ユニクロよりもはるかに明るいユニチャームの将来

加藤 鉱

Kaisha Rogo

昨年11月に「ユニクロの致命的な弱点見つけたり!」というタイトルでファーストリテイリング社に対する懸念を記し賛否両論が渦巻いた。しかしながら、現実をみれば、同社の国内既存店売上高は5カ月連続のマイナスを記録、早くも2020年5兆円構想は画餅かと言い出す気の早い関係者もいるほどである。


計画通りに売り上げが伸びないのはなにもユニクロに限らない。商品ライフサイクルが極端に短いうえに、ヒット商品を連続して世に送り出さなければ持続的な高度成長を実現できないのがアパレル企業の宿命だからだ。

【海外で高く評価される高付加価値製品】

将来どうなるか心配なユニクロと違い、同じく頭に「ユニ」が付くのに、生理用品やオムツのトップメーカー・ユニチャームの将来は、よほどなチョンボをしないかぎり、そうとう明るいはずである。

アメリカ在住の友人によれば、同社の老人用オムツやペット用オムツについては、日本よりも欧米はじめ海外のほうで高く評価されているという。中国の広東省広州市に住む日本人駐在員からはこんな話を聞かされた。

「アッパーミドル以上の人たちは安心、安全、繊細で使い心地に優れた日本メーカーの日用品を好んで使っています。なかでもユニチャームの高付加価値製品に対する信頼は厚く、少々価格が高くてもユニチャームを選ぶ人が多い」

こうした評価はリピーターの増加が至上命題である日用品メーカーにとり理想的といえる。

同社の売上の海外比率は4割超で、日本の日用品メーカーのなかではトップ。今年の春には上海に中国本社を置き、商品開発や投資に関する権限を持たせると聞く。

売上高こそ同業の米P&Gや仏ロレアルに敵わないものの、現在のユニチャームはワールド・ブランドにまで成長を遂げてきたと言ってもいいだろう。

知っている人には釈迦に説法だろうが、もともと木毛セメント板製造販売会社だったのを生理用品製造販売に切り替えたユニチャーム創業者の高原慶一郎さんは1962年、生産性本部のアメリカツアーに参加、挫折感に打ちのめされた。とりわけP&Gの工場見学は衝撃で、「こんな凄い会社があるんじゃオレの商売は駄目だ」と諦めて帰国してきた。

【日本人女性の苦痛な生理対策に貢献】

だが、思い直して今度は小売業を対象とするメンバーシップ制の研究団体ペガサスクラブのアメリカ視察で、メーカーでなく小売業の現場を回った高原さんはびっくりした。生理用品がスーパーマーケットで「セルフ」で売られている現場を目の当たりにしたからだった。当時の日本では、生理用品は薬屋で買うのが常識で、しかも対面販売であった。蛇足だが、アメリカではコンドームまでセルフで売られていた。

よくよく考えてみたら、女性が生理用品を薬局で買うとき、ケースの中を指差して「あれ見せて、これ見せて、特徴はどう違うの?」とは恥ずかしくてとても聞けない。

かたやアメリカではセルフだから、お客さんが吟味して納得して買える。これこそ本当の買い方だと高原さんはわかった。セルフという別のルートに目覚めた。

それで彼は販売ルートの変更に踏み切った。

薬局、問屋ルートではなくて、スーパーマーケット・ルートにして、ユニチャームは大化けし、P&Gが攻めてきてもビクともしない存在になった。

楽しく十分な吟味で満足して買える状態というのは、小売業のあるべき姿である。

ユニチャームがスーパーマーケットで生理用品を売れるようになったことで、日本人女性が苦痛な生理対策を十分に講じられるようになった。こういうのが世の中への本当の貢献というものだと思う。

こうした販売チャネルの変更・拡大によりもっとも大きな成功を収めた日本企業はどこか?

それは間違いなく資生堂だろう。

引退した福原義春会長の課長時代、資生堂は化粧品のスーパーマーケットでの販売を開始した。資生堂は上陸してきた外資化粧品にしてやられるだろうと誰もが思っていた時期だったけれど、見事にトップの座を守ってみせた。

思い出すのは、当時のメディアの勘違いだ。メディアは異口同音に資生堂の成功のカギは価格維持政策にあると伝えていたが、実際には販路拡大であったのだ。

ノンフィクション作家 加藤鉱