NHKが此の週末に、又放送したのだそうだ。番組は観ていない。池田信夫先生のブログで知ったのである。
随分以前から、此のテーマで放送している様だが、一体誰が熱心に観ているのだろうか。実に興味ある。
普通に想像すれば、20~30代の非正規社員が、安アパートで膝を抱えながら食い入る様に観ているイメージだが、実はそうでは無いと思う。
30~40代の正社員で、私鉄沿線の、駅から歩いて5分程度の便利の良い、コンパクトで住み心地の良いマンションに一人暮らし。一階はコンビニで、冷蔵庫代わりに使っている。
歩いて5分圏内に、スポーツジムやDVDのレンタルショップ、色んな種類の飲食店があり、一人暮らしに何の不便も無く、独身生活を謳歌している。そのな人達が、実は熱心に此の番組を見ているのではと、想像するのである。
死への漠然とした不安、つまり、剥き出しの個人として、遅かれ早かれ「死」と対峙しなければ成らないと言う、いつか来るべき時への不安が根底にあるのでは無いか。それ故、無縁とか、非正規社員と言うのは、成程今風で、取敢えずの掴みには成るが、本質論では無いのでは無いかと思う。
私は兵庫県の山間で、生まれ、育った。当時どの家にも床の間があり、その隣は仏壇である。何時も何がしかのお供えが置かれていた。
そして、その部屋には既に無く成った先祖の遺影が飾られていた。
此の部屋に寝起きするのは老人で、病に伏せっている人も多かったと思う。病気が重篤に成り、此の部屋で寝込む時間が徐々に多く成り、遂には、此の部屋であの世に旅立つのである。
考えて見れば、以前は、何処の家にもあった仏壇の部屋は、娑婆とあの世を結び付ける空間であった様な気がする。
子供時分に随分可愛がって呉れた祖父母の死に接する。そして、成人後、両親の死を迎える事に成る。随分、辛くて、悲しい経験であるが、人は此の運命から逃れる事は出来ない。受け入れるしか無いのである。
こういう悲しい経験を繰り返し、先祖の眠る墓に参る事で、我々は何と無く「死」の意味を理解し、自分も何時か死に、そして自分が随分墓参りに通ったその場所に、祖父母、両親と一緒に葬られる事を理解し安心する。
此処が最後に帰る所。そして自分がそうした様に、子供達や孫も会いに来てくれる。そういう、心の安心があったのでは無いだろうか。
都会のコンパクトなマンションは清潔で機能的である。無論、仏壇等無く、死の影を感じる事は皆無であろう。その分、死を切り離す事が出来ず、死に対する漠然とした不安を、自己の内部に抱え込むと言うのが、現在の都会に暮らす日本人では無いだろうか。
仏陀が、何千年も以前に喝破した通り、人生とは、「生」、「老」、「病」、「死」に過ぎない。生まれた瞬間にタイマーのスイッチが入り、死に向かい歩き始める。無縁とか非正規社員とかとは違う、人間の根源的な話である。
子供を持つものは、DNAが子孫に受け継がれるが、子供の無い人間は祖先から受け継いだDNAの連鎖が死を以て断ち切られる。此処は多分大きな違いだろう。独身の不安と寂しさの根底に此れがあるかも知れない。
シェークスピア、4大悲劇の一つ、リア王の有名な台詞に、「人は泣き叫びながら生まれ、不満のままに生き、絶望して死ぬ」と言うのがある。此れは真理と思う。
実も蓋も無い話かも知れないが、人生とは不満との二人左脚であり、絶望の中で人生を終えるのも、普通の話である。何ら不幸で特別な事では無いのである。
政府が、或いは社会が、何かをすれば人生に於ける、不満が無く成り、死に臨んでの絶望が消え去る事等有り得ない。有体に言えばそれは詐欺である。
こうすれば、貴方の将来への道は開けますよと囁く、怪しげな自己啓発のセミナーと五十歩百歩であると思う。
こういう類の番組の放送を何時までも続ける、NHKの意図が良く判らない。
コメント
>こういう類の番組の放送を何時までも続ける、NHKの意図が良く判らない。
簡単ですよ。NHKとか朝日とかの中高年左翼層は今の快適で優遇されている自分たちが既得権であることを自覚しつつ日本破綻後の免罪符を今から創作しているだけです。きっと将来告発されたら「俺たちはいつだって君たち弱者の味方だったよ」。何のことはない。天下り工作する官僚とかわりません。
あの世がある前提で生活していると、死ぬために生きるような社会通念を持つ異常で虚弱な集団が、特定の閉ざされた地域上で、ひとつの文化としてゆっくりと衰退していくのは、ガラパゴスの生物の歴史を見てもあきらかです。
