ファイル交換ソフト「ウィニー」を開発した金子勇元東大助手が、著作権侵害に問われた裁判で、12月19日最高裁は一審の有罪判決を覆して無罪とした高裁判決を支持する判決を下したため、金子氏の無罪が確定した。最終的には無罪が確定したとはいえ、金子氏の訴追および一審の有罪判決によって、ソフト技術開発に萎縮効果をもたらしたことは疑いない。5名の裁判官中4名が無罪としたが、ただ一人反対意見を書いた大谷裁判官は、有罪を主張しつつも検察の性急な捜査、起訴を戒めた。
性急すぎた捜査、起訴
大谷裁判官は反対意見の最後で以下のように指摘した。
なお,先に政策的な配慮という点を挙げたが,前述したとおり,被告人の開発,提供していたWinnyはインターネット上の情報の流通にとって技術的有用性を持ち,被告人がその有用性の追求を開発,提供の主目的としていたことも認められ,このような情報流通の分野での技術的有用性の促進,発展にとって,その効用の副作用ともいうべき他の法益侵害の危険性に対し直ちに刑罰をもって臨むことは,更なる技術の開発を過度に抑制し,技術の発展を阻害することになりかねず,ひいては他の分野におけるテクノロジーの開発への萎縮効果も生みかねないのであって,このような観点,配慮からは,正犯の法益侵害行為の手段にすぎない技術の提供行為に対し,幇助犯として刑罰を科すことは,慎重でありまた謙抑的であるべきと考えられる。多数意見の不可罰の結論の背景には,このような配慮もあると思われる。本件において,権利者等からの被告人への警告,社会一般のファイル共有ソフト提供者に対する表立った警鐘もない段階で,法執行機関が捜査に着手し,告訴を得て強制捜査に臨み,著作権侵害をまん延させる目的での提供という前提での起訴に当たったことは,いささかこの点への配慮に欠け,性急に過ぎたとの感を否めない。
日本最強のサイバー警察 ― 京都府警ハイテク犯罪対策室
2009年11月18日付日経新聞大阪地方経済版は、「京都の『サイバー警察』活躍 先を読み、捜査はリアルに 法未整備、『裏技』を駆使」の見出しで、京都府警ハイテク犯罪対策室の活躍ぶりを紹介した。「同対策室は日本最強のサイバー警察だ。」との書き出しに続いて、ウィニー事件以外にも「全国初」となるサイバー犯罪の摘発が続く理由を分析。「法制などが未整備なだけに、『あらゆる法令の駆使』がカギになる。昨年、コンピューターウィルスの作成者を逮捕した際に適用したのは著作権法違反と名誉毀損。日本にはウィルスの作成、放出を処罰する法律がないため(注:その後,2011年7月から施行された刑法改正でウィルス作成罪が新設された)、感染すると画面に現れるアニメ画像と個人写真の無断使用を問う『裏技』だった。」と指摘した。
国家権力が裏技を使うのもいかがなものか。法の未整備は立法で対応するのが、正攻法ではないか。特に刑法には罪刑法定主義という大原則がある。罪刑法定主義をかいくぐるような裏技を使われては法治国家の根本が揺らいでしまう。
萎縮的効果は抜群
大谷裁判官が懸念する萎縮効果について、金子氏を弁護した壇俊光弁護士は「委縮的効果は抜群だった」と指摘。具体例として、「P2P関連予算がつかなくなったこと、技術者が著作権のグレーゾーンにふれる技術開発をしなくなったこと」などを上げている。悪用されると開発者の罪になってしまうとなれば、技術者は慎重にならざるを得ない。不安がる研究者にソフトは海外で発表するよう指導する教官もいたようである。
刑事告発に伴う問題は捜査当局が逮捕後,ウィニーの改良を禁じ,欠陥を修正できなくしたことによって、深刻化した。ソフト開発ではまずベータ版(試作品)を出して、バグ(欠陥)やセキュリティーホール(安全上の弱点)を利用者に指摘してもらい、改良して、完成版にしていくことが一般的に行われている。04年5月の逮捕後はこの作業をストップさせられたため、自衛隊や裁判所,刑務所,病院といった公的機関の情報が大量に流出し,回収不能となった。06年3月には安部官房長官(当時)が国民にウィニー利用自粛を要請するに及んで、ウィニーはすっかり悪役になってしまった。
ウィニーを「ソフトとしては10年に一度の傑作」と評価する村井純慶応大教授は、「著作権侵害やウィルス感染の放置は、そもそもやってはいけない行為だ。そうしたことをやめさせるために、道具そのものの使用を禁止するとか、改良してはいけないというのは、望ましい社会のあり方とは思えない。」と指摘している(朝日新聞 2006年4月19日)。そうでなくても米国に遅れをとっているソフト開発を萎縮させたウィニー事件は、日本社会全体にとっても不幸な出来事であった。
城所岩生
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