雇用流動化」を標榜しながら非正規雇用と賃金削減を実施し、雇用不安による需要減少の側面が強いのではないか。この状況に、更に解雇の常態化を促す施策に対してなにも担保せず市場原理に任せ、相当な犠牲を払い無責任に「収斂」を待つなど、その前に雇用は「解雇」の恐怖に一層萎縮するものです。解雇に対しても相当な生活保障のコストを払い、むしろ労働に対する公平かつ客観的な評価が前提であり、経営者側へ解雇権を認めるなら相当な労働者側にも権利を認めるのが労働法の目指してきた趣旨だ。
     労働移動により「淘汰」される企業…など移動前提の受け皿となりうる雇用があっての議論であり、まずその雇用を如何につくるかを示しておらず、現実的でない点で「突飛」としか映らない。

  23. freepass2 より:

    今頃ですが、読んで、びっくりしました。
    アメリカのように、弱者保護のシステムが法的にない国ならいざ知らず、日本には、生活保護と言う弱者を完全に保護する法的なシステムがあります。
    解雇の自由化で確かに一部の優秀な人は給料も増えるのでしょうし、新しい産業への移動が進むことで雇用も少しは増えるのでしょうが、圧倒的多数の雇用者は円高などの外部要因や、経営者の横並び意識で現在不安定雇用といわれている雇用体系と同じ程度の水準に給料が下がった正規雇用を受け入れる事になるでしょう。
    2対8、あるいは3対7の割合で、たとえ少額とはいえ援助を受けないと生活できない層を生み出していくと、今の日本のシステムでは、一気に財政破綻しませんか?それとも、これまでのように国の予算に合わせて、生活保護対象者認定を絞りますか?
    もし、私が会社からも国からも切られる人に入るとしたら、革命を志向します。
    一旦、強者から財産を分捕り、弱者にばら撒く資金を作り、またもとの弱肉強食の資本世界にもどします。
    強者さんからは「いつでもたくさん稼げるから強者はいいでしょ。」とへらへら財産を奪い去りますよ。国家権力は、人も財産も好きなように縛り付けることができるのです。
    こういう主張をする人って、ほとんどの人がセーフティネットのことに触れないのと、日本という均質性が高く、世論が一つの方向へと熱狂的になだれ込んでいく性質を持ち、悪者を処罰することを全く躊躇しない社会で不安定さが増すことへの恐怖を感じていないことに不安を感じます。