原発問題に関して、このような問題を起こした東電の責任問題についての一端として「100%減資による国有化」の話が出ている。JALの破綻の事例からの連想もあろう。
反対に「東電の株主は約100万人で、その多くが銀行預金と同様の安全運用先として東電株を保有していた個人株主であることを重視せざるをえない」(官邸幹部)という意見もある。
坊主(東電)憎けりゃ袈裟(株主)まで憎い,のレベルの議論はさておくならば、本件にあたり検討すべきは「東電の株主に今回の事件を予測し、そのうえで投資をしていたか」と「東電株主に東電の原発設計、運用の妥当性をチェックする責任があるか」の2点である。
金融証券取引法は、金融商品等の取引等を公正にすること等を通じて、国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資することを目的にする(同法第1条)と定めており、この中で有価証券報告書等の企業内容開示制度が定められている。東京電力の開示資料の中で、原子力発電における危険性(想定外の津波が押し寄せれば世界に不安を巻き起こす事故に発展するというリスク情報など)が記述されていたのであれば、こうした事故により株主が損害を受けてもやむを得ないと判断される。
あるいは、原発事故に伴う損失引当金などが多額に計上されており、経営不振に陥っていることが明らかであるにも関わらず、配当目当てに東京電力株式を購入し、保有し続けていたという事実も存在しない。もちろん、今回のような原子炉が管理不能状態になるような事故が起きてみれば、損失引当金が過少だったのではないかという疑念が出る余地があろう。しかし、電子力安全保安院の管理監督下で電子力発電所の設計、建設、運用を行っており、引当金の計上についても監査法人の監査を受けてきている会社の財政状態を株主がそのまま受け入れることに過失はないと判断せざるを得ない。
この点、株主優待により割安に搭乗できることのみを期待して、赤字状態であることが財務諸表だけでなく、世間の風評としても定着していた状態で株式を取得し、保有し続けていたJALの株主とは明らかに過失の状態が異なる。東電の株主に対して「東電の株主に今回の事件を予測し、そのうえで投資をしていたか」という検討点については、「事件の発生は予測しようがなく、よって事件を予測しながらも投資していたとはいえない」と結論することが相当であろう。
次に東電株主に東電の原発設計、運用の妥当性をチェックする責任があるかについては、株式会社制度を前提とすれば議論をするまでもない。会社法が定める株式会社の組織において、株主が会社の頂点に位置することは言うまでもない。ただし、株式会社において、特に上場企業においては、所有と経営の分離が大前提におかれており、株主は経営者に会社の運営を任せ、その経営成績、財政状態等についてディスクロージャー制度により報告を受けるだけであるというのが、その役割となる。すなわち経営責任を問われる立場ではないのである。もちろん、会社が破綻した場合には、その投資額を上限として責任を負う株主有限責任制度の存在が株式会社制度の基盤である。
その株主有限責任制度というものは、経営不振や天災で被害を受けた結果、会社の存続が不可能になった場合に残余財産分配で劣後するという責任を指すものであり、未曾有の天災に備えた原発設置をしていなかった経営責任をも含むものではない。経営責任の追及は、むしろ株主が経営者に対して行うものである。あるいは原子力発電所に関しては、東電株主は国に対して責任追及できるか否かの議論すらできるかもしれない。すなわち、「東電株主に東電の原発設計、運用の妥当性をチェックする責任があるか」という検討点については、「チェックの責任はなく、むしろ経営陣、国に対して損害賠償の権利を有する可能性すらある」と答えるべきであろう。
このように考えれば、東電国有化を行うとして、東電株主が株式価値を失うようなスキームを選択する余地はない。現状をみるに、こうした金融商品取引制度、株式会社制度の基盤によらない感情論で東電国有化問題が議論されることに危惧を持たざるをえないのである。
(公認会計士・税理士)
コメント
株主は経営陣の善管注意義務違反を問うて株主代表訴訟を起こすことはできるでしょう。でもそれと、リスクとリターンを前提に市場から資本を調達する制度である株式会社制度の原則を曲げてまで、株主の救済を図るのは全く別の話です。結論を無理やり導きたいがための無理論に思えます。
> 事件の発生は予測しようがなく
間違いです。地震による原発の危険性は、警告されていました。
共産党の吉井議員は国会で警告していたし、大臣も答弁しています。
次のサイトでも警告されています。
→ http://bit.ly/fF1WMp
津波も原発もかねて警告されていたことは、次のサイトで示されています。
→ http://bit.ly/g32Jts
かねて「起こるぞ」と何度も警告されたことに対し、「素人は予測のしようがなかったから」という屁理屈が成立するなら、米国の金融バブルの破綻や、日本のバブル破裂についても、国が損失の補償をするべきでしょう。
この問題は東電の人災だという視点がないようですね。下期を見てください。ずっと警告されていたことがわかります。
→ http://bit.ly/hRvsLI
本項は要するに、「馬鹿は株で損することがあるから、馬鹿の投機失敗は国家で補償せよ」と言っているだけです。
「馬鹿は欲張って投機をするな」というのが普通でしょうに。
この議論は、東電が地域独占が許された免許事業者で、国の政策に依存する会社の株式を保有してきたという、株主のリスク負担という視点が欠けています。
