たまたま12月8日が大学の講義日に当たった。授業の冒頭、「今日は何の日か、知っているひとは手をあげて」と聞いた。だれも手をあげない。ひとり女子学生が答えた。「ジョン・レノンの命日です」。腹の中で「お前は日本人か」と叫んでいた。
ことし12月8日は太平洋戦争の開戦、日本軍の真珠湾奇襲から69年。来年で70周年になる。実は去年も同じころ、同じ質問をした。数人が手をあげ、正答した。12月8日が何の日か知らない若者が増えているという記事をどこかで読んでいたから、確かめてみたかった。若者でも日本人ならだれでも知っていると思っていた。だが、報道の通りだった。8月15日は何の日か、質問する気にはなれなかった。授業のついでに9月2日は何の日か聞いてみた。戦争というコンテキストでの質問だから正答はあった。だが東京湾上の米戦艦ミズーリ号で重光葵全権 が降伏文書に調印、国際条約上の終戦が確定した日であるということまでは知らなかった。
戦争の記憶は年々薄れていく。新聞やテレビがいくら戦争の特集をしても薄れていくのは仕方がないが、なぜあのような戦争を始めてしまったのか、語 り継ぐ責任が年寄りにはある。戦争の実体験がない戦中派の自分も高齢者に仲間入りしている。戦争体験を語り継ぐほどのものはないが、現代に最も近い戦争について、終戦の日の記憶は残り、開戦の日の記憶は薄れていく。敗戦という被害者意識は長く残り、加害者としての記憶は先に消えていく。人間という動物の記憶は都合よくできている。
私でさえ、日露戦争の開戦日、終戦日など覚えていないのだから、太平洋戦争がもう歴史の1ページでしかなくなっていても不思議ではない。戦争が始まった年、終わった年、それくらいしか歴史の教科書に残らない日はすぐそこに来ている。
コメント
今でも、そうだと思うのですが。
普通科高校には、日本の歴史と世界の歴史は、いちおうコースに入っている。でも、私が、高校生だった数十年前は、そういう近代史は、駆け足で、走ることになった。いまでも、同じように言う人がおおいんだから、多分、いまでもそうなんだろう。
というのは、世界史なんかは紀元前4000年のころから、やるので、どーしても、前が長すぎるから、こういうことになる。
あるいは、近代となると、日教組などの政治的な立場を反映して、教えがたいのかもしれないが。
だが、明治以降の近代は、現在のもとになっているところがあるので、本来なら、ポエニ戦争とか、テルモピレ-の戦い、あたりより、しっかり教えるべきだと思う。
この辺は、改善しようという気運は、あるのでしょうか?
秋に、ワシントンDCを旅したのですが、リンカーン記年堂で、ボランティアが、おのぼりの子供達に、エイブラハム・リンカーンについて語っているのを、よこで聞いていて、いいなぁ、と思いました。
お気持ちは察しますが、「お前は日本人か」などと
いうのは酷というものです。
なぜなら、それは戦後日本がずっと目をそむけて
きたことによるもので、その生徒個人の問題では
ないからです。
「お前は日本人か」と叫ぶべき相手は、本当は
戦後を生きた日本国民なのではないですか?
実際、テレビなどの特集でも開戦と終戦では、終戦
の方に重きがおかれてきました。
そうしてきたのは、今の学生ではないはずです。
むしろ、あなた方の世代の筈だ。
無論、戦後において開戦の経緯について考える
ことは、その責任に繋がることであり、心情的に
厳しいものであったでしょう。それを避けることは
国内の政治的状況を考えれば妥当性はあった
とは思いますが、同時に開戦についての様々な
問題を問うことを避ける結果となり、あの戦争の
終戦時の悲惨な結果ばかりに目を向けることに
なってしまったのではないですか?
