NHK,「無縁社会」

2011年02月14日 10:43

NHKが此の週末に、又放送したのだそうだ。番組は観ていない。池田信夫先生のブログで知ったのである。

随分以前から、此のテーマで放送している様だが、一体誰が熱心に観ているのだろうか。実に興味ある。

普通に想像すれば、20~30代の非正規社員が、安アパートで膝を抱えながら食い入る様に観ているイメージだが、実はそうでは無いと思う。

30~40代の正社員で、私鉄沿線の、駅から歩いて5分程度の便利の良い、コンパクトで住み心地の良いマンションに一人暮らし。一階はコンビニで、冷蔵庫代わりに使っている。

歩いて5分圏内に、スポーツジムやDVDのレンタルショップ、色んな種類の飲食店があり、一人暮らしに何の不便も無く、独身生活を謳歌している。そのな人達が、実は熱心に此の番組を見ているのではと、想像するのである。

死への漠然とした不安、つまり、剥き出しの個人として、遅かれ早かれ「死」と対峙しなければ成らないと言う、いつか来るべき時への不安が根底にあるのでは無いか。それ故、無縁とか、非正規社員と言うのは、成程今風で、取敢えずの掴みには成るが、本質論では無いのでは無いかと思う。

私は兵庫県の山間で、生まれ、育った。当時どの家にも床の間があり、その隣は仏壇である。何時も何がしかのお供えが置かれていた。
そして、その部屋には既に無く成った先祖の遺影が飾られていた。

此の部屋に寝起きするのは老人で、病に伏せっている人も多かったと思う。病気が重篤に成り、此の部屋で寝込む時間が徐々に多く成り、遂には、此の部屋であの世に旅立つのである。

考えて見れば、以前は、何処の家にもあった仏壇の部屋は、娑婆とあの世を結び付ける空間であった様な気がする。

子供時分に随分可愛がって呉れた祖父母の死に接する。そして、成人後、両親の死を迎える事に成る。随分、辛くて、悲しい経験であるが、人は此の運命から逃れる事は出来ない。受け入れるしか無いのである。

こういう悲しい経験を繰り返し、先祖の眠る墓に参る事で、我々は何と無く「死」の意味を理解し、自分も何時か死に、そして自分が随分墓参りに通ったその場所に、祖父母、両親と一緒に葬られる事を理解し安心する。

此処が最後に帰る所。そして自分がそうした様に、子供達や孫も会いに来てくれる。そういう、心の安心があったのでは無いだろうか。

都会のコンパクトなマンションは清潔で機能的である。無論、仏壇等無く、死の影を感じる事は皆無であろう。その分、死を切り離す事が出来ず、死に対する漠然とした不安を、自己の内部に抱え込むと言うのが、現在の都会に暮らす日本人では無いだろうか。

仏陀が、何千年も以前に喝破した通り、人生とは、「生」、「老」、「病」、「死」に過ぎない。生まれた瞬間にタイマーのスイッチが入り、死に向かい歩き始める。無縁とか非正規社員とかとは違う、人間の根源的な話である。

子供を持つものは、DNAが子孫に受け継がれるが、子供の無い人間は祖先から受け継いだDNAの連鎖が死を以て断ち切られる。此処は多分大きな違いだろう。独身の不安と寂しさの根底に此れがあるかも知れない。

シェークスピア、4大悲劇の一つ、リア王の有名な台詞に、「人は泣き叫びながら生まれ、不満のままに生き、絶望して死ぬ」と言うのがある。此れは真理と思う。

実も蓋も無い話かも知れないが、人生とは不満との二人左脚であり、絶望の中で人生を終えるのも、普通の話である。何ら不幸で特別な事では無いのである。

政府が、或いは社会が、何かをすれば人生に於ける、不満が無く成り、死に臨んでの絶望が消え去る事等有り得ない。有体に言えばそれは詐欺である。

こうすれば、貴方の将来への道は開けますよと囁く、怪しげな自己啓発のセミナーと五十歩百歩であると思う。

こういう類の番組の放送を何時までも続ける、NHKの意図が良く判らない。

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