免許事業者の株を買うということは、免許がなくなったら収入源が断たれる会社の株を買ったということであり、株主は、政策により株価が棄損することはあり得ると、初めから認識していたはずです。
東電の国有化は、東電が破産でもして首都圏一帯の送電がカットされるような事態を避けるため、会社更生法適用と同時に国がスポンサーとなるような方法も考えようという議論であり、原発の賠償をしても東電が民間企業として普通に経営を続けられるのなら、必要のない話です。
原発設置に国の基準を守っていたかどうかと、原発事故の賠償責任があるかどうかも、別の話。建物であれ機械であれ、行政の基準を守っていたとしても、他人に損害が生じれば民事の賠償責任があることに変わりはありません。
反対です。議論喚起には良いと思いますがとても危険な意見であると思います。市場が死に絶える可能性があります。
今回の津波は、筆者がおっしゃる通り未曾有の天災です。
そのブラックスワンに対して、どの程度の対応をするべきあったかは議論があるところでしょう。
今回の東電について株主救済を行うのは、まあよしとしましょう(私は反対ですが)
問題が生じるのはその後です。
経営者はどんな小さなリスクに対しても何かしらの対応策を負わねばならなくなります。
東電と比べても、想定外の事態が莫大にあるベンチャー企業は上場など怖くてできなくなります。
結果、目論見書が分厚くなり、上場コストは膨れ上がり、効率的市場が達成出来なくなります。
これこそ正に金商法に反すると思います。
典型的な事後の正義の議論ではないでしょうか。
> 東京電力の開示資料の中で、 原子力発電における危険性が記述されていたのであれば …
2008年の金融メルトダウンでは、 ゴールドマン・サックスが危険性の開示をしていなかったということでSECに課徴金を払わせられましたが、 会社の株主がその会社から賠償を受けることができるのでしょうか?
今回の地震、津波、放射能で甚大な被害を受けた株式会社なんて東電以外にも山のようにあると思うのですが・・・。他の甚大な被害を受けた株式会社と東電の違いはこんな感じでしょうか
・東電 : 人災。津波の被害は警告されていた。
・その他 : 天災&東電が悪い(放射能による避難によって)
専門用語は良く判らなのですが、一般人のごく普通の感覚として下記をコメントさせて戴きます。
先ず、株式会社は16~17世紀の大航海時代に出来た仕組みと理解しています。当然航海の何回かに一回は沈没するのでそのリスクを分散する為です。要は船が沈没すれば出資した金は戻って来ません。船が大きくて頑丈に見えたから沈没するとは思わなかったとか、設計に問題があったが出資者が見抜けなかったのは出資者の責任でないというのは屁理屈と言う物でそんな事言う位ならそもそも出資すべきでないと言うのが基本的な私の考えです。それから、守るべきは電力の安定供給であり、東京電力ではありません。東京電力の内部留保と今後の収益で10~20年かかると言われる事故原発の管理と廃炉を行い近隣住民への補償が出来れば国有化とかは不要と思います。仮に内部留保が足らず出来なければ100%原資した上で国が必要資金を投入する(要は国有化)しか手段がない様に思います。東京電力の損失を株主が負担しなければ国がその分負担せざるを得ず結果国債の増発と成るのでしょうが、これは本来負担すべき株主の損失を子供達に付け回すような誠に以て言語道断、卑劣な行為です。
官邸がかかる暴挙を本当に考えているなら急ぎ倒閣すべきと思います。
山口 巌
東電のリスク情報に「作業ミス、法令や社内ルールの不遵守等により事故や人身災害、大規模な環境汚染が発生した場合、当社グループへの社会的信用が低下し、円滑な業務運営に影響を与える可能性があります」とあります。
「こうした事故により株主が損害を受けてもやむを得ないと判断される」のではないですか?
「いや、自然災害だ」とおっしゃるのであれば、「自然災害、設備事故、テロ等の妨害行為、燃料調達支障などにより、長時間・大規模停電等が発生し、安定供給を確保できなくなる可能性があります。その場合、復旧等に多額の支出を要するほか、当社グループに対する社会的信用を低下させる可能性があります」という記述もあります。
いずれも言わずもがなの事項に思えます。
言うまでも無く、こういったリスクがどんな形で発現するか(あるいは発現しないか)を「予測する」のは、個々の投資家の判断です。
銀行株のように思われていた?東電株が紙くずになれば株式への投資が益々避けられるという危惧は判りますが、「株主保護」を前提にして対応検討することは誤りだと思います。
佐久間さんの意見に賛成です。
というより、ここまでかみ砕いて説明しなければならないのか、と思うほど当然のことばかりです。株主救済の観点で書かれていることでもありません。
現在の東電への憎悪は異常すぎて空恐ろしい気がします。集団リンチとしか思えません。
歴史も現実も知らない無知な主張ですね。
「「東電の株主に今回の事件を予測し、そのうえで投資をしていたか」という検討点については、「事件の発生は予測しようがなく、よって事件を予測しながらも投資していたとはいえない」」から株主責任を問うことができないのであれば、例えば粉飾決算で株主が損失を被りそうな場合は、国はその企業を救わなければならないということになります。
山一證券、長銀、カネボウ、雪印(雪印は粉飾ではありませんが株主に予見不能であったという点では共通でしょう。)において、株主責任が問われなかったでしょうか?