具体的な記憶は薄れていますが、それは同時に
客観的に捉えることが出来るようになったという
ことではないでしょうか。戦後世代である私は、
今の時代にこそ、戦争を経験した世代が語れる
ことがあるように思えるのです。
開戦時に責任のある立場にあった人々はもう
いません。そういった意味では手遅れではあり
ますが、戦中を生きた方の経験を可能な限り
伝えて欲しいと思います。
我々日本人がアジアの人々に何をしてきたのかというところはしっかりと受け止めなければいけないと思います。
12月8日を教える事は、GHQにとって都合が悪かった。
こう考える事も出来ます。日本の開戦にはそれなりの
開戦理由が必要です。詳しく12月8日について教育する
事は、開戦理由をいい加減に教える訳にはいかなくなります。
GHQにとって、あの戦争は100%日本が悪く無ければ
なりません。日本にも日本なりの事情があったとは
教えたくなかったGHQにとって、開戦理由を曖昧にしたままで
原罪を背負わせる為には一部たりとも日本の正当性は
曖昧のままにしておきたかったと言う事だと思います。
終戦直後の7000余りの図書が焚書扱いとされたのも、
国粋派教職員が公職追放処分を受けたのも、その様な
理由からではないでしょうか?
戦争実体験の無い戦中派の先生ですから、
終戦直後は厭戦気分で一杯だったでしょう。
GHQ教育は、そうした厭戦気分ともマッチしていたと
思います。しかし、時代は下り、歴史として冷静さを
取り戻した現在の日本は、客観的にあの戦争を振り返る
事ができるのでは無いかと思います。
これからの教育で12月8日の意味を、学生達に
偏りない見方を教えて行けば良いと思います。
丸山眞夫が読まれてないのだから当然。
反教養主義の影響もあるでしょう。
それから大学の数が増えたこと、ゆとり教育の弊害もあるでしょう。
もっと冷静に多角的に考えることかと思います
戦後生まれの中年ですが・・まず、大東亜戦争を「太平洋戦争」で片付けておいて、それはないだろうと私は思います。呼称にこだわるものではないけれども、戦争の記憶を大事にされるのであれば、どうして呼称を疎かにするんでしょうか、ということです。
日本人には「敗戦という被害者意識は長く残り、加害者としての記憶は先に消えていく。」はないと思いますよ。原爆ですら「過ちは二度と・・」などというメンタリティの持ち主です。むしろ、開戦のあの奇襲攻撃を恥じ入るような、歪んだ空気にこそ問題があると思います。
真珠湾攻撃は、戦闘としては何ら恥ずかしがるようなものではなかったと、私は思います。(弊ブログ「真珠湾攻撃という偉業」)
http://blog.livedoor.jp/furusatochan/archives/3827181.html
開戦に至る経緯やその後の戦争指導の愚かさは幾ら反省してもし足りないけど、是は是、非は非として振り返る冷静さがなくてはならないでしょう。
中国人の作家でもし抗日戦争で日本が勝っていたらをシミュレーションした著書があります。また、米国人の著作で、太平洋戦争は無謀な戦争だったか?と言う表題のものがあります。
歴史物のIFです。戦前、戦中を冷静に眺められる様になったからこその著作物だと思います。
大日本帝国は日米開戦立案に当たり、何度も何度もシミュレーションを繰り返したそうですが、結果は日本の全敗だったそうです。それでも開戦に踏み切ったのは何故か?この何故?を学術的に研究しなければ、素人が感情的になっても答えは出ないと思います。
日本側の開戦前のシミュレーションとは真逆の結論を
後世になってから分析した米国人がいます。
歴史のIFと言っても、実戦上におけるいくつもの偶然を
元に、もしあの砲弾が敵の艦橋に命中したらとか、その様な
レベルのIFでは話になりません。勝てる可能性の話であれば
大戦略の観点で間違いがあったのか?戦略と実行に乖離が有ったなら、それは何故か?一人の司令官の判断が真逆の結果を生んだ可能性は?この様な観点から検証された著作となっており、日本人の思い込んだ頭をハンマーで殴られた様な感覚になります。
日本は米国人の言うところの太平洋戦争で勝つチャンスはあった。支那事変は大東亜戦争の敗戦に引きずられる形で敗戦した。つまり、米国に勝っていたら支那事変でも勝利した事になる。
さて、そのシミュレーションを綿密な分析を持って
行う事が、日本の再発見につながる様な気がしてならないのですが。失敗の原因も含めて、今の日本の欠点を再検証する事に
繋がるのではないかと思うのですが。
原 淳二郎先生
>なぜあのような戦争を始めてしまったのか、語り継ぐ責任が年寄りにはある。
先生は真珠湾奇襲攻撃に端を発する日米開戦はなぜ引き起こされたとお考えでしょうか?
