今回の菅首相による浜岡原発「停止要請」は菅首相の何時もの思い付きであり検討に値しないと思っている。
しかしながら、世の中で分別を備えた人間と目されている方の多くが、菅首相を支持しているのも今一方の事実である。
誠に以て不可思議な現象である。日本は自粛ファシズムに支配されてしまったのであろうか?
菅首相支持も立場により様々で実に興味深い。
スズキ会長のコメントを菅内閣はどの様に受け取ったのだろうか?私はいよいよ腹を決め日本脱出を決断したのだと思う。トヨタも同様の検討をしている所ではないか。
サプライチェーンの寸断と言う日本経済の喉元に突き付けられた刃を取り除こうとする代わりに、喉を刃につきだす様な愚行であり、国内製造業が愛想を尽かすのは当然である。
再生可能エネルギーという実現不可能な政策で当選した世田谷新区長が渡りに船と妄言を繰り返すのも保身を考えれば当然である。再生可能エネルギー転換とやらの具体的施作を是非とも示して貰いたいものである。
それでは、何故かかる混乱が生じるのであろうか?
大きな原因として、菅首相を筆頭に、閣僚、民主党議員が政治主導の意味を誤解している事に起因するのではと思う。
露骨に言えば、日本の如き法治国家では何事に於いても法の支配が優先され、首相と言えども言動が法の支配の許容範囲に限定されると言う原理原則が理解されていない。これでは、独裁者が好き放題をやっているリビアや北朝鮮と同じである。
それでは、政治主導がどういう場面で求められ、今回の浜岡原発「停止要請」がどう矛盾するのであろうか?
大まかに言えば、政治主導が活躍すべきは極めて重要な事項であるが法の規定がない場合と思う。具体的に説明しよう。
先ず、第一は限られた財源の中での政策の優先順位の決定である。個人的意見として、短期では東北復興。中長期では財政規律への回帰を挙げる。
浜岡原発停止は東北復興支援の先兵となるべき首都圏に停電を余儀なくさせ、結果機能麻痺からとても支援どころではなくなる。
首都圏、中部地区の停電によりサプライチェーンは寸断され、鉱工業生産は減少する。当然税収は減り、財政は悪化する。これは勿論、あるべき財政規律回帰とは真逆である。
第二は、各省庁が省益重視に偏り結果国益を毀損する計画を上げてきた場合に却下、差し戻す事である。しかしながら、現実問題として既に指摘した通り東京電力救済プランを筆頭に欺瞞の案件が散見される。肝心な場面での政治主導の不在である。
浜岡原発を仮に停止させれば、化石燃料を電源とする発電所を稼働させねばならず、これは中部電力の追加負担となる。これも東京電力救済プラン同様電力料金の値上げで回収すると言うのか?
大手の製造業は海外移転を加速する筈である。残された零細な製造業と一般家庭が負担出来るとはとても思えない。
最後は、省益、局益ありきで行動する省庁の調整である。これこそが政治の仕事であり、他に取って代るものがない。それでは具体例を挙げて説明してみる。
下記は中村哲治議員の呟きである。
仮設住宅の建設に向けて国交省住宅局は通常業務を止め総力を挙げて取り組んでいる。私の郷里の先輩が担当をしているが過労で倒れた(現在は回復)。しかし災害救助法の管轄は厚労省。厚労省が仮設住宅の建設はできないので国交省が代わって担当しているだけ。
災害救助法の管轄から仮設住宅の建設を外し国交省が代わって担当すれば良い筈である。しかし、何時もの事であるが省益重視から厚労省は首を縦に振らず結果時間ばかりかかる。それ故、こういう時こそ政治主導の出番で政令で対応すべきなのだ。
政府が期待された仕事をちっともやらなくても、現場、民間は仕事を進める。同じく中村議員昨日の呟きである。こういう肝心の場面で期待される事のない政府とは一体何だろう?
新住協の方々のアテンドで被災地に。あまり報道されていないことに気づく。住田町では町長の決断で地産材を使った仮設住宅が建築されていた。業者も意気に感じて未契約のまま施工。既に陸前高田の方々が入居を始めていらっしゃる。木造の仮設住宅の良さを実感。
菅首相が、岩手県内の復興に熱心でないと言う残念な話もある。真偽の程を知る由もないが、仮に本当なら、求められる政治主導とは真逆の話である事は明らかである。
浜岡原発とは話題が逸れるが、昨日の蓮舫消費者・食品安全担当相の厚生労働省対応批判も同根である。厚生労働省がオーバーキャパで機能不全になっているのなら消費者庁に権限を移行すべきだろう。閣僚が揚足取りしていても何も変わらない。
簡単に言ってしまえば、政治主導とはパレート効率性に基づき、錯綜する利害の調整を行い全体最適の最大化を図る事である。
懸念すべきは、福島原発事故により従来の全体最適の実行が難しくなった事である。この新たな問題の多分唯一と思われる特効薬は池田信夫先生が提案する、公害のオークションと言う市場重視の施策であろう。
市場重視こそが今後の日本の生きる唯一の道であり、市場重視は法の支配が達成された国家に於いてのみ可能である事をこの際強調しておく。
具体的な進行案件としてモンゴルでの核処理施設建設を紹介する。この案件は市場重視のランドマーク足り得る重要プロジェクトであり、是非とも政治主導で成功に導いて欲しいものである。