「和をもって尊し」は美徳にあらず

2010年12月14日 11:47

米国に住む私には、日本でサンデル教授の授業にあれだけ関心が集まった理由がよく判らず、幾人かの日本の教育専門家に教えを請いました。

中でも、戸田忠雄政策研究大学院大学客員教授から、問題の核心を突いた同氏のコラム記事のコピーを頂きましたので、全文を引用する事にしました。


「学校の先生ならだれでも、児童・生徒たちに、『自ら学び自ら考える力』(学習指導要領)をつけたいと願っている。したがって、教師が一方的に教えるのではなく、なるべく学ぶ意欲を啓発し、考える力を刺激するよう、問いを投げかけて授業を進めていく。しかし、限られた時間で一定の知識を身につけさせなければと思い、つい、自分で教えてしまう。

さらに、公民や歴史の授業であれば、異なる意見を闘わせて、答えはひとつではなく、社会的な立場によって主張や結論が異なることも分からせるようにする。学習指導要領に書いてなくても、教えるプロなら誰でもこのくらいのことは、わきまえているに違いない。

そして、問いを投げかけても、児童・生徒が簡単には答えてくれない。中高校生になれば答えではなくて、意見を出し合って議論を交わしディベートしてほしいが、不慣れなせいか時間ばかりかかって進まない。多くの教師がこのような経験をしたことであろう。大学生や院生も例外ではなく、問答法やディベート方式はあまり得手ではない。

一番の問題は、自分の意見より周囲に合わせる癖がついていること、つまり、意見の違いより、『みんなと同じ』で同調するほうを選ぶ点にある。だから、議論にならない。

小中学校の教室にクラスの目標などが掲げてあるが、『みんな仲良く』とか『学級の和』など、学級みんなで同じ目標を達成することを、強調するものが多い。そして、学校行事その他でも、集団の一斉行動などを通じて『和をもって貴しとなす』を身につける。

福沢諭吉の言う『多事争論』のように、異論を出し闘わせるなど夢のまた夢。真正面から異論を出すなど、意見の対立が人格の対立にまでなりかねない。だから、甲論乙駁ではなく、適当なところで『ごもっとも』と妥協してしまう。

こんな精神風土の日本と、ソクラテス以来の問答法と長い議会政治の歴史をもつ欧米とでは、超えなければならない壁があるな、と独り呟く。」

この文章を読み、「異を唱える」事が、子供と日本の未来の為にいかに大切かを改めて認識しました。ノーベル賞の受賞者数とか、PISAの試験結果とか、挙句は、東大への合格者数など、コンビニの売り上げ目標みたいな目標を掲げる教育政策では、国の未来は望めません。

戸田先生が描写した授業風景と対照的なのが、NHKの「課外授業 ようこそ先輩」の授業風景です。組織に属さず、自分の力で各界の第一線で活躍する人々が、出身校である小学校を訪ね、その専門とする世界と自らの人生について、後輩の子どもたちと対話しながら学ぶのがこの番組です。この授業で、活発に議論する児童の姿を見ると、一種の感動と共に、教師と児童の自主性の持つ創意工夫の力は馬鹿に出来ないと感心します。

「詰め込み」による、知識重視型の教育方針を反省して、経験重視型の教育方針をもって始めた「ゆとり教育」が目指したものは、この様な授業ではなかったのでしょうか?

私は、日本の問答無用の「詰め込み」教育の源泉を明治政府の政策に求めます。

近代化を急いだ明治政府は、勤勉で従順な国民性を涵養する事を目的に、明治19年に中学校令を発し地方や民間による教育を厳しく制限しました。それまでの日本では、多様な規模と内容を持つ「藩校」が各地に設立されました。

当初は禁止されていた庶民にも開放されたこれらの藩校は、広義では医学校・洋学校・皇学校など多種に亘り、各地方の特徴を重んじながら、第一に文を教え、後に武芸を学ばせる文武両道の教育を行い、地方文化の振興や、各地域から時代をリードする政治家や学者を輩出しました。

中学校令の目指した、何を考える事も無く、ひたすらペースメーカーのラビットを追って疾走する日本人の養成は、それなりに成功し、バブル破裂前の1980年代には、日本人が世界最速のグレーハウンド犬型人種である事を謳歌したものです。

価値の多様化が世界に広まった現在、When, Where, Who , How など御主人の決めた命題への取り組み方ばかり暗記させられ、肝心のWhat (何を) Why(何故)と言う目標設定に弱い日本人の実態が、サンデル教授の講義で明らかになったのが、同教授の人気沸騰の原因だとしたら、寂しい限りです。

教育に於ける国家の責務は、全ての国民が基礎学力を充実できる機会を持てる事に留めるべきで、どのような人間に子供達を育てるかという事は、そもそも国が関知すべき領域ではありません。自分の子供にどのような教育を受けさせるかを決定することは、国民=各家庭(親・保護者)の権利であり自由で、日本も「藩校制度」や「ゆとり教育」を見直すべきだと思います。因みに、この考えを信ずる英米両国では、教育の実権を国から奪い、全て民間か地方に任せています。

「和をもって尊し」の時代は終りました。今後は、多様性と地域性を重視した教育政策が求められており、今や、「異」を唱える長所を真剣に考える時代ではないでしょうか?

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