厳密に言えば、国民党軍に米国は義勇軍の航空編隊を送り出しています。義勇軍とは言え、一国の航空編隊です。その時点で既に日米は戦争状態と言えなくもないと存じますが、米国の知識人はともかく、一般人にその認識はあるのでしょうか?そこも気になります。
>8
シナ事変は1937年に始まり太平洋戦争勃発まで勝利することはありませんでした。対中だけでも泥沼で勝利できないのに更に英米とも開戦して中国に勝てるわけないでしょう。
>9
シナ事変とは日本が名づけているのです。宣戦布告していたら「戦争」となるのですが、「戦争」では日本が世界で孤立してしまうのでシナ事変と当時は称していたのです。1935年に米国で成立した「中立法」では戦争中の当事国に対する軍事援助は禁止されてました。日本が戦争でなく事変としたから米国は共産党と対立してた国民党を援助出来たのです。
米開戦は日本が真珠湾を攻撃したから始まったのでしょう。米国は開戦の準備さえしてなかったのですから。窮鼠猫を噛むと言いますが、世界史上、これをやったのは日本だけだそうです。だから石油の封鎖をしてもまさかネズミが逆襲するとは思ってなかったのでしょう。北朝鮮が日本のマネをするかどうか興味のあるところです。
izumihigashiさん、日本が太平洋戦争で勝つ
云々なんてところまでいったら、客観性なんて
求められるレベルの話じゃないですよ。
開戦時において、戦争終結のための方策が
きちんと練られていたわけでもありませんしね。
別の決断であったらどうであったかなどという
ことは、どこまでいっても空想にすぎません。
それに意味が無いとはいいませんが、原氏が
求めているのは、敗戦という客観的な事実と
共にある被害者意識の裏で、消えつつある、
開戦という事実と共にあるべき加害者としての
自己認識でしょう。
日本が単なる被害者ということでなければ、
まさに客観的な認識を求めているわけです。
正当性云々であるとか、勝つチャンスがあった
かどうかなどは、そもそも問題にされてはいない
でしょう。原氏のスタンスがそういうものである
ならば、私は歴史を語る上でのあるべき姿勢の
一つであると評価したい。
10.
>シナ事変は1937年に始まり太平洋戦争勃発まで勝利することはありませんでした。対中だけでも泥沼で勝利できないのに更に英米とも開戦して中国に勝てるわけないでしょう。
いえ、8年間で泥沼と言いますが、泥沼なんてものではありませんよ。事変の初期で体制は決してしまい、あとはゲリラ対応だけの8年間でしょう。
結果的に対米戦争で勝利出来ればその後のシナ戦線の総仕上げも可能だったでしょう。そもそも日本研究の外国人が日本が勝つ可能性を論じているのですよ。その上で負けた結果を省みれば、敗因がリアルに浮かび上がってくるのではないでしょか?
米国人の分析によると、日本が真珠湾奇襲からの最初の半年で獲得した制海権を固める行動に出ていれば、当時のアメリカは欧州戦線が意識の中心でしたから、太平洋に大戦力は投入できなかっただろうと分析していますし、日本の当初の戦略では早期講和実現だったはず。緒戦の勢いを過信して、米豪補給線分断などと戦線を伸ばしすぎた事が日本軍の敗因だと結論付けています。英仏蘭は欧州戦線で手一杯のため、東南アジアに戦力投入できません。地の利を生かせば、その後に東南アジアを完璧に日本シンパの独立国家として同盟国化できたはずです。これも大東亜共栄圏という理念に照らせば不可能ではなかった。
そうやって考えていけば、どこがボタンの掛け違えポイントだったか分かってくるはずです。
11.
