戦争は「軍部の暴走」だったのか - 『あの戦争と日本人』

池田 信夫

あの戦争と日本人あの戦争と日本人
著者:半藤 一利
文藝春秋(2011-01)
販売元:Amazon.co.jp
★★★★☆


明治以降の近代史をみるとき、二つの有力な史観がある。一つはそれを財閥や地主が軍部と結びついて対外侵略を行なった「帝国主義」と考える唯物史観で、アカデミズムや左派メディアにはまだその影響が強い。もう一つは明治の英雄が近代化をなしとげたと考える司馬史観で、「新しい歴史教科書をつくる会」などの右派はこれに依拠している。

著者は司馬遼太郎の編集者だったので、基本的には司馬史観に共感しながらも、明治国家と昭和の戦争を「非連続」と考える司馬に異を唱える。特に大きな岐路は日露戦争だった。『坂の上の雲』では英雄の活躍によって不可能な勝利が可能になったように描かれているが、最近発見された当時の戦史によれば、その実態は違う。

たとえば二〇三高地の攻略は、結果的には無意味だった。2万人の犠牲を出して攻略したときは、すでに旅順港のロシア艦隊は別ルートの攻撃で全滅していたからだ。日本海海戦も、実は連合艦隊司令部の命令に反して行なわれたまぐれ当たりで、日本の戦力は長期戦には耐えられなかった。しかし国民が戦勝に熱狂したため、軍部はその事実を秘密にし、戦史は80年代まで皇居に所蔵されていた。

軍部が「統帥権の独立」を盾にとって暴走したというのも史実と違う。日中戦争が始まったあとも、参謀本部は早期に和平を結ぼうとしたが、近衛首相を初めとする内閣が主戦論で、「国民政府を対手とせず」という声明を出して泥沼に突入した。それは政治家が戦争の拡大を求める世論の「空気」に迎合したからだ。

このように大局的戦略がなく、空気に押されてずるずると状況的に意思決定が行なわれる日本的組織の欠陥は、現在の原発事故の処理をめぐる迷走にも受け継がれている。かつて丸山眞男などは、このような無責任体制の原因を天皇制による「権力の空白」を軍部が埋めたためだと考えたが、実は空白を埋めたのは「民意」だった。新聞が大本営発表を報じたのは言論統制のためではなく、好戦的な新聞ほど売れたためだ。

だから大江健三郎氏のいうように国民に罪はないが軍部が暴走したなどというのは、小説以下のフィクションである。国民の支持なしに、あれほど長期の戦争は不可能である。軍部の暴走を生んだのは、客観的条件を無視して「大和魂」さえあればどんな困難も乗り切れると思い込む国民と、それを説得できない(あるいは迎合する)政治家だった。愚かな戦争を生んだのは愚かな国民なのだ。

コメント

  1. senkome より:

    後世において何らかのベクトルを持ってまとめあげなければならないという制約があって、どうしてもイデオロギー的にならざる得ない書籍の記述と違い、日々生起する現象から直に「先の戦争で起こったこと」を現在進行形で学ばせて頂いている気がする。被災者でもないのに大衆の代弁者であるかのような似非芸人(本来アウトサイダーであるべき)まで巻き込んで「一体」を強調し「自粛」をさけぶ人たちは、前線にいるわけではなかったのに(ないからか)「欲しがりません勝つまでは」や「打ちてしやまん」、「一億玉砕」を叫ばせた人たちと見事に相似形だ。この日本を覆い尽くす気分的なものを跳ね返す自律的力を個々において獲得できなければ、日本人はマッカーサーが言ったように「12歳の子どもをである」ことを脱却できない。

  2. kanokonoko より:

    教育とマスメディアを通して愚かな国民を生んだのは、明治以来の愚かな政府ですね。

  3. ibukuro333 より:

    当たり前のことですが、戦争をするためには巨額の予算が必要です。そして、当時も今も予算の決定権は国会にあります。今も2/3を上回る議席を持っていない与党が右往左往しているものそのためです。だから、軍部は戦争をしたくても予算がないかぎり戦争はできない。つまり、軍部は単独で暴走することなどそもそもありえないのです。
    それでは、どういうことなのか?あの戦争は中国での利権拡大を目指した政治家(国会)・企業・軍部が共謀して起こした戦争なのです。もちろん、国会(政治家)は国民の代表です。つまり、国民の支持がなければあの戦争は不可能でした。
    にもかかわらず、敗戦後日本国民は一部の指導者と軍部にあの戦争の全責任を押しつけて、自らは「軍国主義の犠牲者」を演じることでその責任を放棄しました。確かにそのほうが都合がよいのは分かります。でも、その結果は何をもたらしたでしょうか?
    この20年日本は負け続けてきました。そして国民は自らの責任を棚に上げ、政治家のせいにしてきました。政治家のせい?その政治家を選んだのは国民なのだから、責任は国民にあるに決まっています。現実を直視せず、自らの責任を棚に上げ続ける限り、これからも日本は負け続け、いずれ1945年のような「決定的な局面」を迎えることになるでしょう。

