真剣に検討すべき「送電網の分離」

2011年05月09日 10:00

今回の福島原発の事故は「人災」の側面を否定できず、そうなると東京電力には天文学的な金額に及ぶ損害賠償責任が発生、抜本的な変革を伴わない会社の存続は不可能になる。その為に、現在、東京電力を巡る「組織改編論(国営化論を含む)」が論壇を賑わしているが、私はこの問題を違う視点から見たい。

第一は、「今回の事故に『人災』の要素があったとすれば、その一因は、長年の『地域独占』に安住した『閉鎖体質』にあったのではないか?」という視点であり、第二は、「今後の慢性的な電力不足と電気料金の高騰を克服する為には、果たしてこれまでの地域独占体制をそのまま継続してよいのか?」という視点だ。


結論から先に言うなら、

1)電力会社がこれまで政治力を駆使して温存を計ってきた『地域独占』を、今こそ打破するべきだ。
2)具体的には、『発電部門』と『送電部門』を分離、『送電部門』は全国を一本化した公営会社とする一方、『発電部門』は百花放斉の自由競争に委ねるべきだ。

というのが私の考えだ。

勿論、それが極めて複雑な仕事で、容易には実現出来ないものである事は、私も百も分かっている。しかし、この困難を乗り切らない限りは、淀んだ水は清冽な奔流にはなり得ず、「スマートメーター」と「スマートグリッド」に支えられた「電力供給の真の合理化」は永久に実現出来ないのではないだろうか?

そもそも、これまでの「地域独占擁護論」は、「送電部門での競争は極めて不効率であり、これを強行するのは公益に反する」という考えに支えられてきた筈だ。それは全くその通りなのだが、だからこそ「送電部門の分離独立」が必要だと私は考える。

「送電部門を発電部門から分離したらこの様な不合理(不効率)が発生する」という議論は、私は寡聞にしてこれまでに聞いたことがないし、「発電部門が地域独占でなければこの様な不合理(不効率)が発生する」という議論も聞いた事がない。

これは「電力」のみならず、私が関係している「通信」にも言えることだが、どんな「公益的な事業」にも、「競争が成立する」分野と「競争が難しい(或いは、するべきでない)」分野が並存するのが普通だ。

ところが、現状を変えたくない人達は、「公正競争実現の為の組織改革」の必要性を論じると「公益」の側面を持ち出し、「公益の為の制限」を議論しようとすると「既に競争が存在しているからレセフェールが望ましい」と言う。だからこそ、何もかもをひっくるめて議論するのではなく、先ずは事業の現状を詳細に分析し、機能ごとに分離して議論することが必要だと思えてならない。

さて、「将来の電力供給体制の抜本的合理化はどのようになされるべきか」という最大の論点に話を戻すと、各需要者が設置する「スマートメーター」がその出発点になるべきだと私は考える。これにより、需要者は、単に効率的な節電方法を自ら工夫する事が出来るようになるのみならず、やがては電力の供給元自体も自ら選ぶ事が出来るようになり、電力事業に真の競争がもたらされるだろう。

「送電」をつかさどる会社は一本化されているから、電線を新たに敷設したり張り替えたりする必要はないが、この一本化された「送電会社」は、スマートグリッドによって、全国の色々なところにある様々な発電施設から、「余っている電力」や「格安な電力」自由に入手することが出来るようになる。「送電会社」は電力の「生産」ではなく「流通」に徹するのだから、「発電会社」側の思惑から自由になって、完全に顧客側に立つことが出来る。

それでは、各電力会社は、長い間、何故ああまでも頑なに「現体制(発電・送電一体の地域独占)の継続」に血道を上げてきたのかといえば、それは、「組織が成熟すれば、その組織内でキャリアを築いてきた人達は、必然的に『組織防衛』を第一義に考えることになる」からだろう。この人達も、「ユーザーの利益」や「国益」は当然考えるだろうが、「組織防衛」よりはプライオリティーが下がってしまうのだろう。

人間は、所詮は「保身」という遺伝子をもって生まれてくる生物だ。余程の反逆児でない限りは、組織の中にいる人間が、自らを育んでいる既存組織を無視して「白紙からものを考える」事は通常はあり得ない。そして、残念ながら、反逆児は元々組織の中では生き永らえられない。(尤も、草創期は別である。日本の電力業界の歴史を見ると、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門という偉大な事業家の姿が見えるが、この人などは一種の反逆児だったと言ってもよいだろう。)

現体制の擁護論者は、日本の電力業界の歴史を遡って、現在の9電力会社体制を創った松永安左エ門の主張にも触れ、「何故現体制がベストであるか」を論じるだろう。だから、私も、「何故そうは思わないか」を論じるに当っては、先ずは歴史を遡る必要がある。

