皇室と政治の価値はどこにあるか

小幡 績

私が、恋愛小説を書いたとしよう。それは直接の性描写はないが、屈折したエロティシズムを含んだものであったとしよう。この小説は一般に売れたわけではないが、全ての人がまゆをひそめるような問題作であるらしい、ということを知っているとしよう。

いや、そんなまどろっこしい設定はやめよう。

天皇陛下が、Perfumeのファンで、Perfumeをガンガンに鳴らしながら、毎朝朝食を採っていることが夕刊紙にスクープされたとしよう。

このときに、人々はどのような反応をするだろうか。

3通り考えられる。


1.そんな大衆的なものを陛下が聞くべきではない。激しい批判が起こり、また逆に、そんなことはありえず、何らかの組織の陰謀によるリークであるに違いない、という逆襲がメディアに向けられる。
2.人々はその意外性に驚愕しながらも、温かくこのエピソードが迎えられ、一方、これがきっかけとなって、Perfumeが世界的にも話題になり、大スターになっていく。
3.人々は、これを微笑ましく思い、3日後にはこのエピソードも忘れられる。

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皇室にとって一番危険なのは、3の場合であり、こうなれば、天皇制も実質的に終焉を迎えることになるであろう。

当然のことだが、1の場合は、皇室というものが極めて重く受け止められていることをあらわしており、そうでなければ、正月の天皇参詣?も意味がないし、園遊会も価値がない。

2はまだ終焉を迎えることにはならないが、危険な道をすでに歩み始めており、その道が坂となり、転げ落ちるのも、時間あるいはきっかけの問題となっていく。ましてや、このエピソードの天皇陛下の部分をLady Gagaに置き換えた場合の方が、話題性として大きく、Perfumeの売れ方も激しくなるのであれば、実質的に終焉を迎え始めている、終わりの始まりのステージに入ったことは明白である。

3はもはやあってもなくても同じというステージで、廃止することもないが、それは特に廃止するきっかけも理由もないからであって、予算の都合や何らかのスキャンダルによって、危うい状況になりうる可能性がある。

しかし、なぜ人々の反応が1から2へあるいは3へ移っていく可能性があるのであろうか。それをもたらすものは何であろうか。

英国においては、一連のダイアナ関連のニュースは、良くも悪くも王室の最後の輝きをもたらした。当然、長期的には大きなダメージとなって、価値は大きく下がっていくことになったであろう。

日本ではどうか。天皇制を政治、政党、あるいは政治家や総理に置き換えて考えてみよう。

政治家がこれほどテレビに出るようになったのはいつからか。政治家のテレビ出演の頂点は、小泉首相が出たスマップスマップのビストロスマップだろう。あれは衝撃的であったし、その瞬間は効果的であった。その前も後も、政治家のポピュリズム、テレビを利用したイメージ活動は数多くあるが、あのときのような効果があったのはあれが最後で、あの強烈な効果の後は、政治家がテレビに出ることはマイナスになった。

有名なのは、菅総理が夜の報道番組に出た瞬間に視聴率がガクンと落ちたことだろう。つまり、だれも政治家をテレビで見たくないという状況を作ってしまったのである。

それでも政治家達はなぜテレビに出たがるのだろうか。

テレビに出ると地元の支援者が悦ぶ。テレビタックルやそこまでいって委員会に出れば、流動票が流れ込んだこともあった。だから、今でも票につながると思い込んでいる彼らがテレビに出たがるのは分からないでもない。

そして、ここで問題なのは、過去の認識を改めていないという感度の低さにあるのではなく(それは別の大きな問題で、ポピュリストになろうとしていつもなれないのは、その感性の問題だ)、政治家という職業を殺す自殺行為であることに気づいていないことにある。

何の工夫もなく単にテレビに出続けることは、政治家全体の価値を貶め、政党というものの価値を貶める。テレビに継続的に呼んでもらおうと思ったら、出演したときに何かネタを提供しないといけない。テレビ的に何らかの形で絵にならないといけない。視聴者を惹きつけないといけない。

となると、過激なスタンスを取って色物となるか、暴露話か何らかの放出が必要だ。そうなってくると、政治家の言葉も軽くなり、存在そのものも軽くなる。

最近目立つのは、政治家はリーダーではなく、下僕だということだ。政治家自身も、国民の意見を良く聞くのが仕事だと言う。国民の意見を良く聞いて決める。支持率を見て決める。これを正々堂々と述べる。頭がおかしいのではないか。

それなら、政治家は要らない。常に国民投票をすればいい。テレビ局かリサーチ会社が国を統治すれば良い。

しかし、人々がすでにそれを要求しているから、政治家達も仕方なくこのスタイルを録っているのかもしれない。私が企画した講演会でも、政治家の先生と直接接するのは初めてだからとても興味深いと満員御礼だった。企画して良かったと思った。しかし、講演後の質問では、質問が一問も出なかった。出たのは質問ではなく意見なのである。

政治家の話を聞いて、あなたはまともな人であることは分かりました。それだったら、まともなことを言いますから、良く理解して、これを実現してください。すべての質問が、そのような意見だった。NHKが最近よくやる一般の視聴者をスタジオに招いた討論番組でも同様の傾向が見られる。一般の国民にとっても政治家はリーダーではなく、使う道具なのだ。

政治家の終焉が迫っている。