>別の決断であったらどうであったかなどという
ことは、どこまでいっても空想にすぎません。
空想と知った上でのIFであったとしても、そのIFが
本来の戦略に合致した判断だったかどうかを検証した上で、
逆の判断を下したゆえに起きた結果を分析すれば、
戦略が間違いだったのか、それとも司令官の判断が
間違いだったのかがわかります。そういった意味で、
例に挙げた米国人の著作は、偶然によって起こる事象に
対するIFは行わず、飽く迄も、大戦略、戦略の検証に
重点を置いています。
ま、くだけた表現で書けば、米国版「その時、歴史が動いた」
ですね。
戦線拡大は、想定以上に日本海軍は勝ち過ぎました。
これが成功体験となって、博打的な方向に戦略転換を
誘導して行った、これが日本の敗因だと書いています。
12月8日から何を学ぶか。私は加害者意識を改めて刷り込む
必要は無いと考えます。開戦理由と開戦時の戦略、それと実際に敗戦に辿り着く迄の流れを多くの日本人が学ぶこと。
そして戦争か平和かなど一色で塗り固めた様な意識を払拭する事が
大切だと考えます。
細かな日時を知らないぐらいで、「お前は日本人か」はあんまりです。
原さんは1944年生まれのようですね。その世代の人にとって、1941年12月8日という日付にはビビッドなものがあるのかもしれません。でも、たとえば原さんが20才だった1964年に、年配者から「今日は8月1日です。何があったか覚えていますか」といきなり問われて、「はい。今からちょうど70年前、1894年8月1日、日清両国は宣戦を布告し、日清戦争が始まりました」と答えられた大学生がどれだけいたでしょう。
優秀な原さんは答えられたかもしれませんが、大抵の大学生は無理だったと思われます。そして、その年配者は溜め息混じりに言ったことでしょう。「若者でも日本人ならだれでも知っていると思っていた」と。
大体、原さんの同世代の方々でも12月8日を知らない人などうじゃうじゃいるでしょう。誰しもが天下国家を憂いて、日々を生きているわけではありません。それが出来るのは政治家、官僚、マスコミなどの特殊な職業に就いている人間か、生活の心配をせずとも食べていける特権的な人間だけです。70年前の日付を知らないぐらいで、何だって言うんですか。
この文章からは、文化人の傲慢、年配者の狭量、専門家の嫌みったらしさしか伝わってきません。
>14の人
だいたい、日清戦争と太平洋戦争を同列に扱うことに無理がありますけど。
太平洋戦争があって、大日本帝国は終焉して、今の日本国があるわけですから。そういう意味で、20世紀の日本で、あえて、2つあげよ、というなら、12/8, 8/15は、やはり、特別な日なわけです。(ひょっとして、大日本帝国と日本国のちがいが、わからない?)
というわけで、わたしは、あなたのコメントは、なんだかねぇー、と思う。
izumihigashiさん、そんな空想の話をしているの
ではないのですよ。
実際に生じた事実についての認識、つまり国民の
記憶が、開戦と加害の記憶が都合よく風化される
と同時に、被害者としての立場からのものに偏重
していくということを原氏は指摘しているのです。
「開戦と加害」という部分の関連については、
疑問もありますが、「事実」についての認識を問う
ているのであって、それをどうしていたらよかった
というような話をしているわけではない。
「なぜあのような戦争を始めてしまったのか」と
「どうしていたらよかったのか?」は、違う問い
かけなのです。前者ほどの「事実」に対する
誠実な姿勢を、後者はもってはいない。
後者を意味がないとは言わないが、前者を
おろそかにしているのであれば、空疎な妄想の
域を越えることはないでしょう。
それから、あまりこういう場所において、どこかの
作家が云々ということを根拠に書くべきではあり
ませんよ。検証するほどの紙幅もないので
説得力もありませんから。
16.
