東電は発電と送電を分離せよ - 伊東良平

アゴラ編集部

東京電力福島第一原子力発電所の事故は、日本の原発の安全性について大きな疑念を抱かせる結果となったが、事故の原因は原発の技術的問題ではない。東北電力の女川原発は、より震源に近く大きな揺れと津波に遭いながら、正常に止まり事故を起こさなかった。 事故の原因は、想定外の災害に遭遇し、安全に冷却ができない事態に直面しても、老朽化した原発の”廃炉”を早期に決断できなかった、東京電力の体質にある。 私は不動産コンサルタントであり、電力業界の専門家でも経済評論家でもないが、電力を使う一消費者として、東京電力の今後のあり方を提案したい。


福島の現場で事故と闘っている技術者の方々には敬服する。しかし「計画停電」への対応も含め、東電の管理・営業部門の体たらくには呆れてしまった。

市区町村ごとの停電区域をテレビで発表しておきながら、実際の停電範囲は住所(住居地域)ごとで整合しておらず、住民が混乱し自治体への問合せが止まなかった。被災地を停電させるなどの悪態。鉄道会社がどの変電所から受電しているかも正確に把握していない。

計画停電の区域を表した地図を配ることもせず、おまけに区域を点で表した地図をグーグルから先に「発表」されるなど、顧客が求めるものを全く理解していない会社である。普通の企業ならとっくに客が去っている。このような会社が普通に営業していられるのは、電力会社が地域独占企業だからである。

なぜ電力会社が独占企業なのか。それは、電力事業が「費用逓減産業」だから、というのが経済学の教科書的な解釈である。電力事業は多額の初期投資を要し、規模が大きければ大きいほど効率的で競争力が増すので、市場メカニズムに任せると上位一社のみが勝ち残り、自然と独占企業が残ってしまう。独占企業になれば価格決定を支配し経済全体に厚生損失が発生するので、むしろ事業会社に市場独占を許す代わりに、価格を認可制とし大儲けを許さなくする。これが電力会社を独占企業とする”理由”である。

では、電力事業は本当に費用逓減産業なのか。かつては電話も費用逓減産業と考えられていた。旧電電公社は独占企業で、電話料金も認可制だった。しかし衛星長距離電話や携帯電話、IP電話など、固定電話と代替できる様々なサービスが生まれ、電話事業が費用逓減ではなくなった。このため、電話事業を認可制にする”経済学上の”意味はなくなり、価格は自由競争になった。

そこで提案したい。東京電力は発電会社と送電会社に分割すべきではないか。送電と発電の分離は、海外ではすでに実例があり、日本でも以前から議論があったが、今こそ東京電力に限ってそれを行うべきである。

送電事業は確かに費用逓減であろう。だが発電事業は必ずしも費用逓減とは言えなくなった。発電専門の会社は既にあり、製鉄所や精油所での発電やガス会社による地区発電などが広域で普及すれば、送電する会社が発電しなければならない理由はない。ビルや家庭でもコージェネや太陽光発電が進み、電気自動車と連動した地域の充電システムなどが構築されれば、売電の方法を電力会社にのみに決めさせる必要もない。また、発電事業と送電事業が切り離されれば、鉄道会社や大規模工場などは、近傍の発電所(電力会社以外も含め)から直接電力を買って「自家変電」するということも、本格的に可能となるだろう。

東京電力は、全国他地域の電力会社と比較して送電距離が短かいにもかかわらず、首都圏という「大消費地」を独占している。また元々、発電箇所を域内だけで確保することが困難な電力会社である。今回のような問題を引き起こした会社は、発電会社と送電会社に分割し、送電会社を東京メトロのような公有民営会社とし、発電事業は市場原理に任せ、自由競争とすべきだ。

送電事業会社は独占を許し価格認可制とするが、複数の発電会社や他の電力会社から電力を買って運営させる。その方が効率的である。発電事業は安全面の施設免許のみを行い、事実上の独占を許す必要はない。

