メディアが醸成した「放射能ストレス」(上)— 感情的な報道の生んだ人権侵害

2012年06月07日 08:00

GEPR掲載のアゴラ研究所フェロー石井孝明の論考を転載する。

「福島の原発事故で出た放射性物質による健康被害の可能性は極小であり、日本でこれを理由にがんなどの病気が増える可能性はほぼない」。

これが科学の示す事実だ。しかし、放射能デマがやむ気配がなく、社会の混乱を招いている。デマの発信源の一つがメディアの「煽り報道」だ。


放射能の正確な事実の伝達は積極的に行われるべきだ。また原子力発電について賛成、反対をめぐる自由な発言をして、エネルギーの未来を考えることは意義深いことだ。しかし不正確な情報やデマの拡散は他者を傷つけ、自分の社会での信用も失わせ、社会に混乱を広げる。

さらに「煽り報道」はメディアそのものを自壊させる行為だ。日本国民の大多数は賢明で冷静であり、報道の真偽を見極めている。放射能をめぐる誤った煽り報道はそれを発する記者個人、媒体、メディア企業、さらには報道全体への不信を生み出している。報道への信頼の崩壊は、メディアの存立基盤がなくなることであり、それは自由な報道が前提になる民主主義体制にも悪影響を与える。

デマを拡散した人を過度に糾弾する意図はないがその反省をうながし、これまでの事実を示して誤った報道や情報洪水への対策を考える。

「福島の奇形児」スクープ?

「お待たせしました。福島の新生児の中から、先天的な異常を抱えて生まれて来たケースについてスペシャルリポート&インタビュー。スクープです。賛否はあるでしょうが、勇気あるカムアウトした当事者には温かいエールをお送りください」。

昨年12月、インターネット上の短文ブログ・ツイッターで異様な書き込みが行われた。これはジャーナリストの岩上安身氏によるものだ。福島の原発事故と新生児の異常は無関係であるにもかかわらず、関連づけるかのような書き方をしている。しかも人の障害を報じることにまったく自粛の姿勢がないことに驚く。

念のために説明すれば、先天的異常は新生児に一定の確率で起こる。原爆の医療記録によれば、妊娠中に一瞬で数100ミリシーベルト(mSv)の強い放射線を浴びたときに、胎児に影響が出た例がある。現在の福島では、自然放射線に加えて年数mSvの放射線量の増加しかないので、放射線による障害など起こるわけがない。

この「スクープ」には批判が殺到し、岩上氏はこの書き込みを削除。同氏はその後も横浜で福島から飛んできたストロンチウムが見つかったなど、誤報を繰り返し流して批判を浴びた。

福島の原発事故では、放射能と原発をめぐる情報があふれた。ところが、それらは玉石混交で危険を過度に煽るおかしなものが多かった。その発信源の一つが、岩上氏らが活動の拠点にするフリーランスのジャーナリストの集まった「自由報道協会」(上杉隆代表)だ。

この団体は危険を煽る人々、政治主張を重ねる反原発派の人を繰り返し登場させた。今は「誰でもメディアの時代」だ。映像またブログ記事が、インターネットを使い容易に拡散する。

同協会は昨年7月にクリス・バズビーという人物の記者会見を主催した。彼は「福島第一原発の100キロ圏内で数10万人単位のがん患者が出る」と予告。この情報が拡散し、不安を広げた。彼はECRR(被曝リスクに関する欧州委員会)という反核私設団体の幹部にすぎない。

しかも、このバズビーなる人物が日本人向けに数万円のサプリ、放射能検査を売り込んでいたことを日英のメディアが暴いた。すると失踪してしまった。

また反原発活動家の広瀬隆氏らは同協会で昨年8月記者会見し33人の行政、東電関係者を「子供たちの健康を害した非人道的行為による業務上過失致死傷罪」で刑事告発したと発表した。ただのパフォーマンスだが、その中には山下俊一氏(福島県立医大副学長)などの医学者も含まれていたのは問題だった。

山下氏は「100mSv以下の被ばくと発がんには因果関係がない」という学会で認められた説に基づいて、事故の対応策を福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーとして勧告した。それに対して、広瀬氏らはECRRの説を根拠に刑事告発したのだ。

この後に医学界、原子力や放射線の専門家の間で、放射能や原発問題などの発言が自粛される空気が醸成されたという。医師や学者は他者からの攻撃には慣れていない人々で、刑事告発騒ぎなどを見て、萎縮するのは当然だ。広瀬氏の行動は言論や学問の自由を圧殺する危険な行動だ。それに自由報道協会は加担したのだ。

雑誌に広がった「売るため」の過激情報

技量不足の報道が行われても「プロ」の既存メディアがしっかりしていれば、問題はなかっただろう。しかし雑誌メディアを中心に煽りは過剰だった。

雑誌記事のタイトルを紹介してみよう。
「20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」(『週刊現代』7月16・23号)。
「30キロ圏そばで耳のないウサギが生まれた」(『フラッシュ』6月14日号)。
「セシウム米が実る秋」(『サンデー毎日』8月26日号)。

いずれも科学的な事実には反するものだが、思わず手に取りたくなる印象的なタイトルだ。売ろうとする意図は分かるが、こうした言葉が拡散することで、社会に不安が蓄積する。

一部の雑誌は放射能パニックに陥った母親の姿を肯定的に取り上げた。『AERA』は「見えない「敵」と戦う母 放射能から子供を守るために」(6月19日号)という記事を掲載。食事による内部被曝を避けようと、学校に手作り弁当を持参させ深夜に食材を求め奔走する様子を紹介した。

