「日本史」の終わり:「長い江戸時代」の後に来るもの

2011年11月18日 20:15

9784163746906 先日の記事では原発問題とTPP(環太平洋連携協定)論争を軸に、日本人の国家ビジョンや価値観が、いまなお「江戸時代」に作られたそれに拘束されていること、しかしその束縛は(よくも悪くも)解けつつあることを述べました。それではもし仮に、「江戸時代」に通ずるような戦後日本の社会構造――地方支部に支えられた保守政党を中心に、国際競争や地域間競争からの保護政策を通じて、企業や地域や家族といった集団ごとの現状維持を可能にすることで、国民の生活を守るあり方――が崩れたとしたら、そこにはどのような風景が広がるのか。明日刊行の拙著の内容をもとに、少し吟味してみたいと思います。


 玉虫色の態度表明ながら、どうやらわが国も参加を目指すらしいTPPですが、これは日本国内に各種の諸産業を抱え込んでトータルに保護する政策を撤回し、加盟各国がそれぞれの比較優位を活かして国際分業する体制の一部に、国土を位置づけるということになります。実は、これもまた「江戸時代」以来の大転換であって、地形が複雑かつ諸大名の領国が入り組んで大規模農耕が不可能だった近世日本では、小経営の「家」ごとに定められた範囲を耕作する世襲型の小農社会が形成された結果、地域を越えた分業体制というよりも、それぞれのイエがオールラウンド・プレイヤーとしてさまざまな副業(例えば養蚕や塩田)にひと通り従事する、均質性の高い産業構造が出現しました。逆にいうと江戸時代から多くの農家が「兼業農家」で、特に繊維関連の副業の経験を養っていた(その結果が輸入代替の達成)ことが、明治以降の産業革命への適応性(輸出立国モデルの実現)をもたらしたと考えられています。

 しかし、ロングセラー『タテ社会の人間関係』(1967年刊)で、戦後の高度成長真っ只中の時期から中根千枝氏が警告していたように、この「全員がオールジャンルを自給自足的に賄う」発想が、工業社会にも自社系列優遇・自社製造部品至上主義として受け継がれた結果、効率的な分業体制の構築に失敗したことが、情報産業で一般的な水平分業モジュール化=他社製品とも提携可能な汎用性の高いパーツに特化した経営)の時代における、日本企業の衰退につながりました。かような日本型資本主義の現状に一貫して批判的だった池田信夫氏は、TPP参加を支持する記事(11月5日)で、以下のように書いています。

重要なのは貿易自由化ではなく、直接投資によって世界最適生産を行ない、企業収益を上げる戦略だ。これを「空洞化」というのはナンセンスで、むしろ日本は空洞化が足りない。アップルのようにハードウェアの生産拠点をすべて中国に移すぐらいの決断が必要だ。…経済学の標準的な答は、グローバル化による格差拡大を止めるべきではなく、それによる成長率の上昇分を所得再分配に回すべきだということだ。

 「格差拡大を止めるべきではなく…所得再分配に回すべきだ」というのは、国際分業に適応可能な(=日本が比較優位を持つ製品を作れる)産業のみに成長のエンジンを特化し、それ以外の企業はむしろ切り捨てる代わりに、生活保障のモデルを「経営体ごとの現状(雇用)維持」から「国家による個人への直接給付」へと変更することで、セーフティネットを担保しようという含みでしょう。これは氏がかねてから紹介してきたフリードマンの「負の所得税」をはじめとする、リバタリアン・バージョンのベーシック・インカム構想と呼ばれるもので、欧米圏では特に突飛な提案ではありません。

 その経済効率や財政収支の面での成算については、経済学や社会福祉の専門家でない私には判断できませんが、ただしそれとは別個に、東アジアで同じ構想を実現する上では、西洋世界とは異なる留意が必要になるというのが、拙著の論旨です。日本では擬似主権国家的な諸大名の連合政権だった徳川体制や、その下で「主君押込」の権限を持つ家臣団が名目上の藩主を担いだ大名家の経営、あるいは内閣が弱体で議会(政党)・各省庁(官僚)・軍部に権力が分立していた明治憲法体制から、「政権は保守、護憲は革新」という痛み分けで与野党が共存してきた戦後民主主義(55年体制)に至るまで、「勢力が均衡する複数の半恒久的集団の拮抗」によって、個人(集団構成員)の権利を守ってきたという歴史がある。法の支配が徹底せず、人権感覚や自由主義の伝統も一般に弱い非西洋文化圏では、おそらくそれが唯一の答えだったのでしょう。これが梅棹忠夫以来の「西欧以外で唯一封建制の伝統を持つがゆえに、近代化に成功した日本」という言説=「日本史」の展開の本質です。

 企業の保護や雇用の維持に代えて、国家による直接再分配を導入するというのは、かような形で「個人の権利」の不在を代替してきたシステムを解除するということですから、その後に立ち上がる国家がどのような相貌のものになるかを、厳しく注視してゆく必要があると思われます。政教分離が徹底され、「法的権利と道徳的善とは別」であるという前提が定着している近代西洋社会と異なり、「悪人に人権は要らない」式の徳治主義の伝統が色濃く残る東アジアの政治文化では、たとえば「国家による再分配に預かれるのは、統治者が認める『正しい思想』の持ち主のみだ」という発想が出てきても不思議ではない。ある意味で今日の中国や北朝鮮の一党体制は、この系譜の上に成り立っているわけですが、大震災や原発事故のトラウマもあって再び政治と道徳が急接近しているポスト3.11の日本にとっても、それは対岸の火事ではないように思われます。華々しく「脱原発」の旗を振って市民層にアピールする一方、「必要なのは独裁」発言や、トップダウン型の政治介入を唱えた「教育基本条例案」で波紋を呼ぶ橋下徹大阪府知事(市長選に転進中)などは、あるいはその先駆けとなるのでしょうか。

 そもそも、「自給自足的な集団ごとの現状維持と勢力均衡」を日本の国家体制の基礎に置いたのは、いまから一千年近く前の源平合戦に勝利した鎌倉幕府によるもので、日宋貿易による環日本海での経済自由化――TPPならぬTJP――を構想していた平氏政権が、やはり金輸出を通じて東アジア世界と繋がっていた奥州藤原氏とともに滅ぼされた時点に端を発します。以降、特に近世(江戸時代)を通じて海外交易から隔離された東北地域は、関東中心政権への隷従の道を歩み、帰結として交付金と抱き合わせの原発立地を受け入れるに至るのですが、今回の震災はそのすべてを破綻させてしまった。

 良くも悪くも「封建制」の存在によって可能になっていた、東アジアにおける独自の発展経路である「日本史」の限界が、誰の目にも明らかになった2011年は、冷戦終焉に際して『歴史の終わり』を著したフクヤマのひそみに倣って言えば、いわば『「日本史」の終わり』が書かれるべき年であったといえるでしょう。ついに日本もその歴史上の個性を喪って、国際分業体制の中の「普通の国」になるのか、はたまた台頭する中国の下で再編が進む東アジアにおいて、結局は大陸中国や朝鮮半島と類似の体制を築いて「中華文化圏の一部」に過ぎなかったことを示すのか、もしくは、それ以外の道があるのか。――大局的な世界観の転換が求められているいま、拙著がそのような議論を喚起する一助となれば幸いです。

與那覇潤(愛知県立大学准教授/日本近現代史)

※ 拙著『中国化する日本:日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)は11月19日発売、2012年1月5日までは出版社のサイトにて、第1章の末尾までが無料で試し読み/ダウンロードできます。

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