日本中の大学がカンニングだらけなのでは?

2011年03月06日 01:43

携帯によるカンニングのウワサを、大学の教職員で聞いたことが無いなどという者はいまい。にもかかわらず、諸事情で見て見ぬふりをしてきた、というのが、実際ではないのか。それゆえ、いまどき、まともな大学、まともな教員なら、あんな百年一日の情報を問う問題ではなく、もっとまともな学問らしい問題の出し方を工夫するはずだ。


この手の学生の話をこれまで大学の教職員で知らなかったとすれば、よほど耄碌している。昨今の携帯電話なら、漢字や単語を調べるなど、あまりに容易だ。そうでなくても、ウェブにつながるのだから、ウィキベディアでもなんでも、簡単に見ることができる。やるやつがいないと思う方がおかしい。

ところが、試験のカンニングは、じつは、へたに摘発すると、その始末がものすごく面倒くさい。そもそも、学校たるもの、学生を信用しているのが大前提。「机間巡歩」して、試験監督が直接に「現認」しても、あくまで「推定無罪」だから、証拠を押さえなければならない。ところが、それが携帯電話となると、「プライヴァシー」がどうのこうまで絡んできて、試験監督がその場でそれを没収できるのか、「無罪証明」をさせるために、そのログの開示を要求できるのか、と、混ぜっ返す教員がかならずいる。それで、大学は、いきなり腰が引けてしまう。現に、ある大学では、学部長が証拠無しの摘発として試験監督の方を叱責して、学生に謝罪させ、カンニングを無かったことにしてしまった、なんていう、むちゃくちゃな話も流れている。

大学、とくに末端の地方私立大学では、もとより学生が足りない。カンニングでもなんでも、一人でも学生に入学してほしい、というのが本音だろう。そして、入学したら、へたに留年などさせず、身ぎれいなまま、どこでもいいから、とっとと就職させたい。こんな状態で、どうして本気でカンニングの摘発などできるだろうか。とにかく大学に来て、答案用紙になにか書いてくれれば、それでいい。一般に、全講義回数の三分の二の出席が受験資格だが、きっちり毎回、出席を採ると、試験前に出席不足でひっかかってしまう学生が続出してしまうので、出席そのものを採らない、という先生も少なくない。

親も親だ。自分の子が出席不足で留年したら、息子の話では、自分だけいつも名前が呼ばれなかった、と言っている、なんという差別だ、と怒鳴り込んできた、なんていうことが、どこかの大学であったそうだ。大学側もいちおう再確認するが、その学生の欠席の日は、全教員で一致。肝心の息子は、どこかへ雲隠れ。だいいちその親というのが、どこぞの県の教育関係者だったとか。

こんな話、しょせんこの業界の中での風のウワサにすぎないが、いかにもありそうなところが恐ろしい。だから、近年のまともな教員であれば、いまどき、出席も確実に証拠が残る方法を工夫しているし、試験でも携帯電話ごときでかんたんにカンニングできるような問題は出さない。カンニングをするやつが悪いに決まっているが、とっくに時代が変わっているのに、こんなにかんたんにカンニングができるようなことを、いまだに惰性でやっていた大学こそ、おおいに問題だ。

そのうえ、今回、カンニングそのもので受験生が逮捕されたわけではない。試験時間中の問題の流出を「偽計業務妨害」だとして、大学は外部の警察を「利用」して、労せずしてカンニングをした受験生を特定した。これも、この受験生と同種の、大学側のカンニングではないのだろうか。問題の流出に気づいたのも、大学自身ではなく、2日目に外部から電話で指摘されてから。前日にも、数学の問題が流出していたのだから、ちょっと自分で検索さえかけていれば、1日目の段階で、すぐに阻止することもできたはず。まして、他の大学は、まったく気づいていなかったらしい。しかし、試験問題の予備校との重複や出題のミスは、おうおうに起こりうることであるから、終了したのちにネットのモニタリングをしてウワサをフォローすることも、試験業務のうちではなかったのだろうか。

今回の受験生は、まぬけにも、だれでも見られる掲示板なんかに質問したから、すぐに発覚した。しかし、ちかごろは、卒論まで、代筆します、なんていう業社がいるくらいだから、ほかの学生、ほかの大学にも、携帯を使ったカンニングが無かったなどとは、容易には思えない。

だが、そもそも、いまどき、調べればすぐにわかる、人に聞けばすぐにわかる、などという「情報」は、もとより大学水準の「学問」とは関係があるまい。携帯ごときでは転送できないくらいの量の混乱錯綜した英文資料を渡して、その中から真実を読み取らせ、本人の国際的な見識を問う、とか、立方体と正十二面体でエレガントな問題を作らせる、とか、いくらでも問題そのものの工夫の余地がありうるのではないか。文科省がうるさいのかもしれないが、あの程度の百年一日のつまらん問題を出すような大学は、学生以前に、貴重な税金で運営する研究機関としてのセンスが疑われる。

大学水準の「学問」という高い壁を前にしては、教員も、学生も、なんの区別もありはしない。だれもがただ真摯に学ぶ者だ。大学人であれば、問う者もまた、その問い方で、つねに同時にみずからも問われていることに、気をつけなければなるまい。
( 純丘曜彰 大阪芸術大学 芸術学部哲学教授)

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