やはり「日本人はすばらしい」―池田先生への反論

北村 隆司

池田先生は「日本人はすばらしい?」と題するブログ記事で「地震の規模に比べて被害が小さく、人々が整然と行動したことを海外のメディアが『日本人はすばらしい』と賞賛し、それを日本人が引用するのが目立ちます。同様の話は阪神大震災のときも見られ、ある種のステレオタイプでしょう。」と風刺されました。


何処の国の人間でも、己の言動が国境を越えた感動を呼び、称賛を受ければ、其れを誇りに思うのは当たり前です。池田先生独特の風刺だとしても、他国に称賛されて喜ぶのがステレオタイプだと皮肉に解釈するのは、余りに素直さに欠け賛同できません。

知的レベルの向上も大切ですが、他人からの賞賛を誇りに思う素直な人間性は、競争過多に走り勝ちな近代社会では特に大切な様に思います。

惨事の際に日本人が示した冷静沈着な行動や、自己の利益を後回しにしても弱者に手を差し伸べる国民は、世界広しと言えども稀有の部類で、各国の称賛を集めるのは当然です。

世界の大災害に必ず起きる「略奪と無法状態」が日本ではなぜ起きないのか?と言う問いかけに、CNNの世界各国の視聴者から「敬意と品格に基づく文化だから」「愛国的な誇り」等々の感嘆の声が寄せられたそうです。

池田先生は、海外メデイアの称賛を引用するのがステレオタイプだと皮肉られますが、政治、経済、哲学の分野での日本の学者の海外権威者の引用の多さから比べれば、少ないように思えます。

一方、日本人は「悪法も法なり」と考る傾向が強く、上からの秩序に盲従し勝ちな欠点を持っています。この点「非常時に政府を批判するのは不謹慎だ」とか「福島原発に関する報道協定を結べ」という佐藤優氏の主張は、池田先生が問題視されたように、危険思想に近い憂慮すべき主張です。

日本人は財政危機とか官僚制度の弊害のような、目に見えない概念的な「敵」の存在を見抜けない弱点がある事も、池田先生のご指摘通りだと思いますが、日本国民が惨事に際して、公権力の介入もなく自主的に整然と行動した事が「画一主義」で「かつては戦争の道につながった」と言う御主張には、些か無理があるように思えます。

天災に対応した日本人の行動は世界の感動を呼びましたが、人災に近い原発問題の処理になりますと、感動どころか怒りと軽蔑を呼び、原発事故王国のロシアからまで批判される体たらくです。

日本人を称賛する記事は溢れましたが、日本の行政を称える記事は目を皿の様にしても見つかりません。事ほど左様に、「学生一流、教授三流」と揶揄されたどこかの大学のように、日本は「国民一流、行政三流」国家です。

私が誇るのは「惨事に際しての日本人の行動」であって、同じ様な危機を何度繰り返しても、危機管理の学習が出来ない官僚が取り仕切る日本国を誇りにしている訳では有りません。

先に私が投稿した「日本讃歌」に対して、ある方から「あなたの論調は,ただの驕りと妄信による言説と何ら異ならない.国難に遭遇した時に,民族の至高性や優秀さを賞賛することはかのナチズムと何ら異ならない。人為的に『基準を充たすもの/そうでないもの』という切断線を引くこと,すなわち差別化することに他ならない」と言う趣旨の批判と言うより非難を受けました。

これでは、入学試験は勿論、全ての資格試験は「基準を満たすか否か」で「切断線」を引く典型で、これもナチスの手法と言う事になります。

それだけではありません。この方の主張では、国別の組織である国連やオリンピックは勿論、全ての団体競技、企業間競争、経済、社会の比較統計など殆どすべてが「人為的基準」を充たすか否かによる差別化で、ナチズムと何ら変らない事になって仕舞います。

「基準の決定プロセス」や「基準の正当性」を巡る正当性は大いに論議すべきですが、基準そのものを「人為的差別」と決め付ければ、分類も選択を出来なくなる誠にナンセンスな論議です。

今回の惨事で日本人が取った整然たる行動は、公権力の命令ではなく、日本人が自らの道徳律に従った自主的行動で、これを誇りに思う事が何故ナチスなのか?私には到底理解できません。
(北村隆司)

コメント

  1. govubuge より:

    文脈を捉え間違えているように思います。
    池田先生は「日本人は素晴らしい」という論調がステレオタイプと言っているのであって、「海外メデイアの称賛を引用するのがステレオタイプ」とは言ってないかと。

  2. cuique4 より:

    あなたが上記記事本文で引用した私のコメントが,大幅に中抜きされているが,これはどういう意図でなされたのかな?
    中抜きされた部分を再掲しておくから,本件記事であなたのいう全ての区別・分類が直接ナチズムにつながるという趣旨が読み取れるかもう一度検討したほうがよい.