大東亜戦争のような巨大な時代の流れみたいなものを、
加害者の記憶などと(これはGHQが徹底的に刷り込みたがった後付けの記憶の事ですが)一括りに論じる事など出来ようはずがありません。貴殿の仰る「事実」とは?会戦の事実なら双方それぞれ理由があるのですよ。理由など関係ないとすると、戦闘という行為が理由無き暴力に貶められてしまいます。戦闘行為そのモノが加害行為なんだ。加害者意識を薄れさせてはいけないんだ!とする方があまりにもセンチメンタルではありませんか?
それから現在の状況認識についても少し違和感があります。貴殿は原さんが開戦と加害の記憶が都合よく風化されると被害者としての立場からののものに偏重していく事を指摘していると仰いますが何らかの意図があってその様にしなければ加害者意識も被害者意識も同時に薄れていくものです。被害者の立場からのものに偏重するなら、被害者への立場に偏重する何らかの力が働いているとしか思えません。特亜三国は、日本に対する被害者の立場に偏重していると思われますが、それは戦後の教育によって限りない被害者意識の植込みが繰り返されたからに他ならないと理解しております。日本に対する憎しみの再生産に御付き合いして、日本人が不自然な加害者意識を持つ事は必要はありません。
>15の方へ
70年前の細かな日時に拘泥して、若い人をくさすのはのはいかがなものかと、14の書き込みをしたのですが、大日本帝国と日本国の違いですか…(笑)。比喩というものが通じないのでしょうか。
今度は、江戸日本や万葉日本でも引き合いに出そうかと思いましたが、面倒臭いことになりそうなので止めておきます。
>20世紀の日本で、あえて、2つあげよ、というなら、12/8, 8/15は、やはり、特別な日なわけです。
そもそもの原さんの記事には、「20世紀の日本で」とも「2つあげよ」とも書いてませんが何を言いたいのでしょうか?
「特別な日なわけです」と断言している根拠は?
いつを特別な日と考えるかなど、各人の勝手でしょう?
余計なお世話ですよ。
なのに原さんもあなたも、12月8日を特別視、絶対視して、その価値観に与しない人間を否定しようとするわけですが、そんなのは歴史オタク政治オタクのイチャモンというものです。
izumihigashiさん、被害者としての記憶を原氏が
否定されているわけでもありませんから、一括り
云々という批判は適当ではありません。
言われるようにそれぞれ理由があるわけですから、
日本が単なる被害者の側であるわけもなく、従って
加害者としての記憶に比して、被害者としての記憶
に偏重していることを原氏は、問題視されているの
でしょう。
これは妥当な姿勢であり、あなたの言い分からして
も評価すべきではないかと思います。
少なくとも、日本が太平洋戦争で勝利するまでの
空想を、とりたてて取り上げることよりは、センチ
メンタルではないでしょう。それは事実ですらあり
ません。
また、なんらかの意図云々について私は、すでに
2において開戦に至る責任について言及すること
は、心情的に厳しかったであろうことを指摘して
います。同時に、原氏の姿勢について批判もして
いるわけですが。確認していただければ幸いです。
wishborn2400さん
wishborn2400さんも原さんも12月8日、日本から仕掛けた開戦に責任があるとお考えのようですね。開戦の経緯について考えることはその責任に繋がると2.で書かれてますが、開戦以前の経緯をしっかりと意識しないと責任に繋がるかどうかさえ理解できなくなってしまうでしょう。その上で、この議論でずっと違和感を覚えている事があります。
あの戦争による戦闘行為を加害行為だと位置づけた場合、国民の反対を押し切って軍が勝手に暴走したのかと言えばそれはノーであり、多くの国民が軍を支持しましたから、国民が犠牲者ぶるのは責任逃れであり、軍だけでなく軍を支持した日本人全員に加害責任があると言う事になるでしょう。
私の違和感はこうです。そもそも加害者意識など持つべきではないはずなのに、なぜわざわざ戦後のGHQが創作した歴史観に基づいて後付された加害者意識が薄れていく事に懸念を持たなければならないのか?
