情報化社会におけるプライバシー問題について考えよう

山田 肇

東日本大震災被災地の自治体で戸籍データが消失した。法務省では、法務局に残る昨年1~2月までの副本に、その他の書類を突き合わせることで、データを復元する意向だという。クラウド上にデータを置いておけばよかったのに、戸籍原本は市区町村単位で管理・保管するというルールがあるため、それができなかったのだ。戸籍は重要な個人情報という理由で、「何が起きるかわからないネット」任せではなく、各自治体に管理・保管を委ねていた。しかし、だからこそ、この残念な事態が起きた。

厚生労働省は、被災者が医療機関を利用する際、保険証を提示しなくても、名前や生年月日・勤務先などを医療機関に伝えれば、治療費や入院費・薬代などを免除する、緊急策を取っている。よい施策ではあるが、そもそも、なぜ保険証は各人が持参しなければならないのだろうか。受診・投薬記録も消失しているから、一から検査をやり直さなければならないのだが、なぜ医療記録を電子化しておかなかったのだろう。「何が起きるかわからないネット」への漠然とした不安を理由に電子化を躊躇していたことが、ここでも災いしている。


被災した要介護者の介護に関係者は苦労しているという。いつの間にか避難所を抜け出した認知症患者が凍死した、という事態も起きている。町の担当者は「事前に分かっていれば、もうちょっと対応できたかもしれない」と悔やんでいるそうだ。個人情報保護の観点から要介護者リストを共有する範囲が限定されているのだが、その結果、「個人情報は保護できたが、個人は保護できない」事態が起きたわけだ。電子化と情報共有を躊躇していたことが、ここでも災いしている。

多様な情報が一瞬のうちにヒモ付けでき、共有できることは、情報化の利便である。戸籍や保険証にとどまらず、銀行サービスのように民間が提供しているものについても、ヒモ付けや共有は可能である。しかし、ヒモ付けしてデータを集めると、その人のプライバシーがわかってしまう恐れがある。

銀行で口座を開設する際には本人確認書類が必要だが、公的な証明書が電子的に提供できるようになれば、わざわざ役所に出向いて紙の書類を発行してもらう手間も省ける。しかし、銀行は住基ネットに接続されていないから、今はそのような利便は享受できない。「民間まで住基ネットに接続したら何が起きるかわからない」と危惧するプライバシー保護派に配慮したためである。このように、わが国では情報利活用は限られた範囲にとどまっているが、その結果、今回の大震災でいくつもの問題が起きたように思われる。

「何が起きるかわからないネット」は嘘だ。ネット上でのリスクによる損失と情報化の利便をはかりにかけて、どこまでならヒモ付けや共有化を許すか決めればよいだけのことである。

グーグル本社のDirector of Privacy(プライバシーに関する最高責任者)であるAlma Whitten博士が来日される。この機会をとらえて、情報化社会におけるプライバシー問題について討論するシンポジウムを、4月25日に開催することにした。主催は情報通信政策フォーラムで、情報通信学会と慶応義塾大学SFC研究所プラットフォームデザイン・ラボに協賛いただいている。大震災から教訓を得て、それをもとにわが国を前に進めるために、今回は参加無料で開催する。大勢の方々に来場してほしい。

山田肇 - 東洋大学経済学部

コメント

  1. 国家の権力者や支配者は昔から国民に番号を振ることを夢みてきました。番号によって国民を管理することは、税金の確実な徴収を可能にし、思想信条の監視支配も容易で、権力基盤を磐石にするからです。そこで権力者は番号制を導入しようと数々の“甘い餌”を用意しているようですが、そんなやり方では絶対に普及しないでしょう。人間は本来、自由な存在として生まれ、社会によって規制されることと引き換えに得るメリットは後付けで生じたものだからです。無名でいる自由以上の自由は存在しないと言ってよいくらいです。私は権力者から一生束縛される焼印を捺されることなどまっぴらごめんこうむりたいです。しかし一方で情報技術が進歩し、世界中の情報を得ることができるようになった社会で、個人が原始人のような自由を謳歌し続けることも無理だと思います。そこで、社会の管理と個人の自由が両立させることを考えました。私は、個人が所有する番号と紐付けられる個人情報の間にワンクッション設けて、個人が自由に紐を断ち切れるシステムを導入することで、個人に自分の情報を守る手段を与えることで、それが可能であると思います。