馬淵澄夫氏はなぜデフレと不況を混同するのか

池田 信夫

馬淵澄夫氏の記事を読んで、私も池尾さんと同じように、デフレと不況を混同するリフレ派にありがちな錯覚を感じた。彼の記事が支離滅裂であることは池尾さんの指摘に譲るが、ここでは国会議員までがどうしてこんな迷信を固く信じるのか、というメタレベルの問題を考えてみたい。


第1の原因は、基本的な経済理論を理解していないことだ。それは「金利の上昇1%で[・・・]設備投資の活発化、企業収益の改善、円安などを考えると、貸出465兆円の質の改善が見込める」という彼の記述にも明らかである。金利が上昇して設備投資が活発化することはありえない。馬淵氏は上場企業の取締役までつとめたようだが、彼の会社では「金利が上がったから設備投資を増やそう」と考えたのだろうか。

第2の原因は、名目値と実質値を区別していないことだ。これは藤井聡氏などのバラマキ派とも共通だが、馬淵氏の記事の中には「名目」とか「実質」という言葉が一度も出てこない。デフレとは実質価値が変わらないまま名目価値が下がることなので、この区別をしないでデフレを論じることはできない。ほとんどの場合に彼らが問題にしているのは、実質的な不況であって名目的なデフレではない。

第3の本質的な原因は、複雑な金融の問題を単純な因果関係で直結して疑わないことだ。この記事でも「量的緩和などによるマネタリーベース拡大という金融政策を取ってインフレに転じる」というように、間違った因果関係が当然のように前提されている。この原因は、彼らが日銀という「悪の帝国」を想定していることにあると思われる。彼らの思考は、こういう擬似三段論法になっているのだろう。

 A. いつまでたっても景気がよくならない
 B. 日銀は自分の思うような政策を実行しない
 C. したがって景気が悪いのは日銀が原因である

これはカルトが入信を誘うときよく使う次のような論法と同じである。

 A. あなたの人生は失敗続きだ
 B. あなたは**教を信じていない
 C. したがってあなたが失敗するのは**教を信じていないことが原因である

このように「Xが存在しないから不幸になる」という論法は何にでも使えるが、相関関係と因果関係を混同した詭弁である。AとBが同時に存在することはBがAの原因であることを意味しないが、AもBも変わらないと因果関係が実証されたように見える。

リフレ派の実態はこのような宗教だから、反証不可能である。キリスト教原理主義がいまだに天地創造を信じているように、すべての出来事は信仰で説明できるからだ。カルトを信じる国会議員は、選挙で淘汰するしかない。