TPPの週末が明けて -「野田総理は大きな扉を開けた」ことになるか

津上 俊哉

APECホノルル会合の週末が明けて、今日14日はTPP問題をフォローする報道が内外で相次いだ。中でも興味深く、重要な動きが二つあった。


 後追い組を誘発―日本の「触媒」作用

いちばん興味深かったのは、日本の後を追って、これまで態度を明らかにしていなかったカナダ、メキシコが参加意向を表明したことだ。それだけでなくフィリピン、台湾なども関心を表明しているという。

 TPP交渉の参加表明広がる 域内経済統合の動き加速(15日朝日デジタル(有料))

米国が主導する環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に、各国が雪崩を打つように参加の意向を示している。日本の参加表明に刺激を受け、カナダやメキシコも協議に入ることに意欲を示した。TPPは一気に拡大し、域内の経済統合に向けた動きが加速している。

・・・2日前のAPEC閣僚会議で、カナダの担当大臣は「現時点では、TPP入りがカナダの国益に沿うのかどうか、我々は結論を出していない」と語ったばかりだった。

方針を転換するきっかけは、日本の野田佳彦首相によるTPP交渉への参加方針が、国際的に広く伝わったことだった。

もともとカナダは、国内の農林産品の関税撤廃には慎重な立場。一方、米国も木材などの流入を心配してカナダの合流には後ろ向きだったとされる。だが、日本の表明を受け、「今後のアジア市場の標準となりうるTPPのルールづくりにかかわらないと、取り残されるという思惑が働いたのではないか」(日本の経済産業省幹部)。

米国、カナダとともに北米自由貿易協定(NAFTA)に入っているメキシコも、TPP参加の意欲を米国に伝えた。国際通貨基金によると、現在の交渉9カ国の国内総生産の合計は16兆8400億ドル(1296兆円、2010年)で、世界に占める割合は27%。だが、日本、カナダ、メキシコが加わると24兆9100億ドル(1917兆円)となり、世界経済の40%を占める巨大経済圏が誕生する。

フィリピンやパプアニューギニアも参加に意欲を示しているほか、日本の通商当局者によると、APEC加盟国ではない南米のコロンビアも関心を持っているという。

野田総理の参加表明が「触媒」作用を果たしたことは明らかであり、日本の影響力は「没落感」に囚われた国内が悲観するほど低下している訳ではないという気持ちにさせられる。

TPPを主導する米国の受け止め方はどうか。「この指止まれ作戦成功!」これが米国「政治レベル」の受け止め方だろう。

オバマ大統領は13日、APEC閉幕後の記者会見で「日本、カナダ、メキシコがTPPへの関心を示したことを喜んでいる」と、手放しで歓迎する意向を示した。…交渉に加わる国が増えれば、それだけ合意形成は難航が予想される。それでもホワイトハウス高官は13日夜、朝日新聞の取材に対し、「大統領の言っていた通りになりつつある」と満足げに語った。(同上朝日デジタル報道)

 国内調整を早急に立ち上げよ

野田政権にとって、後追い参加国が増えることは心強いニュースである一方、良いことばかりではないと思われる。今日の後追い組急増により、米国だけでなく現行参加国9カ国が交渉遅延を恐れて“take it or leave it” 作戦に出てくる可能性が高まったのではないか。つまり、これまでの9ヶ国交渉でまとまった内容への同意を後追い組に迫る、「イヤなら加入してもらわなくてけっこう」と「踏み絵」を迫る可能性だ。USTRなど実際の交渉に当たる事務レベルは、参加国増加による交渉遅延を嫌がると思われるからだ。

後追い組の増加を喜んでばかりいられない、もっと重要な理由がある。「TPP交渉は高い水準の通商協定を目指すもの」とされるが、それは「市場アクセス」と呼ばれる関税引き下げ等は、たいていの参加国が二国間FTAなどで対策済み、つまり「宿題は終わっている」ことが前提になっている。

ところが、過去のEPA交渉でも農産物を中心に全貿易品目の10%以上、約940品目を開放した経験がない日本は、今のままでは参加ハードル(97~98%の開放)を越えられる見通しがないうえ、ハードル越えの準備が国内で始まっているようにも見えない。それどころか、週末には、現職の農水副大臣が「交渉参加を何としてでも阻止することを大前提にやっていく」(12日新潟市での講演で会場の質問に答えて)とまで述べたことが報道されている(13日朝日新聞「発言録」)。

