経済学者の意見の違いは大きくない

池田 信夫

また池尾さんの記事を補足しておくと、リフレ派の中でも温度差があって、馬淵澄夫氏のように無知蒙昧な人はそれほど多くない。きょう飯田泰之氏と週刊ダイヤモンドの「対決討論」で議論したが、編集部には気の毒だが90%以上は意見が一致した。


基本的な認識は同じで、日本の「失われた20年」の後半の原因は、労働人口の減少と新興国との競争激化。それは世界的には要素価格の均等化=大収斂をもたらすが、国内的には知的労働と単純労働の大分岐をもたらす。といってもトラックの運転手のような肉体労働には影響はなく、危ないのはエクセルで代替できるような仕事をしている下級ホワイトカラーだ。自分でコーディングできる超エリートだけが豊かになる。

短期の金融政策についても、コアCPIで見ると日銀が0%を目標にしているように見えることは事実だが、日銀は「流動性の罠による不可抗力だ」と主張している。私にはどっちが正しいのかわからないが、目途をgoalと訳すのは中学生の英語の試験でも×だろう。「インフレ目標」を明示的に設定して、できないならできない理由を説明すればいい。日銀に欠けているのはコミュニケーション能力である。

違うのは、長期の問題と短期の問題のどっちを重視するかという優先順位だ。私ははっきり言って、日本の現状で金融政策にできることはほとんどないと思う。長期不況(いわゆるデフレ)の最大の原因は、企業が貯蓄超過(GDPの8%)になっているという異常事態だ。この原因には諸説あるが、国内市場が収縮しているため、投資が新興国に流れているという説が有力だ。

これは金融政策ではどうにもならない。それより効果があるのは、法人税の減税だ。たとえば大阪市が「法人税特区」として税率をゼロにすれば、全世界から投資が集中し、法人税収の減少をはるかに上回る所得税・消費税の増収があるだろう。いわば大阪がケイマン諸島になるようなもので、フリードマンが生きていたら絶賛するだろう。

だから経済学者の意見の違いはそれほど大きくないが、政治家(および自称エコノミスト)との違いは大きくなる一方だ。実体経済が悪化して財政の余裕がなくなると、政治家が中央銀行に責任転嫁しようとするのはどこの国でも同じだ。むしろ飯田氏のような良心的リフレ派が、馬淵氏のような政治家を諫めたほうがいいのではないか。