日本最初の電力事業は、明治16年に数名の実業家有志によって設立された「東京電燈」をもって嚆矢とする。この会社は翌年には東京の5箇所に直流式の火力発電所を作ったが、その後「品川電燈」「深川電燈」などの競合会社が続々設立され、競争は激化する。(因みに、この頃は電力の一大需要先は鉄道会社であり、多くの電力会社は鉄道会社を併設、または鉄道会社への電力供給を安定経営の基盤とした。)

前述の松永安左エ門(明治8年壱岐生れ)も、明治42年に福岡の市電から始めて、翌年には「九州電気」を設立した。この会社はその後「関西電気」と合併して「東邦電力」となり、次第に東に勢力を拡大、やがて子会社として「東京電力」を設立して、「東京電燈」と激しい覇権争いを演じるに至ったが、結局、昭和2年に両社は合併した。

松永は、生涯を通じて「国家による管理」に反対し、「民間主導による会社再編」を主張、一方では、「戦争に訴えなくても日本は生きていける」という信念から、軍閥に追随する官僚たちを「人間のクズ」と呼んで物議をかもしたりしたが、戦争拡大の時勢には逆らえず、「国家総動員法」に基づいて特殊法人の「日本発送電」が設立されたのを期に引退した。(「日本発送電」は「発電」を行う日本で唯一の会社となり、この傘下で九つの地域組織が配電事業を行う事になった。)

戦後、「日本発送電」の民営化が課題になると、松永は「電気事業再編成審議会」の会長に選出され、持ち前の強引さを遺憾なく発揮してGHQと直接交渉、一社体制の堅持を目論んでいた「日本発送電」の反対を押し切り、全国を九つの地域会社に分割する今日の9電力会社体制を実現させた。(現在の「東京電力」は、形式上は「日本発送電」と「関東配電」が合併したものである。)また、同時に、9電力会社の共同出資で、中立的な公益法人「電力中央研究所」も設立した。

こうした過去の長い歴史を振り返ってみると、

1)草創期における「自由競争」(これはしばしば「過当競争」にもなった)
2)民間主導による事業再編(合併・統合)
3)国家総動員法に基づく一元化(実質的国営化)
4)戦後の民営化に際して「発電・送電一体での地域分割」を選択

という流れが見て取れる。

その後には、1990年代に始まる通産省(現在の経産省)による「電力自由化」推進の流れがあった。その背景としては、「高い電力料金が日本の産業の国際競争力を低下させている」という産業界の強い不満があり、通産省の動きはこれに呼応するものだった。

経済同友会の代表幹事として「企業の社会的責任」を唱導、「企業としての政治献金取りやめ」の決断を下すなど、現実を見据えながらも理想を真摯に追求した木川田一隆に始まり、水野久男、平岩外四、那須翔、荒木浩と続いた東電の歴代の大物社長・会長は、経産省の自由化推進政策に対しては「協力」と「抵抗」の両面を使い分けてきたが、2000年代に入り経産省が「発送電分離」と「小売完全自由化」を前面に打ち出すと、もはや全面戦争が避けられない状況となってきた。

こうして官僚機構との全面対決を余儀なくされた電力会社が、その時頼りにしたのは自民党の電力族議員であり、これはかなり功を奏した。現在、多くの人達は、原発推進政策における電力会社と経産省の一枚岩の状況を見て、また、多くの経産省の高級官僚が電力会社に天下っている現状を見て、この側面を見落としている可能性があるが、この歴史的な「対立の図式」も忘れてはならない。

現在は、空前の原発事故の発生で全てが混乱状況にある。「全国の原発の一斉停止」といった極論はこの際措くとしても、これまでの原発推進路線が大きな掣肘を受けざるを得ないのは、今や先ず間違いない様に思える。また、これが必然的に「電力の供給不足とコストアップ」を招くことも、残念ながら、ある程度は間違いないだろう。そして、それ以前に、東電の経営問題という、焦眉の問題もある。

しかし、だからと言って、「何故日本の電力料金は割高なのか」という、これまでずっと水面下で問われ続けてきた根源的な疑義の追求が忘れられたり、「種々の新しい発電技術やスマートグリッドという画期的な新しい送電システムの効用」という長期的且つ本質的な議論が等閑にされたりしてよい訳はない。

いや、逆に、こういう難問山積の時期だからこそ、これ等の全てを包含した徹底的な議論が必要なのではないだろうか? ドサクサ紛れの小手先の議論を優先させ、本質的な問題を後送りする事はあってはならないと考える。

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