セ・リーグの意思決定は日本の病の一面を象徴しているのではないか

2011年03月21日 11:15

この震災で海外からも賞賛されているのは、国民の勤勉さと秩序が保たれていることでした。自らも被災し避難所にいる若い人達も献身的に活動しており、また現場での関係各位の人びとの献身的な活動、福島原発で身の危険を賭けた作業を行なっている人たちの勇気ある行動に対しては、ほんとうに頭が下がります。


首都圏でも、予想されたよりもはるかに自主的に節電が行われていることも社会意識の高さのあらわれであり、日本は実に高度に秩序のある社会であること、勤勉な国民性を持っていること、さらに現場力もあることがはからずも証明されました。

しかし問題はマネジメントの能力です。その弱さが典型的に見えたのは、セ・リーグの開幕をめぐる決定の混乱です。

いくつかの原因を推測してみました。ひとつは老害です。戦後の混乱の時期もプロ野球が人びとに勇気や希望を与えたという過去の成功体験で判断する人が、実質的に大きな影響力を持っており、それに真っ向から反論できないでいるということが推測されます。

実際は、みんなが必死で節電している時に、たくさんの電力を消費するナイターを行うことは、勇気や感情を逆撫でする意思決定ですが、そのことが理解出来ないのでしょう。つまりファンの気持ちよりも、権力者に媚びることになってしまったことです。

第二点目は、発想に戦略性や柔軟性が感じられないことです。開幕が遅れても、最悪は試合数を変更すればいいことですが、その柔軟性がありません。さらにコストとしての選手の年俸は変わらないので、興行収入を確保し、赤字幅を広げたくないということもあると思います。
しかし、長期の利益はプロ野球のファンを増やすことであって、それはマーケティングの基本です。下手な意思決定は、ファンを獲得できるどころか、ファンを失うリスクのほうが高いことはいうまでもありません。
実際に球場が確保できるかどうかは分かりませんが、東京ドームにこだわらず、また興行収入は犠牲にしても、ナイターではなくデイゲームでゲームを開催することにすれば、まだ共感が得られたのかもしれません。それなら勇気と希望を感じてもらいたいということも伝わるでしょう。

またパ・リーグの日程に合わせれば、まだ人びとの納得も得やすかったはずですが、セ・リーグの面子にこだわったことがあるのかもしれません。だからセ・リーグ独自の決定を出したのでしょう。自らを捨て、ファンを第一に考えるという思想はないのかと感じてしまいます。

また小出しに意思決定を行うことも最悪です。最初は延期しないとしたものを、選手からまた人びとからの批判があがると、小出しに4日間の延長を決めました。それがさらに不信感と批判を高めることになってしまいました。さら変更を余儀なくされるものと思います。

これだけ、質の悪い意思決定は、セ・リーグにはまともな経営を行う機能がないことを物語っています。長い時間をかけ、議論し合った結果に出てきたものがファンも納得しない、選手も納得しない結論ですから話になりません。

しかし、思えばマネジメントの不在は、セ・リーグに限ったことではありません。日航も常識では考えられない経営が行われていたことが発覚しています。大企業病に陥り、チャレンジ精神を失ってきた原因は現場よりも、むしろ経営の質にあったのかもしれません。

本来は情報通信革命を取り込み、ビジネスを効率化し、また競争力を高めることが必要でしたが、日本はそれに遅れてしまったのも、過去の成功体験にこだわり、情報通信の利用を阻んだ経営の古い体質にあったのではないでしょうか。

東電も、現場は必死の努力をしているのに、どうもバックアップ体制としての経営の動きの鈍さが気になります。さらに官房長官と保安院、東電が同じような会見を行なっていることも危機対応として疑問に感じますが、それもマネジメントの問題です。
福島原発事故対応で、遠隔操作で無人で放水できる重機の提供を申し入れた経営者が、東電に連絡しても返事が帰ってこないというのも不思議な話です。

いずれにしても、日本の競争力が劣化し、産業転換が遅れてきたことは、マネジメントの問題かもしれないという反省を行ういい機会になればと感じます。

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大西 宏
株式会社ビジネスラボ代表

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