目的と手段を混同しているように感じます。
もちろん、「東電はけしからんから罰を与える意味も含めて国有化すべきだ」という「国有化を目的とする」ような暴論は許されません。
目的は飽くまで今回の事故で損害を受けた人々に対する補償を行うことです。株主会社を維持したまま補償出来るのであればそうすればいいですし、それが不可能であるならば、国有化して補償出来るよう事態に取り組まざるを得ません。国有化は飽くまで「事故の損害を補償する」という目的を達成するための「手段」の一つに過ぎないのです。
あと、経営陣の責任を追及することは可能でしょうが、国の責任を追及することは不可能でしょう。池田さんの記事にも書いてありましたが、女川原発や福島第二原発が事故を起こさず停止したことを考えると、国の基準は妥当です。停止出来なかった福島第一原発の設備に不備があったと考えざるを得ません。
被害者への損害賠償が最重要であり,万一会社が損害賠償をすべて行うのに十分の資力を有しないのであれば,国が補完的に損害賠償をすることに異論はありません.
(なお私見では,東京電力の有する膨大な資産(発送電設備)を継続企業の前提で時価評価すると,債務超過にはならないのではないかと思っています.)
しかしその過程で,株式会社制度の大原則と資本市場の大原則,すなわち投資家は自分の投資した元本が毀損するリスクと引き換えに利益を享受するという原則から逸脱するのは,今後の投資家判断や経済をゆがめるといった大変な問題を生じます.政治力や市場における独占的地位により企業の帰趨が決定されることになれば,日本の株式・社債市場はもはやまともな市場としての地位を喪失するでしょう.
too big to failとか,ましてや「株主の多くが銀行預金と同様の安全運用先として東電株を保有していた個人株主であることを重視せざるをえない」(官邸幹部)などというのは言語道断です.
また佐々木さんが主張されるように,株主が負うべきリスクはあらかじめ開示されているリスクにとどまるというのも,会社法の解釈として誤りです.
そもそも企業経営には外的要因も含めビジネスリスクというものがあるものであって,そのすべてを経営陣が知りえて開示することができるものではありません.
一例として,雪印乳業は投資家に対して企業解体につながることになった不祥事リスクを開示していたでしょうか? 日債銀はどうだったでしょうか?
無論経営陣が認識していたのに開示を怠っていたというのであれば問題ですが,それは取締役の対株主責任の問題であり,取締役と株主との間で解決すべき問題でありますが,国が取締役に代わって株主に生じる損失を軽減するというのは株式会社制度に反するものであり,納税者としても断固反対します.
佐々木さんには会社法を十分勉強されることをお勧めします.
佐々木さんの本文とコメントを寄せられたみなさんの議論でわからなくなったのですが、「株主責任」という言葉の意味を明確にしないと、混乱するのではないでしょうか。
そもそも株式会社という仕組みからくる「株主責任」とは、出資金を失うことで取らされる責任であり、法人としての会社が与えた損害の賠償責任を、会社の株が紙きれになる以上に負うことはありません。株式会社への出資が、会社の創立であれ株式市場での株取得であれ、有限責任出資である限り、原発事故その他による賠償責任を、東京電力の株主に負わせることはできません。
原子力発電のような外部に多大な経済的損害を与える可能性がある施設を、有限責任出資の一民間企業が保有・運営することの是非は、政策論としては重要かと思いますが、原発事故の賠償責任を、東電の株主に直接問うことは正しくありません。
佐々木さんは、今回の原発事故の予見性がなかったとして、東電に賠償責任がないという趣旨のことは言われていませんし、「会社が破綻した場合には、その投資額を上限として責任を負う株主有限責任制度の存在が株式会社制度の基盤である。」と正論を当たり前に述べられているだけです。
しかし、「東電国有化を行うとして、東電株主が株式価値を失うようなスキームを選択する余地はない。」と考えるのは、地域独占が許された国策企業としての特性を考慮しておらず、甘いと思わざるを得ません。政府が政策的判断として、会社分割などに従わなければ、東京電力の電力事業者として免許を取り消す、とプレッシャーをかけることはあり得ます。そのことが法的・道義的に問題があるとも言い切れません。
経営者に対する株主代表訴訟はできるでしょうが、原発設置基準が甘かったとして、国を訴えるのも無理があるでしょう。