  4. sfdx より:

    銀行に勤める友人がこんなことを言っていました.
    「今は時々沿岸部に手伝いに行く以外はほぼ平常通り. ただ, 操業できない工場とかがたくさんある. これから忙しくなるだろう.」
    間もなく経済的ダメージが表面化します.
    ——
    今責任ある地位にある人たちは, 将来こう言いかねませんね.
    「経済破綻を防ぐには原発を起動するしかないのはわかっていた.」
    「しかし当時の『空気』では無理だった.」
    あらゆる手を尽くした電力の確保が急務ですが, 果たして決断できるのでしょうか?

  5. kokusa より:

    先の大戦前後の空気の変化については、色々な考え方が示されていますが、今のところ一番腑に落ちているのは、宣戦布告もないまま長引く日中戦争の「閉塞感」が、英米との開戦で一瞬晴ればれしたような気分になったものの、その後は悲壮な総力戦の中であらゆることが「不謹慎」「不敬」という言葉に抑圧され、敗戦は虚脱状況であったと同時に言わば解放されたような気分でもあった、というもの。
    要するに国民的熱狂の中で戦争が始まったものの、長期化すると国民は戦争に「倦んでいた」ということである。別に不思議でもなんでもない、今でもよく観察される現象です。
    無名の憂国の士が日本に充満して、「純粋」「純朴」に冷静な専門家の分析を弱腰と言って是非も論ぜず抑圧する。。
    今回の原子力発電所の事故も、全電源喪失・4基同時進行という極限状態の中でも最悪の事態は回避され、チェルノブイリより何桁も少ない放射性物質の排出に抑えられているにもかかわらず、撒き散らされて続けているのは東電をつるし上げる言説と脱原発の大合唱。3.11の前後で世界のエネルギー問題の基本構造は何も変わっていないのに、不条理な熱狂がまたしても起こっていることに恐ろしさを感じます。

  6. marug3c6jgj より:

    電力制限令発動や「空気」による脱原発などでこれから空洞化は壊滅的になるでしょうけど、そもそもこの国は機会損失に鈍感な高齢者が多い国なので、ほぼ打つ手はないといった感じですね。ただ20世紀前半と違って世界が段違いに平和で豊かなのが救いですね。原発を追いだして、気がついたら親戚の若い子が海外に移住しているんでしょう。

  7. prime_rate より:

    前略
    無名の憂国の士が日本に充満して、「純粋」「純朴」に冷静な専門家の分析を弱腰と言って是非も論ぜず抑圧する。。
    今回の原子力発電所の事故も、絶対安全・石油に変わる唯一のクリーンエネルギーを掲げ、事前の津波対策の不備や情報の隠蔽体質を指摘する声を飲み込み、未曾有の惨事に直面しているにも関わらず、撒き散らされて続けているのは「人体に全く影響ない」という根拠なき言説と「想定外」の大合唱。3.11の前後で原発を取り巻く基本構造は何も変わっていないのに、不条理な熱狂がまたしても起こっていることに恐ろしさを感じます。

  8. turezure53 より:

    >愚かな戦争を生んだのは、愚かな国民なのだ。
    66年前の再スタートの時に、この認識を共有すべきでした。
    でも我々は現実から、特に核心からは目をそらしちゃうみたいですね。

  9. kotodama137 より:

    うすうすそう思っていていましたが。先生言っちゃいましたね。自分は怖くていえません。
    しかし世界中そうなんですよね。だから指導者は皆強気なんですよね。お互いぶつかったらどうする気なんでしょうね。

  10. minourat より:

    > 最悪の事態は回避され、チェルノブイリより何桁も少ない放射性物質の排出に抑えられている
    排出された放射性物質の量より、 どれだけ最悪の事態に近づいたかのほうが大事だとおもいます。 TMIの事故でも、 運転員が弁の固着に気づくのが、 あと2-3時間も遅れれば、 最悪の事態を招いたとおもいます。
    今回の福島の事故は、 最悪の事態にさらに近づきました。 非常用冷却装置はまだ動いていません。
    司馬遼太郎氏の小説はおとなの「童話」だとおもいます。 読めば自分も英雄になれそうでわくわくします。 憂国の士を大量生産しました。
    > 愚かな国民なのだ
    私は寅さんをそんけいするほどおろかですので、 憂国の士のほうが「愚かな国民」よりたちがわるいとおもえます。

