日本史の400年転換論―女性の視点から --- 高橋 由佳

アゴラ編集部

2000年の日本史には400年ごとの大きな転換がある。歴史好きでいろいろ本を読んできて最近そんな風にぼんやり考えていたところ、與那覇潤氏の「中国化する日本」を読み、自分のなかで考えていたことに対して解答を得て大変すっきりした気持ちになった。どうしてかというと400年転換論ではここ100年の歴史が江戸から続いてきているのかはっきり説明できなかったからだ。しかし與那覇氏いわく、昭和の時代は再江戸化した時代であったという。そうなのだ。昭和は江戸であったのだと考えるとすべて納得がいく。日本史に400年ごとの転換期があったというのは調べると何人かの方が述べておられる。約400年ごとに都や体制の転換があるということは年表をみると中高生でも気がつくことだと書かれていたりする。自分ではこの発想が頭に浮かんだときすごいと思ったが、そういわれると歴史好きの方には当たり前のことなのかもしれない。私は女性が登場する歴史書などが好きでよく読んできたがその視点から少し述べてみたい。


日本史の初期400年は弥生時代で小国ができ卑弥呼が登場する日本の黎明期である。そして400年から800年は奈良に大和朝廷ができ、王権が成立し、飛鳥時代を経て奈良時代となる。主に天皇家が政権をとった時代である。800年から1200年は京都に都をうつし、藤原氏を中心とする貴族政治による平安朝が400年続く。そして1200年から1600年は鎌倉幕府がおこり、武士が政権をとる。鎌倉、室町と続き、戦国時代にいたる中世と呼ばれる時代である。そして1600年から2000年までが江戸時代となり江戸(東京)が政治の中心となる。この時代は1860年ごろに明治維新がおこり、近代化が進んだためひとくくりにできないように思っていた。しかし「中国化する日本」を読み、近代化とは表面上のことで日本の構造は江戸時代と変わりなく精神的には封建制度を引きずっていたという話を読み、納得できたのである。

400年ごとに転換期があるとすると今まさに新しい時代に突入していっている状態かと思われる。今後の日本社会がどのようになるかはわからないが與那覇氏は江戸にはもどらないという。私もそう思う。與那覇氏はその理由が資本の日本からの逃避と女性の「いえ」からの逃避のためと論じている。女性である私は女性の「いえ」からの逃避というところに大いに共感する。今までのように戸籍にしばられた制度に対し女性は拒否反応を示していると思われ、そのような社会を女性が生きにくく感じ、少子化という問題をひきおこしているように思えるからである。

ざっと女性の政治への関与ということで400年ごとの歴史をながめたとき、400年から800年の間は推古天皇を始め、女性天皇が次々即位され、政権の中枢に女性が参加していた時代であった。しかし平安朝では貴族政治のもと、女性は天皇を産むだけの存在となり、文学などの分野での活躍はあるが政治的には存在感はない。そして1200年から戦国時代には北条政子にはじまり、日野富子や戦国大名の妻たちなど歴史に名を刻む女性がでている。そして江戸時代になり儒教政策のもと女性は政治の場から除外され、明治以降もその構造は変わらなかった。現代にいたってもまだ変わっていない。女性の政治家が増えてはいるが少子化という構造的な問題に対しても答えを出せていない。シングルマザーが生きにくいということはまだ江戸の影を引きずっているのではないかと思う。2000年からの今後の時代はもっと女性が自由に生きられる時代に転換していってもらいたい。

400年転換論でいえば明治維新は大きな転換期とはならない。とすると維新を叫び、維新中毒となるのは新しい日本の姿を考えるという点ではちょっと違うのではないかと思える。明治維新にはこれといった女性の姿はない。大きな歴史のうねりでいえば今は平安朝末期から鎌倉政権への交代期に近く、源平の時代に近いのかもしれない。平清盛は中国の宋に学び経済を振興しようとしたという。まさに中国化しようとしていたのだ。源氏政権はその揺り戻しの政権からはじまったかもしれないが北条政子がいて北条氏が実権を握って武士の世となり、価値観は大きく変わっっていった。今後の日本は今までの社会とはまったく違う価値観を生み出す必要がある。今日の少子化を考えたとき女性が結婚の有無にかかわらず子供を持ち育てられるような社会やワーキングシェアなどによる多様な働き方ができる社会に転換していくことが必要と思われる。すぐにはできないであろうが期待をもっている。

高橋 由佳
内科クリニック勤務 医師