電力の小売自由化(平成12年)程度ではダメだ。平成21年の発電専門会社(PPS)の東京電力域内での市場シェアは、高圧電力で4.0%、特別高圧電力で6.9%程度である(資源エネルギー庁調べ)。送電事業者と発電事業者の資本関係を断たなければ、発電事業の自由競争は決して実現しない。

発電と送電を分離することによる技術的な弊害が多いという指摘も出るだろう。しかしこれは、「技術的な」問題であり解決は難しくない。むしろ、職員の処遇をどうするか、という人的な問題の方が大きいかもしれない。

東電にはこれから多額の地元補償と復興支援の負担が求められる。地域独占の”公益”事業者は、潰せない企業であるからといって、その地位に甘んじることは許されない。

(伊東 良平 不動産コンサルタント)

コメント

  1. hogeihantai より:

    東電に出入りしている業者は誰でも知ってますが、地域独占の東電の体質は役所と変わりありません。コスト意識も薄く業者の談合も当たり前です。H社とT社が発電設備の納入で談合しているのは常識です。独占企業では旧電電公社、国鉄も同じ体質だったのです。電力が費用逓減産業というのは悪い冗談です。規模がものをいうのであれば何故、多くの企業が電力会社より遥かに小さい自家発電設備もつのでしょう。

  2. ergodicity より:

    >送電事業者と発電事業者の資本関係を断たなければ、発電事業の自由競争は決して実現しない。

    Essential facilities doctrineを参考にしたほうがよい。http://en.wikipedia.org/wiki/Essential_facilities_doctrine

  3. iseeker より:

    「送電と発電の分離」をしたところで、安全性が上がるとは思えません。どちらかと言えば、競争が激しくなってコスト重視が進んで、安全性が犠牲になるんじゃないですか?それを防ぐための「安全面の施設免許」なのかもしれませんが、それだったら今の考えとなんら変わりませんよね。

  4. greetree より:

     火力発電や水力発電については賛同しますが、原子力発電については賛同しません。
     原子力発電について各社がバラバラにやると、必ずレベルの低いところが生じて、安全対策がいい加減になります。女川と福島を比べれば明らかでしょう。
     市場原理と価格調整だけでは、安全性は担保されません。国がきちんと規制するのは一案ですが、本項ではそのような提案はなされておらず、むしろ逆方向の自由放任に流れています。
     本項の趣旨はコストと価格競争であり、安定性や安全性は無視されています。

    > 発電事業は安全面の施設免許のみを行い

    こんな安直な方針では、また原発で爆発が起こりますよ。今度は別の形で。次はスリーマイルふうかも。
    (安全性を無視したツケ払い。)

  5. greetree より:

    > 規模がものをいうのであれば何故、多くの企業が電力会社より遥かに小さい自家発電設備もつのでしょう。

     考えればすぐにわかりますよ。次の質問に答えてみてください。

    「電力会社はどうして小規模の自家発電設備(と同じもの)をたくさん作らないで、大規模な発電所を作るのか」 

     最初の質問へのヒントは、「送電線」です。

     

  6. kiokada より:

    まったく賛成。

    電源を選択できたら、需要者が多少料金が高くても風力やその他を選択することによって代替エネルギー開発が推進されるのではないか。

    企業であればエネルギーに対する姿勢をアピールできるし、家庭では「原発や火力よりは風力にしましょ」となってもおかしくない。

  7. ryoito88 より:

    筆者です。
     本稿は、首都圏の電力事業に関する私見であり、原子力発電に絞ってコメントしたものではありません。
     今回の福島の事故の原因は、現場での安全管理の問題ではなく、東京電力の企業体質によるものであることが明らかになってきました(下記参照)。
     http://diamond.jp/articles/-/11628
     http://news.livedoor.com/article/detail/5443332/
     発電の「安全性」がとかく問題になるのは、原子力発電だけです。原発に頼るのは、高度成長期に、燃料(広くエネルギー)を国外からの輸入に頼らざるを得ない状況を変えたかった、当時の経済界と一部の経済官僚の意向のためではないでしょうか。原発の議論が行われた頃から、多くの日本人は、電力事業が「公共事業」であるかのような錯覚をしている気がします(下記参照)。
     http://news.livedoor.com/article/detail/5442098/
     私が送発電分離を「東電に限って」と言っているのは、東京電力の営業域内に、自社の原発が一軒もないからです。送電会社と発電会社に分離すれば、安全面を考慮するとコストに見合わないのなら、原子力発電所から電力を買わないでしょう。送発電を分離すれば、東電の経営と原発の安全性は、分けて議論できます。
     首都圏にいる人間は、他地域よりも高い電力料を負担してもよい。私はそう思っています。あくまで、今の東電でないならば、ですが。

