「自己本位」の時代

山口 巌

アルファブローガーのちきりん氏が本を出した。きっと、売れると思う。時代が彼女の存在を求めているからだ。体に合わない洋服を、無理して着るのでは無く、服を体に合わすべきだと、人々は思い始めてるからである。

どうも、世の中には二通りの人間が存在する様である。

前者は、自分が世の中に適合出来ない場合、世の中を積極的に変えようとする人種。

曰く、政治家、政治家の支持者、社会活動家、そしてアゴラやBlogosに投稿する人達。

後者は、本を読んだり、セミナーに出席して、自分を磨き、世の荒波を乗り切る人間に成ろうとする人種。大好きな言葉は、無論、「自己啓発」である。

最近迄、隆盛を誇ったカツマーは、此の代表だと思う。

所で、一時あれ程までに増殖したカツマーは、一体何処へ行ってしまったのであろうか。本を読んでも、セミナーに出席しても、結局何も変わらない事に気付き、カツマーを廃業したのだろうか。

それとも、あれ程努力して成ろうとした、当時の理想像が、所詮借り物で、本当に自分が成りたい人物像とは違う事に、気が付いたのであろうか。

人が、本来、ありもしない理想像を求めて、本を買ったり、セミナーに出席したりするには背景がある。学校での体験である。

男女を問わず、顔が可愛く、運動が得意で、運動会では決まってスター、そして勉強も良く出来る。こういう生徒は必ず居て、教師の寵愛を受ける物である。

他の生徒は、どう見ているのだろうか。嫉妬、羨望、諦念。何れにしても成長してからの、彼らの行動基準に何らかの影響を与えている事は確かだ。

今は、大卒の就職難が悲惨で、就活も何かと話題に成る事が多い。唯、中には大した努力もせずに、一流大学に進み、スポーツマンで快活、しかも中々のルックスと言う若者も居るだろう。要は、昔も今も好まれる若者像である。

こう言う若者は、会社の玄関に並ぶ、一般就活者の長蛇の列を横目に、そっと別の入り口から通され、面談と言う名の、先輩との懇親をさっさと済まし、何の苦労も無く内定を得る筈である。

どうも、世の中全体が、こういう若者像をステレオタイプな、あるべき若者像として描いているのでは無いか。そして、各個人との差異を、まるで克服すべき課題の如き印象を与えている。此れは大きな間違いである。

そして結果、克服する為の、ハウツーとしての本の出版や、修行の道場として、多くのセミナーが開催されたのでは無いか。

こんな、ある意味、出来過ぎの若者と自分を比較しても、不幸に成るばかりで、何の将来も開けて来ない。此れは、生まれながらの個性の違いなのである。

当たり前の話であるが、人は基より十人十色である。顔の美醜。身長の高低。デブと痩せ。頭の賢愚。性格も無論色々。此れを一つの理想像に収斂させようとするのが、そもそも無理なのだ。

世の中や、マスコミから与えられる価値観こそが曲者である。間違いだらけであるし、一体どういう権限があって彼らは、彼らの価値観を世に広めているのであろうか。

こういう、外から与えられた価値観は、体型に合わない洋服みたいな物で、個人は、窮屈で結果、ちっとも楽しく成らない。

こんな、お仕着せの洋服は、さっさとゴミ袋に捨ててしまい、「自己本位」と言う自分に合った服を着るべきだと思う。体に合った服を着れば、気分も自由に成るし、街の風景も、今までとは違って見えてくる筈である。

此れは、少しも難しい話では無い。カレーの好きな人はカレーを食べる事で幸せに成るので、カレーを食べるべきである。ラーメンの好きな人は、同様ラーメンを食べるべき、と言っているだけの話である。

大事な事は、個人個人が「自己本位」と言う、自分だけの地図とコンパスを持つことなのだ。

コメント

  1. bobbob1978 より:

    「世の中や、マスコミから与えられる価値観こそが曲者である。間違いだらけであるし、一体どういう権限があって彼らは、彼らの価値観を世に広めているのであろうか。」

    マスコミの仕事のうち、ジャーナリズムは極一部であり、その他ほとんどの仕事は資本主義の広告塔としての仕事です。彼等はスポンサーから金を貰い、消費することを煽り、善き消費者であることを奨励します。スイーツ脳やお馬鹿キャラが持て囃されるのは彼等が「善き消費者」だからです。そしてオタクや草食系が揶揄されるのは、彼等がマスコミのスポンサーの商品を購入しない「悪しき消費者」だからです。
    既にそのことに気付き、自分たちの道を歩き始めている人もいます。しかし、未だにマスコミの掲げる「善き消費者」像を「善き人間」像であると勘違いし、「善き消費者」になるための努力に勤しんでいる人もいます。哀れなことです。

  2. mtcrk より:

    本当にそのとおりだと思います。多くの方が気づいているのに、どうしようもできない時代が長く続いてきました。自分も若いときから、そう思っていながら周囲に適応しようと思えば、マスコミの作る価値観に合わせたふりをするしかない。医療、教育関係で少し啓蒙する立場になって、メディアの弊害と青少年などのテーマで各所で話したりしていた時期もありましたが、まさにアリで戦車に立ち向かうようなものでした。
    学会とかであってもマスコミ構造の批判はタブーであったり、最初から恵まれてきた方たちはそもそも、気づいていない。
    色、金などの欲が残っているうちは、マスコミ批判しにくいですよね。もう自分は欲もなく、真から、この国と青少年の未来が心配ですが(それも偽善に聞こえるかも・・。)諦めの心境。池田さんや山口さんの提言には本当に敬服しますが、所詮日本では焼け石に水。テレビ局の責任は秋葉原の加藤などとは比較にならないくらいだと思いますが(何人殺しているか検討もつかないくらいだと思います。)誰も責任はとりませんものね。