虫の眼をもつ官房長官

2011年01月12日 18:20

 「いわゆる平和憲法だけで平和が保障されるなら、ついでに台風の襲来も憲法で禁止しておいた方が良かったかも知れない 」

 これは哲学者、田中美知太郎氏の名言で、憲法で平和が得られるとする空想的な考えをうまく皮肉っています。これを思い出したのは先日、韓国軍が予定していた砲撃訓練に対する仙谷官房長官の次の発言からです。

「韓国政府には通常の軍事演習を自らの判断で行う権利がある」


 韓国が北朝鮮側の反応を警戒しつつ演習の時期を決めようとするとき、「行う権利がある」と権利の問題として扱うのは違和感というか、いささか奇怪な感があります。これは北朝鮮との緊張を孕んだ外交の問題であり、権利の有無など、意味のある問題とは思えないからです。この発言を聞くと、長官が全体的に問題を把握されているとはちょっと想像できません。

 これが平和憲法で平和が保障されるという話と似ているのは、敵国や北朝鮮という相手があるのにも拘らず、法の問題として扱うところです。戦争になっても相手が法を尊重してくれると考えるところが滑稽です。

 また、仙谷長官は尖閣の映像が流出した後、非公開の意味がなくなったにもかかわらず、公開しない理由として、政府が一般公開すると秘密性が低くなり、流出犯人が検挙・起訴された場合の量刑が下がる恐れがあることを挙げています。

 重要な外交問題に対して、流出犯の量刑などという瑣末なことを問題にする思考は驚くべきもので、凡人の理解が及ぶところではありません。問責決議の可決も法的拘束力はないと主張される仙谷長官の眼中には法のことしかないのでしょうか、それとも木を見て森を見ずで、目先のものしか見えない眼をお持ちなのでしょうか。

 鳥の眼、虫の眼などといいますが、俯瞰的な思考が得意な人もあれば、小さな部分ばかりにこだわるのが得意な人もあります(むろん両方できる人もいますが)。時間的にも数年先、数十年先を視野に入れる人もあれば、せいぜい数日先までの人もあります。この違いは後天的なものもあるでしょうが、生得的なものが強く影響しているように感じます。近視眼的な人物が急に大所高所からの見方をするようになったことはあまり聞き及びません。

 国家百年の計という言葉を持ち出すまでもなく、内閣の中枢である官房長官は大局的、長期的な判断が必要な立場です。重箱の隅をつつくような、狭い範囲に集中する能力もまた貴重なものだと思いますが、官房長官としてはいささかミスキャストの感があります。

 もし尖閣諸島が他国軍に占領された場合、仙谷長官なら占領国に対し、きっと明け渡しの訴えを那覇地裁などに起こされることでしょう。

 まあ他に誰もいない、ということであればそれも仕方がないことかもしれません。民主党の表看板、歴代首相などを観察すれば、人材難が相当深刻なことは容易にお察しできますので。

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