世界中で、我々は加害者であると認識しようとか、加害者意識が薄れいく事に懸念を抱くなんて国がありますか?他国に被害を与えた事を未来永劫忘れてはいけないなどと教育する国が日本以外にありますか?
wishborn2400さん
確かに日米開戦の戦争全般に関する被害者意識は、
加害者意識と同様に持つべきではないと思います。
実際、日本人は戦争全般の被害者意識は持っていなくて、
軍需工場などとは関係ない都市の無差別爆撃や原爆に
対する被害者意識に限定されているのではないでしょうか。
そう言ったものを除けば、総じて日本人は戦争に対する
被害者意識は希薄だと思います。どちらかと言えば、
対アジアの加害者意識に偏重している様な気がします。
繰り返しますが、大東亜戦争やその前から続いている
支那事変について、過度な加害者意識も被害者意識も
持つべきではないと思っていますから、どちら方向への
偏重も宜しくないと思います。
ただし、個別具体的に戦争犯罪が有って、それに関わった
人間が加害者意識(贖罪意識)、又は被害者意識を持つ事は
当然だと思います。
一番問題なのは、事実のすり替えです。
嘘、ごまかし、なすり付けが、また日本以外の
各国で当然のように横行しています。
戦後の日本が世界の嘘、ごまかし、なすり付けに
対して、安易に合わせ過ぎた事で、日本が認めた
事になってしまっている事が問題です。
izumihigashiさん、国民が開戦に反対であったので
あれば、その責任を問うことに抵抗は無かったで
しょう。そうではないから、心情的に厳しいものが
あったでしょうといっているのです。
現実に焦土となり、多くの人命が失われた戦争を
始めることに賛成したわけですからね。
そうした当時の心情を指摘しているのであって、
あなたが現在、どう思うかは関係がありません。
また、国策として行ったことについて、被害および
加害という視点のない認識は、まったくご都合主義
というものでしょう。まるで他人事のようです。
どちらかに偏重するのも問題ですが、自分達が
歴史的に行ったことについて、主体的にとらえる
ことが出来ないというのでは、国民として無責任
な態度といわざるを得ません。
日本が単なる被害者でないならば、加害者として
の日本の姿も引き受けなければなりません。
それは他人事でもなければ、空想の出来事でも
ないのですから。
私は、30才になってから勤めていた会社をやめて学位をとることにしました。 うそかほんとうか知りませんが、 太平洋戦争が始まったことも知らないで、研究にうちこんでいた日本の学者がいたということを聞いておりましたので、 自分もそうしようと思いました。 ニュースは、 毎日発行される無料の学生新聞をさっと読むだけでした。 週末の半日だけは、子どもとワイフをつれて無料の公園とか景勝地をおとずれました。
今は退職まじかで、ろくな仕事もせずアゴラの記事を読んでアホなコメントをつけています。 昔のことがなつかしいです。
世界中見渡して、「我が国の加害者意識が被害者意識に比べて薄いからもっと加害者意識を持つべきだ」この様に論ずる国があるだろうか?
例えばロシア。日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に侵攻した事に加害者意識を持つべきだと論じているか?
少なくとも、世界中を見渡せば、被害者意識を何度も何度も上から重ね塗りして染み込ませる国は数多く存在するが、その逆は全く無い。日本を除いて。
もっと加害者意識を持つべきだとするこの精神構造こそが、戦後に植え込まれた自虐史観で有る事に、なかなか気づかない人がいる。
加害者意識を持つべきだと言うべき相手は、日本と戦った相手国であり、日本ではない。日本人として当たり前の感覚のはずだが、この常識が通用しない人が多い。
izumihigashiさん、あなたは他の国がどうだからなど
というような基準でものを考えているのでしょうか?
他の国がやってるから、そうする。
他の国がやってないから、そうしない。
それを主体性がないと言っているのが、理解でき
ていないようですね。
いまから20年近く前の12月8日に、高校の数学教師が今日は何の日かということを聞いていたが、レノンの命日という回答はあっても、真珠湾攻撃の日ということを知らない生徒はいなかった。そのことを思うと隔世の感がある。確かに、上述のコメントは一部の冷笑を除いて、建設的・批判的に考えている。8月15日は原爆とかと並んで情緒的な特集を組みやすいが、12月8日こそ冷静な議論ができるテーマなのだ。そして、それを避けてきたことの弊害は大きい。