死ぬため(=生きる目的が無い)なら、一人でいることを、いずれは選び(ばざるを得ない)ますよね?それが、いよいよ現実化したというのが、今の無縁社会です。
番組みてからならわかるんですが、見てもないのに批判する意図が良く分からないですね。
> NHKとか朝日とかの中高年左翼層は今の快適で優遇されて
> いる自分たちが既得権であることを自覚しつつ日本
> 破綻後の免罪符を今から創作しているだけです。
朝日はともかく、NHKとか宇野さんとか、そのほかのいわゆる「大学教授」とかのいわゆる「インテリ層」は、そういう「職種」とかメディア「作成側」であるかぎり、主体性を急進的にそこから脱して「既得権」以外のポジションにつくことは出来ない。
かといって、彼ら全員を「敵」とみなして、自分たちの免罪符を作っているだけだとつっぱねるような考えは対話の可能性を狭めるんじゃないかと思う。みんな一緒の「国」に住んでるんだし。宇野さんなんかかなりNPOの人たちと近いポジションだったじゃん。
内容を見ずに、いう人って、やっぱり多いのかな。
NHKのいいたいのと、ここで論じる死云々は、ぜんぜん違う。
と感じた。個人の感想だけど。事実認識→評価という点では、事実認識(番組を見る)すらなく、ではその先にある評価(感想)}は、何者なのだろうか。という自分も馬鹿なので、言ってることは見当違いかもね~。
>一体誰が熱心に観ているのだろうか。実に興味ある。
もちろん勝ち逃げできる高齢者世代でしょう。
私鉄沿線の便利なマンションに住める位の甲斐性あれば、
わざわざ自分の生活を否定されてる番組を見て先行き不安で怯えているだけという事はないのでは。
あまり中身のない記事を毎日、投稿するのはやめてください。それと無駄な漢字が多すぎます。「此の週末に」とか「そうでは無い」とか、ふつう漢字で書かないでしょう。もうちょっと考えて、コンパクトに書いてください。
>彼ら全員を「敵」とみなして、自分たちの免罪符を作っているだけだとつっぱねるような考えは対話の可能性を狭めるんじゃないかと思う。みんな一緒の「国」に住んでるんだし。宇野さんなんかかなりNPOの人たちと近いポジションだったじゃん。
宇野氏は孤軍奮闘でNHKのクソ企画に気づいたこれからの世代。団塊左翼富裕世代はそれ以降の世代にとって敵以外の何物でもないでしょう。以下のつぶやきに私は前面的に賛成する。免罪符というよりほとんど詭弁か言い訳でしかない。
「若い時は自由を謳歌してきた団塊世代が、いざ引退する段になり、都合良く「縁」を求めているだけではないのか。
> 「若い時は自由を謳歌してきた団塊世代が、いざ引退する段になり、都合良く「縁」を求めているだけではないのか。
この特集は、団塊世代の話じゃなくて「若者に縁がない」という話じゃない?まぁ、結局奥村みたいなのは「自分から縁を求めろ」という精神論に行き着いて、「だから私たち団塊世代が育てたおまえら若者は私たちが引退しても縁をなくさずに死ぬまで私たちを介護しろよ」という結論になるわけだろうけれど。
でも宇野さんとか、その上の世代でもNPOの人たちとかは、必ずしもそういう安易な方向に流れてなかったと思うよ。
agora様
力及ばず、結果駄文を連日投稿してしまい、誠に申し訳ありませんでした。当分謹慎し、今少しまともな文章が書けるように成れば又投稿させて戴きます。2か月に渡り投稿ご許可戴いた事、本当に感謝しております。色々勉強になりました。
山口 巌
ちょこちょこエントリは拝見しておりますが、概ね素人の私としてはなるほど、と思わせられるものが多く、楽しみにしています。
ただ、このエントリはいただけません。
駄文というのは、感情的な中傷で気にすることではないと思いますが、仮にも公の場で論じるなら、最低限番組を見るのはマナーというか、それはもう半ば義務、責任というものじゃないかと思います。
というのも、件の池田信夫氏も僕の見たエントリでは「番組を見ていないけれど・・・」的ニュアンスで語っておられます。
その件に関して、番組を見ないで批判するのは研究者としていかがなものか、疑問を呈するコメントを書き込みましたら、お気に召さなかったのか、承認されなかった様子でした。
そもそも見ていない人が思い込みで書いたエントリを見て、別な方が想像でエントリを書くというのは2重の不確実性が絡むわけですし、やはり批判する対象を自分の目で確かめないで批判するということは専門家としては厳に慎むべきことではないでしょうか?