野田政権が触媒作用を果たして参加国増加の「雪崩」を促したまではよいが、それならば、一層まなじりを決して、国内改革に向けた検討・調整を立ち上げる必要がある。焦点は、コメ関税を撤廃しても国内生産を守るために必須な戸別補償制度の改革や小麦関税割当制度の改革などであり、農水省が全力で作業に当たらなければ実現困難な大仕事になる。仮にハードルを越えられずに、けっきょく「加盟断念」などという結末になったら、「日本のTPP参加表明は世紀のフェイントだった」と世界中の笑話になってしまう。

 もう一つの焦点、中国の反応

週末のホノルルでの結果について、もう一つ興味深かったのは、TPP「不在の主役」中国の反応である。

現場ホノルルでは交渉関係者の記者会見があった。11日、首脳会合に先立って開催された閣僚会議後の会見で、中国の兪建華商務次官補は次のように語ったという。

 TPP、米中さやあて APEC閣僚会議で激論(15日朝日デジタル(有料)

閣僚会議後、各国・地域の閣僚らが並んだ共同の記者会見。中国の兪建華(ユイ・チエンホワ)・商務次官補に対し、TPP交渉に日本が参加することについて、中国の見解をただす質問が飛んだ。ところが司会者が次の質問者へと話を進めようとすると、兪氏は「私への質問があったはずだ」と制し、マイクをつかんで話し始めた。

「日本の決定はニュースで知った。日本はこれまで繰り返し、中国、韓国、日本の3カ国間の自由貿易協定など、他の地域統合メカニズムについても促進すると言っている」。日本に対し、TPPに傾倒しないようクギを刺したのは明らかだった。

中国が強く懸念しているのは、TPP推進によって米国主導の形で地域の自由貿易化や経済ブロック化が進むことだ。東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス日中韓3カ国の枠組みを軸に、貿易自由化を進めようとしてきた中国から見れば、TPPはこの地域での中国の影響力拡大を抑えようとの動きにも映る。

兪氏は「(TPPは)開かれたものであり、かつ透明であるべきだ」「いままで我々は(TPP参加について)何の招待も受け取っていない。もし、招待を受ければ、真剣に検討するだろう」とまで語った。

中国国内では12日、外交専門紙「環球時報」が(表向きは)冷静な社論を掲げた。表題は「政治飼料でTPPを肥やすことはできない」(中文)。要旨は「APECは成果も挙げているが、限界もある。限界を突破できる新枠組を作れるなら悪いことではなかろう」と懐の深さを示しつつ、「中国抜きのアジア太平洋合作はまがい物であるし、中国孤立化は不可能、米国は現実的になるべきだ」とするものだ。

しかし、中国外交は伝統的に「孤立する」ことを何より嫌う(日本外交がときに自分から孤立化に走る奇癖があるのと対照的だw)。日本がTPP参加意向を表明し、これに続こうとする国が現れたことで、とうてい心安らかではいられないはずである。

今回、日本のTPP参加を巡る日米双方の議論ではTPPの「中国対策」の側面が露わになった。中国を「排除する」訳でも「封じ込める」訳でもないが、日増しに増大する中国の経済力を前にして、今後のアジア太平洋地域の経済ルールづくりの主導権を日米が共同で取ろう、といった狙いだ。やや「地政学」臭が勝ちすぎた感がある。外務省幹部も「中国排除や包囲網の枠組みと勘違いされては意味がない」と語ったという。(13日日経報道

13日現地での記者会見では、野田総理も次のように語ったという。

 「中国の発展はチャンス」(14日MSN産経ニュース)

ご指摘のあった中国との関係では、例えば、日中韓、あるいはASEAN+3、ASEAN+6、FTAAPを実現する道筋はいろいろございます。それらをわが国はいずれにしても積極的に推進をしていきたいという立場であるということでございますので、中国を含んで、APEC参加のエコノミーとは引き続き連携をしていきたいというふうに考えております。

