官僚か役人か

小幡 績

池田氏は関西だからかもしれないし、私は元役人だからかもしれないが、官僚に関する一般的な認識も、事実も、ともに池田氏の記事とはずれていると思う。


まず、現実的に国際交渉をしてみると、米国以外は、官僚はたたき上げのベテランも意外と多く、英国ですら、かなりの勢力だ。欧州大陸においては、それが標準で、日本が例外的というよりは、米国が例外的だ。

しかも、その米国も、財務官僚や大使館勤務の官僚たちは、非常に優秀でかつ日本の官僚以上に勤勉でエネルギッシュだ。

何が英米の官僚と違うかといえば、終身雇用でジェネラリストであるところだ。向こうは専門職で、Harvard Econ PhDのクラスメイトも、米国の議会のbudget officeのeconomistになるし、連銀に就職するのも日銀に就職するようなもので、むしろ、博士をとってから就職しており、かなりハイレベルだ。

彼らは、役所や議会組織で経験を積み、シンクタンクや様々なルートを経て、政治家というより、政治スタッフとして上り詰めていくが、そのキャリアはかなり政治的で、日本で固まった組織の中で出世争いをするよりはきわめて政治的な行動を求められ、学問的に知的な作業からは遙かに遠い。知性を別の領域で消費するという点は日本と一緒だ。

フランスなどは有名だが、官僚たちは、スーパーエリートで日本の比ではなく、民間企業のトップも当然ENA出身で、官僚が国全体を仕切っている。大統領にもなる。サルコジは例外中の例外だ。

ロシアや中国は、もっとスーパーエリートで、ロシアのガスプロムという世界最大の企業のトップは、社長が元役人、元首相で、会長が元大統領だ。

そういうと社会主義国は例外、といわれそうだが、世界には社会主義国あるいはその流れをくむ国は多く、そうでなくとも、軍人は役人だし、世界は役人に仕切られている国の方が多数派だ。

私が役人になりたい、と思ったのは、政策を考えて実現する仕事をしたい、と思ったからで、シンクタンクは間接的すぎ、政府の中に入るのが一番だと思ったからで、大学生としては公務員になるのが唯一の道だった。実は、中学生の時に、文部省に行きたいと思って以来、ずっと役人志望だったから、もうちょっと政策志望の根は深いのであり、私の父も(池田氏と同じく)千葉県の公務員だったが、父の仕事は充実していそうに見えた。

むしろ、日本的なのは、エリートが不在で、終身雇用で平等主義なところにあり、これは官庁だけでなく、大企業も同じであり、むしろ、この功罪が大きいと思う。

終身雇用だとすると、いろいろな経験を一つの組織で積まなければならず、専門性よりはジェネラリストであることが求められる。同じ組織の一つの分野の専門家は、将来組織のトップになるには危険で、しかも、エリート、貴族と大衆という区分のない日本においては、欧米のように、エリートなどの一定のグループが国を仕切り、大衆に自分たちが意思決定者だという幻想を抱かせて支配する枠組みと異なり、真に大衆が政治を支配する国であるから、組織内部においても、平等に社員全体がその組織を動かすのであり、それは政府であっても同じことだ。

だから、真の問題は、霞ヶ関にいる人々を官僚とみなすか、役人とみなすか、ではなく、日本の社会、組織のあり方の問題なのだ。