  11. minourat より:

    > 軍部が暴走したなどというのは、小説以下のフィクションである。
    とばかりもいえないとおもいます。 臼井吉見の『安曇野』なんかをよむと、 軍部の政策に賛同しない言論人が、 徴兵されて前線に送られるのを恐れ沈黙していった状況がよくわかります。
    松前重義氏などは、 高級官僚でしたが東条英機閣下にたてついて、 二等兵として召集されて南方戦線に送られました。
    私の高校時代の担任の兄は、 反戦活動のために特高に逮捕され、 その後の消息は不明とのことでした。 真偽のほどは知りませんが、 こうして消えたひとが、 2000人ほどいるということです。

  12. watakoko より:

    ロマンな司馬史観は別として、
    私の近代史の歴史観は先生とほぼ同じですが、
    「歴史の連続性」と「民意」に関する解釈は
    ちょっと観点が違います。
    一般国民は感情的で、浅はかでしょうけれども、
    ナチス・ドイツでも同じようにドイツ国民の「民意」「空気」に
    支えられました。ヒトラーの暴走、ドイツ軍対ソ連軍
    一連の戦略失敗などなどは言うまでもなく、結果的に日本と限りなく近かった。
    ところで、戦争の後期にナチス・ドイツの内部で「自己修正」
    しようとして、ヒトラーを暗殺する動き(一説では43回)があった。暗殺というのは極端で、究極な選択ですが、私はドイツ人の「自己修正」「反省」に注目します。
    長い歴史の中で、一般国民と違い「組織内部」の人間、
    あるいは有識者、エリートの役目は「正しい主張」を貫くことでしょう。
    民主主義の弊害は自民党時代から証明されてきたけど、
    昨日の選挙で、第3勢力の躍進に私は感動と希望を覚えた。
    「憂国の士」も「愚かな国民」も世界のどこかにいます。
    しかし、人間は成長、学習、自己修正していく生き物です。

  13. minomi66 より:

    客観的判断は客観的な情報を得られるひとにしかくだせません。あの少年Aを笑うときに敗戦直後に一般庶民が関東軍が、ロシアにぼろ負けしたのを知っている訳がないと言うのがありますが、勝った話ばかりすれば熱狂するのはあったり前です。負けをかくしたかったのは当然軍部ですので、軍部の暴走と考えても差し支えないかと。

  14. leftalone_jr より:

    実態を知らせず大衆の戦意を高揚させる目的で記事を書けば、大衆が喜ぶのは当然だ。反戦思想の言論を特高が封じていた時代に、国民には支持するとかしないとかの選択肢など無い。

  15. rityabou5 より:

    2011年4月20日(水)24時15分~25時05分に『NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(4)開戦・リーダー達の迷走』という番組の再放送がされます。これを見れば何が起きていたのか理解できると思います。以下は本番組を解説しているサイト(http://www.nhk.or.jp/special/onair/110306.html)からの引用です。
    『なぜ日本は無謀な戦争への道を選択したのか。太平洋戦争70年の年に問いかける大型シリーズ。最終回は、いよいよ開戦を決定した1941年をとりあげる。今回見つかった当事者たちの戦後の証言テープからは、驚くべきリーダーたちの実態が明らかになった。日本の国策決定の場は、全ての組織の代表者が対等な権限を持つ集団指導体制で、全会一致が建前。常に、曖昧で、玉虫色の決定が繰り返された。各組織のリーダーたちは、戦争に勝ち目がないことを知りつつも、戦争できないと言うことが自らの組織に不利益を与えると考え、言い出すことができない。海軍、企画院、陸軍、首相、それぞれが互いに責任を押しつけ合い、重大案件は先送りとなっていく。しかし、日米交渉が暗礁に乗り上げ、妥結の見通しがみえない中、首脳部は、国力判断、すなわち国家の生産力・戦争遂行能力のデータを総動員して、譲歩か、戦争かの合議を行う。結論は、各組織の自壊を招く「戦争回避」より、3年間の時間を稼ぐことのできる「開戦」の方に運命を賭ける。日本のリーダーたちは、国家の大局的な視野に立つことなく、組織利害の調整に終始し、最後まで勇気をもった決断を下すことはなかったのである。』

  16. izumihigashi より:

    GHQ焚書図書およそ7千冊の中に、日本の開戦理由をラジオ放送で5日にも亘って大演説を行ったという大川周明の演説内容を書き写したとされる『英米亜細亜侵略史』。これが当時の日本の“気分”だったと推察します。戦後、これらの書籍はGHQによって焚書扱いとされ、大学などの教壇に立つものも、GHQの意向に背く者は公職を追放されたとの事。其処には当然巧妙な飴と鞭が仕掛けられており、GHQの意向に従ってさえ居れば、莫大な給金が保証されたというものだったようですね。
    日本が戦争相手よりも好戦的だったかどうか、一旦方針が固まるまでは異論百出、しかし、最終的には戦わざるを得ないという空気が醸成された後は、引き返せなかったのだろう推察します。(戦前も戦後も日本人的な気質はそれ程変化なしと思います。つまり当時でも異論を唱える人は居たし、方針が固まるまでは喧々諤々だっただろうと言う事です。)
    大川周明等、知の巨人と言われた人達でさえ、亜細亜の為に日本は立ち上がらざるを得ないと考えたほどです。
    もうそろそろ、過去の歴史として冷静にこれらの言説を分析する必要があると思います。やはり正義は日本にあった。こう思いたい自分が居ます。(そうでなかったとしてもそれを受け入れる覚悟も出来ています。)

  17. jtk59ahkhsskt より:

    空虚で妄想的な反戦平和論が横行しているなか、「国民の支持なしにあれほど長期の戦争は不可能である」という、池田様のいつもながら鋭い指摘に久しぶりに溜飲が下がる思いです。
    戦争を煽るのは、軍人よりも文人(政治家・マスコミ関係者)だ。「平和教育」には、戦争の原因を追及することが一番大切だ。一部支配勢力とつるんだマスコミの戦争扇動こそが元凶である。戦前の日中戦争も「侵略戦争」と簡単に総括されてはならない。日中戦争ほど戦争目的もなくだらだらと消耗し国力を疲弊させた戦争はあっただろうか。戦前、日本共産党は早く潰れたが、共産主義思想は上流階級から軍人まで浸透していた。仮説として、ソ連のスパイ「尾崎秀実」が、ソ連に有利になるよう日中戦争を拡大させようと懸命に扇動して泥沼化させたのではないか。近衛文麿内閣は、本人も川上肇を師事した隠れ共産主義者といわれ、内閣書記官長(風見章)も戦後左派社会党にはいるなど、隠れ共産主義者がゴロゴロいた。コミンテルンの影響をもっと調査する必要がある。ルーズベルトの内閣や官僚にも隠れ共産主義者が随分と入り込んでいた。
    日本では、保守的・自由主義的思想がほとんど紹介されず、いまだ書店にはマルクス思想関係本が多い。戦前についてもっと左翼思想の影響を調査すべきではないでしょうか。

  18. yosojii より:

     日本人の95%は農民や商人など、武人以外のルーツをもちます。大和魂とは全く関係のなかった我々は、明治以降の富国強兵の下「武人化」されてゆきました。ハラきり、玉砕などDNAにないものを強引に体内に取り込み、魂に宿そうととしてきた。60年以上かけて教育され、日中戦争~大東亜戦争に突入。国民は、コトバにならない先行きの不安を抱えてはいましたが、勝つ喜びも感じていた。戦後70年近く経った今、何故かサムライジャパンというコトバが好まれて使われます。しかし、われわれはサムライじゃない。何百年もサムライを食わせ養って来た民なんです。
     原発も同じ。絶対に必要で絶対に安全というワードを駆使し国と東電は国民にアプローチして来た。しかし、事故解決のノウハウがないため、事象の対応がズサンにしかできない。戦前の軍部も、戦いのプロでありながら、本当に強く勝ち抜くために必要な全てを揃えられず、なし崩し的に負けて行く。原発も戦争も、結局、底辺で支えていたのは国民の「命」であったと思います。国民は電気料金と税金と命で東電と国を支えてきました。不手際の落とし前は、とっていただきます。

  19. dff9c907 より:

    歴史の必然ですね。
    軍部やマスコミや愚かな国民みんなが加担して戦争に突っ込んでいったのだと思います。
    明治以来急速に国力を伸ばしてきた有色人種代表の日本と新興帝国アメリカが太平洋を舞台に衝突。細かい想定外の経緯はあったにせよ、いつか必ず雌雄を決せざるをえない
    関係にあったと思います。当時の国際情勢から見れば勝った方がその後の世界の主導権を握る運命にあったのです。全体主義(独露)対自由主義の構図だけでなく、別の枠組みも
    あったのです。有色人種対白人、アジア対ヨーロッパ、植民地対帝国主義国家、日本神道対キリスト教などいろいろ・・・
    戦後、戦勝国アメリカによりファシズム対民主主義という非常に単純化された歴史に洗脳されすべての責任を日本軍部に押し付け、マスコミと国民は免罪されました。
    アメリカの上手な統治策だと思いますが、左翼思想と結びついてアメリカの予想以上に効果があったのでは。