  8. netdandy より:

    リスク分散の意味でも東西の電源周波数統一をしてほしいと考えます。
    (家電の改修など考えると実現には困難を伴うでしょうけど、いつまでもこのままいくと言うのもオカシイ)

    問題の論点が明確でないようです。
    経営体質の改善?
    競争原理の導入?
    競争によって何を目指すかが良く分からない。
    料金の低減?それとも独占を止めればなんでもバラ色?(誰かの理論と似てますが)

    電力政策全般と今回の原発事故の問題は同じ土俵で話をすると変になると思われます。

  9. ノッチ より:

    市場原理に任せると、安全性が犠牲になる、というのは本当なのでしょうか? 直感的にはわかります。 しかし、だいたい国がやれば安全になる、というのも市場原理以上に信用ならない。 

    二つの選択肢を並べて、片方を否定すると、もう片方が正しく見える、心理トラップではないですか。

    飛行機や高速鉄道はそれなりに安全だと、個人的に思ってるんですけどね。

  10. ksmo2011 より:

    賛成します。
    全国に散在する、企業の持つ自家用発電設備や、非常用電源用発電機を自由に系統に接続させて、その売買を専らに管理する配電会社を設立して、現在の電力会社が保有する発電所もその一部とする別会社にすることで、より合理的なネットワーク構築が可能になります。
     今後、太陽光発電、燃料電池、小水力等の多様な電力の取引を円滑に運用するには、利益を独占する体制は全く不向きです。
     技術的には、小規模発電所を、負の需用設備と考えて、周波数と電圧を自動追従運転させることで系統を現在のシステムより遙かに安定化させることが出来ます。

  11. hogeihantai より:

    >4

    日本で原発の事故が起きたのは他の先進国の様に政府に独立した安全性をチェックする機関がなかったからです。福島原発の危険性については米国のNRCが以前に指摘をしていた(緊急用発電機が動かない恐れがある)のに、東電も政府も無視していたのです。原子力保安院は原発推進派の経済産業省の中の一組織で上部組織の意向に逆らえる訳がないのです。

    私が何度も指摘してる加州の電力自由化も地元の原発の発電コストが高く隣の州の火力発電の安い電気を一般企業が買いたいと要求したことから始まったのです。現在は石油も天然ガスも急騰してるから原発のコストは不明ですが当時2000年頃は火力発電の方が安かった。完全に自由競争であれば少なくとも米国では原発は無くなっていたでしょう。

  12. greetree より:

    > 日本で原発の事故が起きたのは他の先進国の様に政府に独立した安全性をチェックする機関がなかったからです。

    私もそう思います。
    省の中の一組織で上部組織の意向に逆らえる訳がないのです。

  13. greetree より:

    > 原発のコストは不明ですが当時2000年頃は火力発電の方が安かった。完全に自由競争であれば少なくとも米国では原発は無くなっていたでしょう。

    私はそう思いません。各国で原発が推進されたのは、70年ごろの石油のころに、将来の石油が枯渇されると推定されたせいです。当時の推定に従えば、現在では石油がなくなっていたはずです。(Wikipedia 「石油」による。)

    一国のエネルギー政策は、短期的な損得によるのではなく、長期的な安定性を目標とします。利益だけを目標とするのならば、予測と現実との不一致が起こるので、しばしば供給不足が発生します。そのせいで停電が頻発します。