日本政府も会議前に過剰に語られ過ぎた「地政学」の臭みを消して中国への刺激を和らげたい意向なのだろうが、逆に言えば、それ以上のものでもない。中国のTPP参加などは「想定外」のはずである。

しかし、上述したカナダ、メキシコ等の参加意向表明で、事態はさらに動いた。

 「TPP交渉「進展に関心」=胡主席が支持、参加検討か-中国」(14日北京時事)」

中国外務省の劉為民参事官は14日の定例記者会見で、環太平洋連携協定(TPP)について「われわれも一貫して交渉の進展に関心を持っており、交渉参加国との意思疎通を保持したい」と述べ、進展次第では参加も検討する考えを示唆した。

ハワイでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席した胡錦濤国家主席は演説で、アジア太平洋地域の貿易自由化に向けた選択肢の一つとしてTPPへの支持を表明。劉参事官のコメントは胡主席の発言を受け、米国が主導するといえども、日本も積極的なTTP交渉を中国が本格的に重視し始めた表れと言えそうだ。

この記事が胡錦濤主席の「支持」に言及していることにハッとして、改めて主席が行った13日の首脳非公式会合演説(中文)を読み返してみた。該当のくだりは「『次世代』の貿易投資問題の討論や協力はAPECの孵化器の作用にとって有利であり、国際貿易投資協力をリードする」だろう。明示的ではないが、確かにTPPを想定していると読めなくない言い回しである。

いまの中国政府の気持ちを想像するに、「孤立」の不安と「米国『この指止まれ』作戦が本当に成功するのか?」という半信半疑が交錯しているのではないか。今日の国内追跡報道には、TPPのハードルが高すぎて日本も小国もバーを越えるのは困難なこと、米国がアジア地域でTPPを使った「価値観」外交までやろうとしていることは非現実的なこと等を挙げて、前途は未知数だと評しているものがあった(中文)。

しかし、中国国内には、中国もTPPに参加すべきとする意見が出始めた(「TPP交渉で中国は主導権を握るべき 商務部研究員」(11月9日人民網日本語版)及び「中国はTPP交渉に入るべきだ」(14日経済参考報(中文))。今回のAPECホノルル会合を分岐点として、TPPは中国にとって遠くから模様眺めしていれば済む問題でなくなったことは確かであろう。

 中国を巻き込む「大雪崩」が起こる可能性?

今後TPPはどうなるのだろうか。今日カナダ、メキシコが参加意向を表明したことは、TPPが先週まで国内で言われてきたような「実質日米FTAに過ぎない」ものではないこと(その可能性を)示すものである。

しかし、筆者は兎にも角にも、まず日本がコメ等の主食作物を中心とした農産物貿易自由化に目処をつけられなければ、それ以上の未来を卜っても無益だと感じている。今週末の一連の動きは、その意味ではあくまで「第一歩」であり、今後流れが下火に向かう可能性もまだある。しかし、仮に日本が本気でコメ関税撤廃に向けた国内対策づくりに取り組み始めれば、それこそ中国は一層危機感を高めて、TPP交渉での主導権獲得に向けて、全力を挙げて取り組み始めるであろう。

オバマ政権は、もともと来年の大統領選を控えて、「TPPを高水準の通商協定に容易に応じうる小範囲で手早く旗揚げする」つもりだったと思われる。その意味では、元々想定外だった日本ばかりか、中国までもが交渉の針にかかってくれば、当初想定は全面書き換えになってしまう。

しかし、仮にそうなってくれば、大統領は躊躇なく作戦を変更するだろう。中国を巻き込んだ「大雪崩」が起きれば、再選だけでなく、歴史に名を残すことだって夢ではない。更に言えば、アジア太平洋地域でそんな動きが起きれば、欧州が黙って傍観するはずはない。停滞したWTOドーハ・ラウンドの再活性化に繋がる可能性が出てくる。約20年前、APECとNAFTAの設立が欧州の危機感を高め、ウルグァイ・ラウンド妥結に繋がったように、通商交渉はそういった正・反・合の弁証法的プロセスになりやすいのである。

野田総理は、ひょっとすると、知らず識らず「大きな扉を開けた」ことになるかもしれないが、全ては今後の国内対策作りにかかっている。

津上俊哉