復興構想会議で梅原猛氏が述べた言葉だ。
わが国の首相は極めて愚かだと思っていたが、わが国の知識人代表といわれる人々は、その首相以上に愚かであることがわかった。
しかし、ある意味天才だ。
なぜなら、原発事故は、まったくそのとおり、文明災なのである。
原発事故は福島第一原発の周辺の住民と土地に甚大な影響を与えた。100年入れない、永久に人が住めないとなれば、かつてあった社会は崩壊するするから、これは大変な事件だ。
しかし、この事故を社会的事件、経済的事件に変えたのは、文明人たる人々であり、すべては人災なのだ。
死者が出るとすれば、今、放射能処理と現場で戦っている人たちだけだ。そして、彼らは黙って戦っている。
一方、風評被害を広め、避難している住民の年内の見通しを奪い不安にさせているのは、すべて知的な人類だ。メディアというものを作り上げた文明人達、そのメディアで人々を不幸な方向に扇動する文化人、知識人たちだ。
我々の文明と文明人というものがいかに愚かであるか、示したのが今回の事故であり、こんなものが文明なら文明などないほうがましであるし、文明というのは災いを作り出すものだ、という意味で、彼の言葉は彼の意図とは別に真実である。
風評被害はファクトに基づかない。人々が過剰反応しているだけだ。避難している人々。一瞬たりとも立ち入りが出来ないわけではない。実際原発で戦っている人々がいるのであるから、妊婦、乳幼児を除けば、防御をして、短時間家に帰るのは可能であり、騒ぐ前に、それを淡々と順番でこなせば良いだけなのだ。それを一律に退避させ、永久に入れないようなことを言っているのは、愚かな政府であり、その政府の措置が甘すぎると全く必要のない人々も強制的に退避させようとアジテートしているのが、いわゆる知識人なのだ。
自分達が作り上げ、自分達の国家をゆだねた政府を信用しないのは自由だが、その政府が出した情報をもとに推測を加えた他国政府の意見を信じて、生活を破綻させるのは、個々の人々の行動だ。メディアにより遥か遠くから映像で眺めて推測できるようになったのも文明のおかげだし、そのコメントを世界中から取り寄せることが出来るのも文明のおかげだし、誤った情報をあっという間に広めて、人々マインドコントロールを可能にするのも文明だ。
足元で言えば、政府の言うことは信じず、メディアで勝手にコメントしている有名人の妄想を信じるのも文明人としての振る舞いなのだろう。
文明がない時代は、我々は、本能に基づき、自分だけで判断しただろう。文明とは人間の行動をここまで進歩させるものなのだ。
東京の人々の恐怖はSF小説を読んで日本が沈没すると思っているのと同じだ。
この恐怖をいろいろな心理的要素でもっともらしく説明することは出来るだろう。そして、社会的には、原発は絶対に安全だと言っていたあるいは言わされていた人々も、それを鵜呑みにしていた、あるいは鵜呑みにしたかった人々も、文明というものを維持するために、それらの行動を行っていたのだろう。
原発は絶対に安全だ、ということはありえない。絶対はない。常にミスはある。
原発は最も危険なものだ。それは考え方による。
一番の問題は、文明社会として、無謬性神話を信じなくてはいけない社会構造を作り上げたことにある。
真実は文明があろうとなかろうと変わらない。予想していない、あるいは予測できなかったことは常に起こり、最悪の事態の可能性は常に有る。そのときの備えもそのときのための議論も出来なくなっていたことが問題なのだ。
そして、わざわざ文明の下に作り上げた原発というものを、大きな失敗により様々なことを学んだ我々が、いままでよりは安全にあるいは事故が起きたときに今までよりも的確に対処できるようになった時に、これを捨て去ることは当然と思うことが、現代文明なのだろう。
そして原発事故は最悪の事態を迎えると地球が壊滅するというチャイナシンドロームを危惧していたことからすれば、実際起こるダメージはやや違ったものであることがわかったというのが、本来の文明の進歩というものだと思う。
コメント
この記事を読んで安心しました。原発の放射線被害は30兆円に達するという国会議員(池田氏ブログのjestemneko氏のコメント)もいたので、この大半を税金で補償するのでは国が破綻すると思っていました。小幡さんは実質被害はたいしたことはない、大半は風評被害であると主張されている。私もその様に思います。不評被害の被害者である農家、漁民、周辺住民に対しては東電は何の責任もない。責任があるのは無責任な風評を流したメディア、有名人であるから損害賠償をすべきは彼らであるということです。本当の被害者に対する東電の補償金額はせいぜい1000億円位でしょう。