同誌の記事はエスカレート。「ふつうの子供産めますか 福島の子どもたちからの手紙」(8月28日)という記事もあった。パニックに陥っていると思われる子どもたちが恐怖におののく手紙を掲載したものだ。

福島県の放射線は通常の生活が送れるレベルで健康被害の可能性は極小だ。また「ふつうの子供」という表現には、障害を持った人々への蔑視や偏見が込められている。こうした事実を同誌は真剣に受け止めず、子供の不安を取り除く努力もしていない。

『週刊文春』は「衝撃スクープ 郡山4歳児と7歳児に「甲状腺がん」の疑い!」(2月23日)という記事を掲載した。執筆者は自由報道協会の理事というにおしどりマコというタレントだ。

記事は福島からの避難者の検査の中で、「良性の甲状腺結節」という結果の出た子供が検査を受けたという内容だ。「結節」は頻繁にあるしこりで、大半はがんには結びつかない。それを「がんの疑い!」と断定して報じた。

日本の雑誌メディアでは、原発問題では革新系が反原発の立場に立って放射能について危険に注目した情報を流し、保守系がその過剰さを批判する構図がこれまであった。ところが保守系雑誌の代表格の「文春」が、放射能の煽りに参加した。あらゆる立場の雑誌が放射能パニックの醸成に加担しているのだ。

自称「専門家」たちの横行

テレビ・ラジオ放送も多くの問題があった。民放のワイドショーには、放射能デマを繰り返してきた人が「専門家」として頻繁に登場した。

武田邦彦中部大学教授は放射能に関するあいまいな情報を拡散。「福島の野菜は青酸カリより危険だ」などという話をブログで掲載し、「反放射能」「反原発」の書籍を数多く出版している。かつて、この人物は原子力の安全性と可能性を訴えていた。

京大助教の小出裕章氏は、「チェルノブイリで数十万人が死んだ」と、低線量被ばくの恐怖を拡散。しかし、これは事実に反する。ロシア政府の報告などによれば確認された死者は50人以下で、汚染された乳製品などの食料を食べた人以外は、発がん率の増加は観察されていない。

さすがにパニックを誘発するような言葉は放送で述べていないようだが、テレビ、ラジオが取り上げれば、これらの人々の書籍を手に取る視聴者も増える。結果的に、デマ拡散を支えてしまう。

前述の広瀬隆氏のある講演がインターネット上の映像サイトに掲載されていた。そこで彼は放射能の「治療法」として「うちの娘のつくった生みそは放射能に効く」と言っていた。放射能パニックを利用して、恐怖心につけ込んだ宣伝行為に他ならない。

これを見た筆者は、専門家と称する人々が社会に与えた損害、そしてパニックで彼らが得た利益を考え暗澹たる思いになった。

NHK、朝日新聞にも煽りが登場

放射能問題をセンセーショナルに扱ったネットメディアや雑誌に比べ、NHKと新聞などの活字メディアは事実を淡々と伝え、煽りを最小限に抑えようとしていたと、一定の評価ができる。しかし、それでも時にはおかしなニュースが提供されることもあった。

昨年12月28日にNHKは「追跡!真相ファイル 低線量被ばく 揺らぐ国際基準」という番組を昨年12月28日に放送した。この中で「世界の原発の周囲で病気が増加している」と伝え、さらに放射能をめぐる防護基準をつくるICRP(国際放射線防護委員会)が原子力産業からの圧力で、基準を緩和したと報じた。ネットを中心に原子力産業への批判が視聴者の間で渦巻いた。

ところが事実は放送内容とまったく逆だ。ICRPは放射線についての厳しい国際世論を背景にして、一貫して防護基準を強化している。この番組について、原子力学会の専門家らが1月に原子力学会の専門家らが1月に抗議文を提出している。BPO(放送倫理・番組向上機構)に提訴する動きもあるという。

昨年秋に連載された朝日新聞の「プロメテウスの罠」という連載は煽り記事が続いた。例えばこんな報道があった。

「東京都町田市の主婦の6歳の長男が4カ月の間に鼻血が10回以上出た」。この母親に、原爆に被曝した反原発活動家の肥田俊太郎医師が語りかける。「広島でも同じことがあった」。記事中に「こうした症状が原発事故と関係があるかどうかは不明だ」と逃げの文章を入れるが、読み手に不安を抱かせる記事だ。(12月2日記事)

町田市での子供の鼻血は原発事故の影響であることはありえない。それなのに記事は「証明できないがあるかもしれない」と匂わせる。「プロメテウスの罠」は、同じような危惧を抱かせる内容の記事を延々と紹介した。他紙面では事実を伝えているのに、この特集は特異だった。

東京新聞(中日新聞東京本社)の報道は全般的に反原発色が強いが、関東圏で2ページの特集記事の枠を持つ「特報部」は過激な内容の記事が多い。連日、反原発系の識者が登場。「低線量被曝の世界的権威」として、前述のクリス・バズビー氏の「(日本政府の被ばく基準は)恣意的で誤り」とするインタビュー記事(7月20日)を伝えた。こうした報道姿勢から反原発団体の間で、同紙の評判はよくなっているという。

「メディアが醸成した「放射能ストレス」(下)— 死者ゼロなのに大量の報道、なぜ?」(アゴラ版)(GEPR版)に続く

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