    >一人として同じ顔をした人間がいないのと同じように,「日本」などという抽象名詞で包括して評価できるほど現代の私達は同質性を備えていない.<

    >類としての同質性を強調するよりも,個体としての差異性にもっと目をむけるべきだ.唯一性を持った個体を何らかの基準に従って類型化するということは,<

    その上で,あなたのやってることは「早まった一般化」という詭弁だ.騒乱が収束し,沈静化してくれば阪神淡路大震災の時と同じように,混乱時に付け入った無数のレイプを含む多数の犯罪行為が明らかになってくるだろう.いや,都合の悪い情報は隠蔽し美しい日本人像を維持したいマスコミはこれを一切報道しない可能性のほうが高いだろう.

    地震後わずか数日後に,都合の悪い事実や情報の可能性を切り捨てて,『日本人はすばらしい』という全称命題を高らかに掲げているあなたの主張はナチズムと一体どこが異なるというのかね? すばらしい行いを行う個人もいるが,賞賛に値しない行為を行う個人も,日本人という抽象名詞によって類型化されるグループ内に存在するのだよ.

    さらに加えてお聞きしよう.およそ,人種や民族といった類型化用語間に,「優秀/劣等」などという基準が成り立つと,あなたは本当にお考えなのかね? 『日本人はすばらしい』という命題が成り立つには,「すばらしくない人種や民族が存在する」という命題を暗黙裡に前提にしているということがわかなないのかな~.

  3. shuu0522 より:

    >一人として同じ顔をした人間がいないのと同じように,「日本」などという抽象名詞で包括して評価できるほど現代の私達は同質性を備えていない.<

    では、過去には同質性があったのですか?いつから何がどう変わって同質性を備えなくなったというのですか?

    世界は「国」という抽象名詞で包括して評価できる多様性があります。
    同質性がないと言えるときは世界の文化が統一したときでしょう。文化とはそれ自体が同質性の結果ですから。

    人種や民族に優劣がないとしても地域や国ごとに優劣があることは現実として認識しなければなりません。
    「みんな平等」とか子供の論理を振りかざすほど幼稚な議論をするつもりもないでしょう。

  4. capibara39 より:

    こういった日本特殊論は危険です。

    ハイチや海外の大多数の国々には多数の貧困層が存在します。一方日本は大多数が中間層であり、同列には論じられないと思います。日本でも終戦後には一部に「略奪と無法状態」が見られたのではないですか。

  5. m_akkie より:

    とりあえず下記のニュースをご覧ください。略奪行為が行われているのは確かです。
    http://news.livedoor.com/topics/detail/5417639/
    http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2011031702000193.html
    非常に心が痛みます。私は全体として日本国民が素晴らしい行動を取っていると思いますが、このような自己陶酔は百害あって一利なしだと思います。

  6. yamaguchiiwao より:

    こんなテーマを、何時までも議論する意味は何処にあるのでしょうか?
    山口 巌

  7. g4m2betty より:

    >世界の大災害に必ず起きる「略奪と無法状態」が日本ではなぜ起きないのか?

    残念ながら報道されないだけで、略奪と無法状態に近いことはおきています。都市部の物資買占めだって略奪みたいなもんだし、被災地の強盗もそうです。そんなに諸外国と変わりはないと思います。

    すでに統治国家としての日本は「メルトダウン」しているのかもしれませんよ。これが新しい時代の始まりなのかどうか、よくわかりませんが。

  8. shuu0522 より:

    災害でない平常時であってもそりゃ強盗くらい日本でもあります。
    略奪行為があるないの0か1かという話ではありません。多少略奪があったらからと揚げ足取りをするのは幼稚な発想です。
    大災害発生時に略奪や殺人など無法状態になるようなことがないという時点で世界では稀有な国といえるでしょう。
    非常時にも列をつくって並ぶのは世界では珍しい文化です。

  9. rityabou5 より:

    北村殿はじめましてこんにちは。

    北村氏と池田氏は表現のしかたに差こそありますが、結局同じことを言っているだけに思えます。つまり和を尊ぶ精神のメリットデメリットを見つめ直しているだけです。

    調和重視→略奪が少ない
    調和重視→事なかれ主義→上からの秩序に盲従しがち
    調和重視→事なかれ主義→隠蔽体質
    調和重視→異分子排除→忠言う奴排除→軍部独走
    調和重視→異分子排除→忠言う奴排除→組織腐敗

    『変わった事をする奴を賞賛する欧米、蔑む日本。これは日本は農耕民族で欧米は狩猟民族云々』などたまに見かける論です。

  10. izumihigashi より:

    世界からの日本人に対する高評価は日本人にとって素直に嬉しい事です。ですが、それに浮かれてばかりも居られません。その高評価に恥じない行動を取ろう、こういった方向に多くの日本人が前向きに受け止める事が肝要かと存じます。世界の人々がどういう評価を下すのかは世界の人々の勝手です。要はそれを日本人がどう受け止めるか?ではないでしょうか?
    恥ずかしい行動があれば、海外からの高評価を褒めすぎだと思って、日本人が自らが恥ずかしい行動を諌める必要がある。本当に整然と行動し、そのお陰で被害が小さく済んだのならば誇りに思いつつ、これからもこうした社会を維持していかなければ、と改めて気を引き締めるべきであって、決して有頂天になってはいけないと思います。