日本は誤った道を歩もうとしているのか? --- 田中 タケシ

アゴラ編集部

震災前、日本では原子力立国の計画が取りまとめられ、原子力比率45%の目標も立てられました。エネルギー自給率の低さや地球温暖化対策といった日本を取り巻く問題は震災以降も何も変化していないにもかかわらず、日本は原子力(というよりも放射能)への過剰な拒否感から、国家百年の計の根幹ともなるエネルギー政策をここに来て大きく転換しようとしています。


勿論、震災前までの電力会社、特に東京電力の安全面に対する取り組み姿勢は、今回の事故を引き起こした最大の要因のひとつとして厳しく追及されて当然ですが、それと一国のエネルギー政策とは別の次元だと思います。日本は京都議定書でCO2削減に関して国際的なコミットメントを行ない、低炭素社会の実現に向け国際的なリーダーシップが期待されていたにもかかわらず、被害は甚大でしたが本来は防げた一度の原発事故で、世界のエネルギー政策を大きくミスリードする脱原発の方向に本当に転換すべきなのでしょうか。それほど震災前のエネルギー政策がいい加減なものだったとは思っていません。

福島第一原発は確かに事故を発生させましたが、福島第二原発や他の原発はギリギリながら持ちこたえ冷温停止まで安全に誘導できました。1970年代の旧式の輸入原発の事故を捉えて全てを否定するのは、一時の感情でやむを得ない面はあるにしても、客観的な事実を見ようとしない盲目的な行為だと思います。

エネルギー政策はベストミックスが大切です。原子力を安定した基幹エネルギーと位置付けて、それに新エネルギーや省エネを組み合わせたシナリオを推進しようとしていた矢先に発生した福島の事故をどう捉え、それにどう対処するかは日本人の本当の知恵の見せどころだと思います。単に感情的に反応してしまうのか、もっと先をみた賢明な行動を取ろうとするのか日本人の真価が問われるでしょう。

また、放射能に対する誤解に基づいた国民の感情に対して説明責任を果たさず、日本の安全保障を軽視した妥協的な政策(パーセントシナリオ含む)を見るにつけ、この国の抱えた不安定要因と衰退要因に半ば絶望的な気持ちになります。

すでに開始された電力買い取り政策や新エネルギーに対する補助金制度により、ここ数年で電力コストは企業にとっても民間にとっても許容しがたい水準まで上昇するでしょう。その時、今は威勢の良い脱原発派のなかからも見直しの要求が出て、分裂した意見が国中に渦巻き、国内が一層混乱すると予想します。最悪、今回の事故を切っ掛けとした混乱は、膨大な貿易収支の悪化とともに10年間ほど継続して日本を疲弊させ、1960年代の中国の文化大革命のように国家の発展に大きな傷跡となって発展を妨げはしないかと本当に心配しています。

今、脱原発派の人たちは金曜日の夕方に首相官邸を取り捲き、表面的には人の命を大切にせよとか、みんなで電気を我慢してでも原発をなくそうとか主張していますが、人の命を大切にするのは当たり前であり、それよりも電気が不十分で停電の恐怖に怯えながらの生活や、国富が流出して海外からの輸入に制約が出て、今までのような衣食住のレベルや医療の水準が維持できなくなり、失業者が街にあふれて自殺者が増え、日本が先進国から滑り落ち、隣国の中国や韓国に対する誇りも失い、貧困生活を強いられた高齢者が溢れる国に我々が陥る危険性をどう認識しているのでしょうか?

戦前の日本が一部の戦争を煽る新聞や軍部のプロパガンダにより、冷静に考えれば負けしかあり得ない戦いに竹槍戦法で挑み、最後は一億総玉砕の道にまで危うく歩みかけたときのように、今は新たな国家衰退の危機に向け、冷静さを失った一部の集団に扇動された多くの国民が、歴史の誤った道に足を踏み入れようとしていることを懸念しています。人は個人では賢明な選択をする場合でも、集団では時として結果的に愚かな判断の誤りをするものです。また最近は、世の中で反原発派からの度を越した非難や中傷も多々見受けられるようになりました。

状況は悲観的です。過去の首相経験者も日本の足を引っ張っています。大衆に迎合し自らの頭で考えようとしない政治家や一部の有名人、芸能人、マスコミ、宗教家までもが冷静さとバランス感覚を失い、現象のみを表面的に捉えて条件反射的な発言をネットでも繰り返しています。

今、日本は戦後最大の社会的経済的な危機にあります。心ある政治家や専門家は、もっと勇気を持って信念を表明し、反対派と対話して相互の論点を整理し正しい主張を広めていかなければ、日本の将来に大きな禍根を残すことを強く危惧します。

田中 タケシ
自営業