    供給不足で停電が起こっても、たくさんいる事業者のうちの誰かのせいではありませんから、供給業者には責任がなく、送電業者にも責任がありません。誰も停電による損害を補償せず、「足りないんだから仕方ないだろ」とうそぶくだけです。(なお、供給業者が停電の負担をするとしたら、その負担が怖くて、誰も供給業者にならないので、慢性的な停電が発生します。)

    コストばかりを重視すると、業者は自社の利益の最大化を狙うので、結果的に、安定性は損なわれて、消費者が大損します。

    電力は必需品であり、「値段が高ければ買わない」という一般商品とは違います。ここで市場原理を徹底すれば、コスト優先・安定性無視のせいで、停電頻発となります。

    逆に言えば、安定性を重視すれば、原発のような長期的な供給安定は、必要不可欠でしょう。少し前に「ガソリン高騰」という時期がありましたが、あの頃であれば、発電会社はみんな撤退していたかもしれず、その場合には、二年後には国中で大幅な供給不足になっていたかもしれません。

  14. yoshi78561234 より:

    >>8
    >リスク分散の意味でも東西の電源周波数統一をしてほしいと考えます。

    これは昔から言われてきたことですが、昔以上に電気に依存する社会になり、送電のネットワークが形成された以上、今から周波数を統一するには膨大な費用がかかり、不可能だと思われます。また周波数を統一することによって得られるリスク分散のメリットは、統一費用に比べるとごく僅かで、話にならないでしょう。リスク分散を目指すなら、周波数変換所への設備投資しかないでしょう。

    そもそも、周波数を50Hz,60Hzのどちらに統一すればいいのでしょうか?

  15. greetree より:

     分離しても、本質的には代わらないと思います。「東電・送電会社」と「東電・発電会社」とに分けて、別々の会社にしても、それだけで何かが代わるわけではないでしょう。腐ったリンゴは、二つに分けても、腐ったままだ。

     一般に、組織を足したり割ったりしても、本質は何も変わりません。経営というものは、もっと根本的な組織の改編を必要とします。

     私としては、「市場に任せれば万事うまく行く」という素朴な信念を捨てて、「経営者はみんなエゴイストだ」という性悪説のもとで、強力な監視機関が必要だと考えます。

    > だいたい国がやれば安全になる、というのも市場原理以上に信用ならない。 

     という見解がありましたが、別に国が経営するわけじゃない。経営は民間でいい。ただし、国による徹底的な監視が必要です。

     要するに、世の中には泥棒がのさばるという前提のもとで、強力な警察を配備するべきです。
     自由放任にして警察はいらないという発想(規制緩和主義)はまずいし、警察がいるというのは社会主義だと見なす発想もまずい。警察が必要だという発想を取ることが必要でしょう。
     このことは、組織を分割すればいいという問題とは、全く別のことです。

  16. ノッチ より:

    >飛行機や高速鉄道はそれなりに安全だと、個人的に思ってるんですけどね。

    と自分で書いておいてなんだけど、電力は市場原理に任せても安全にはならない理由に思い当たった。

    客が選択するときに、飛行機や鉄道なら、しょっちゅ脱線・墜落するような会社は避ける。自分の命がかかっているから。だから、経営者は選らばれるために安全性に配慮する。 

    一方電力は、発電場所と使用場所が遠く離れている場合、客にとって発電方法なんてどうでも良く、安く提示された方を選択するだろう。

    したがって、安くはなるが、安全になるわけではない。

  17. minourat より:

    >  http://diamond.jp/articles/-/11628

    この記事で一番よいとおもったのは、 次の文です。

    「本店がいろいろと言っても吉田所長は『評論家はいらない』と取り合わなかった。

    つまり、 『評論家はいらない』ということです。 

    女川原発も正常に停止したというわけではなく、あやうかったです。 2号基の非常用発電機は海水をかぶって停止しました。 しかし、残りの非常用発電機でなんとかなったようです。

    女川原発の津波対策は、 福島原発よりよくできていました。 これも、 三陸といえばすぐ津波と考えることからだとおもいますが。

    それにしても、 技術的なことを詳細に検討しなくて、 東電の体質だというのはてっとり早くて便利ですね。