熱くなり過ぎです。
大半の人は、幾らデータみても事実を検証なんて出来ない。
危険か安全かなんてどちらを信じるかのレベルです。
政府を信じる人にも逆の人にも、何を言っても今は納得させられないでしょう。
数年~数十年後、癌が異常に増えてれば信じなかった人の勝ち。
今は相手を攻撃してストレス解消になる程度。
でも、私は文明はいるな。
メディアや教授が、いかにこの国をダメにしたかなど
今更論じられても・・・・・
そんなこと普通に生きていれば阿呆でないがぎり
気づいているし、それを基礎とし、生活している。
あの方々の話し方、表情を見ていると、自分がいかに
有能で、一般人を見下し、自己の利益だけで動いていることを気づかない人間は幼児である。
第一、梅原氏のように有名な方の本を読んでも
ほとんど説得力が感じられない。
ほんとうにあたまの良い人間は、一般人の中に隠れており
メディアにさらけだされるような馬鹿な行動はとらないのである。
近代文明が、「想定するものだけに対処する」ということで切り捨ててきたもののひとつが、今回の巨大津波でした。1000年に一度、というようなタイムスパンのものについて、「切り捨てる」ことが「合理的」であるからです。しかしそのことが、2万4000年という半減期をもつプルトニウムを拡散しかねない事態につながりました。いやー、長い……。
これまでの文明をどのように変えていかないといけないのか。今回のことは、タイトルにあるとおりまさに「文明災」と捉える必要があり、単なる津波対策、原発対策に限らない、「これからの文明」がもつべき視点、方法、思想といったものを問い直す必要があるのでしょう。
ただこれは、近代文明の産物である「経済学」という領域に留まっていては、見えてこない、「学際」的な領域になってきますね。
> 新しい原発の隣には、閣僚達の別荘を置く。閣僚達が来ないなら、自分で住んでみろ、といわれれば、私が喜んで住もう。大学と学校を作ってもいい。
小幡先生は、 今でもこのように考えておられるのでしょうか?
コメントありがとうございます。
minouratさん
ええ。必要とあらば。
ただ、遷都には別の意味で反対です。遷都すると、人材の層が薄くなる。ますます政治家の質、ブレーンの質が低下する。なので、遷都には福島であろうとなかろうと反対。
梅原さんの文章は隙間評論です。言論をもっているのなら3月11日、12日、あるいは13日、自分の信念のコトバを発信すべきだったと思います。その時、どれぐらい有効なコトバで被害を止められ、人心を落ち着かせられたか?NHKのアナウンサーや地域の防災無線の担当者のコトバのように、人命を救えたか?あるいは陛下のように打ちひしがれた人の心をいやすことができたのか?現論人ならば、今更のこのような高見の、隙間に差し込むような評論は「カッコ悪いなぁ」と感じるべきでしょう。
「わが国の首相は極めて愚かだと思っていたが、わが国の知識人代表といわれる人々は、その首相以上に愚かであることがわかった。」
その時首相はダメなりに行動していた。われわれは主権者です。首相はその代表。極めて愚かだと思っていたということは、すなわち、彼を選出した我々が愚かだったということ。もちろん愚か者であることは自覚しています。愚かだからこそ、首相をスケープゴートにし、浅いマスコミ情報でカンタンに首相批判をし、彼を批判する自分たちは、正しくまともなのだと振る舞う。そして、愚かな大衆世論を形成する。
ただ、梅原さんには公の場でエラそうに言われたくなはい。そもそも梅原さんは知識人代表なんだから、コトバの発信源をお持ちなのだから。
南三陸町の防災無線担当の彼女は、波がくるまでコトバで訴え続け、そして流されてしまった。梅原さんのこのコトバは、原発でも津波でも、災害の現場から乖離しすぎていて、正直ピンときませんでした。
原発のそばに住むのは個人のご勝手ですが、学生さんや首相を巻き込む論法は伝わりません。首相は我々の代表者です。また学生たちは日本の宝です。まずご自分でご家族とお過ごしになられ、数十年後に、何ともないからよかったらおいでよとお誘いになられるストーリーなら、説得力があるかと思います。