日本の電子機器産業の行方

松本 徹三

ソニー、パナソニック、シャープと、早期退職勧告の対象となる人数についての報道が連日行われている。自分と関係の深かった業界内での事なので、私としても、あまり心安らかではいられない。対象となる業界がはっきりと斜陽産業に属しているのなら、こんな気持は単なる個人的な感傷と片付けられてしまって然るべきだが、電子産業の中での事なのだから、この事はもう少しよく考えてみる必要がある。


電子産業だろうと何だろうと、要するに工業だ。これから世界は脱工業化社会に向かっていくのだから「工業」自体が既に斜陽産業なのだという人達もいるだろうが、私はそういう考えは取らない。成る程、全世界のGDPの中に占める「工業」の比重は着実に減っていくだろうが、「農業」が今後とも変わることなく重要な役割を果たすように、「工業」の重要性も変わる事はない。

勿論、製造工場の立地条件については、状況はどんどん変わってきているし、製造工場を効率的に建設し、うまくマネージしていく為に必要なスキルも、これから大いに変わっていくだろう。しかし、それは、別に「重要性が薄まる」という事を意味するものではないと私は思う。

鉄鋼や化学品の様な装置産業と異なり、自動車やコンシューマー向の電子機器は、単に量産効果によるコストダウンを実現するだけでなく、最終ユーザーの嗜好をいち早く的確に捉え、素材から精密部品に至るまでを最適に組み合わせて、常にユーザー価値を最大化していく必要がある。一台当たりのコストの高い自動車の場合は、買い替えサイクルが相当長くなるが、電子機器の場合は、買い替えサイクルはずっと短くなり、従って商品企画にもより柔軟な発想が求められる。当然、部品レベルの技術革新もめまぐるしく起こり、部品会社間の競争も激しいものになる。

電子機器メーカーには二つの顔がある。一つは「コンシューマー向の最終商品の製造と自社ブランドによる販売を行う部門」であり、もう一つは「それらの商品を構成する基幹部品を製造する部門」である。今回、ソニー、パナソニック、シャープの3社の業績が急激に悪化したのは、その二つの部門が同時並行的に過剰供給に陥った為だが、ソニーとパナソニックについては既に回復基調が見え始めたのに対し、シャープの場合は数字が一層悪化してきているのは、生産調整で生じる損失がより大きい「部品(具体的には液晶)」の比重が、「最終商品」の比重より大きいからだろう。

コンシューマー向の電子機器と言えば、「テレビ」「パソコン」「携帯電話」が三種の神器だが、そのそれぞれには下記のような流れが見て取れる。

テレビは大型化で価格が上昇した。「少しでも大きな画面のテレビを持ちたい」という欲求は世界中で普遍的なものだから、今後とも世界市場の着実な拡大が見込める。しかし、一方では、テレビの場合は、一度買えばそう簡単に買い換えるものではないから、市場の拡大は緩やかなものに留まらざるを得ない。基本的には、「液晶」や「有機EL」の様な部品がその価値の大部分を占めるもの故、最終商品が「誰でも作れるコモディティー」となるのは仕方がない。

日本ではデジタル化の「特需」があり、これに国からの補助金まで出たのだから、これが一巡すれば「深い谷間」に入ってしまうのは止むを得ないことだ。(この様な「特需」は、本来は生産メーカーにとっては決して望ましいものではないが、ご馳走が目の前に置かれれば、誰でも手を出さずにはいられなくなるのが世の常だ。)「特需」が去った後の「市場の正常化」までには、それ程大きな時間はかからないだろうが、今後の市場拡大は、基本的に海外、特に発展途上国に求めるしかないのは理の当然だ。

パソコンの需要はタブレットに分岐しつつあるので、両者併せると市場は拡大するだろうが、パソコン自体の市場は徐々に縮小していくだろう。パソコンユーザーの多くが「タブレットで十分であり、タブレットの方が使い易い」と考える可能性が高くなりそうだからだ。サービスのクラウド化(シンクライアント化)がこの流れを後押しするだろう。

OSを巡っては、Apple(iOS)、Microsoft(Windows)、Google(Android/Chrome)の三つ巴の激しい戦いになるだろうが、「ものづくり」の観点から見れば、ハードの設計能力で大きな差がつくものとは思われず、メーカー間の競争はパソコンの場合と類似したものになるだろう。

携帯電話機市場は、日本ではこれまで一貫して過小評価されてきた嫌いがあるが、そろそろそのようなマインドセットからは脱却する必要がある。「スマートフォン化」は今後とも早いペースで進み、コンシューマーに「より多彩な機能」を徐々に使いこなしていくよう促すから、結果として、コンシューマーは次第にこれまで以上のお金をスマートフォンとその関連サービスに注ぎ込む事になるだろう。

パソコンやタブレットと異なり、極めて小さいスペースに多くの部品を詰め込み、「見た目の良さ」と「使い勝手の良さ」、それに「省電力」を競い合わねばならないので、「ハードの設計」と「製造能力」が相当重要となる。その意味では日本メーカーにはチャンスがあると言ってもよいだろう。

市場は、携帯電話機同様、先進国と発展途上国が車の両輪として牽引していく事になるだろう。先進諸国では頻繁に新機種への買い替えが起こり、発展途上国でも100 ドル程度のアンドロイド機がどんどん出てくるだろうから、購買障壁はあまりないだろう。一台で、電話、メール、SMS (FacebookやTwitter)、情報検索、カメラ、ビデオ、ゲーム、音楽、映像(テレビの代替、YouTube等)が扱え、これに加えて、ショッピングを含めたインターネットの新サービスも次々に楽しめるようになるのだから、ユーザーは、他の生活必需品の購買を削ってでも100ドル程度でスマートフォンを買い、毎月相当額のサービス料を支払う事も厭わなくなるだろう。

以上を総括すれば、全体としてこの市場がなお大きな成長余地を持っていることがわかる。だから、ソニーやパナソニックやシャープ、及びそれらの会社の従業員や株主は、決して前途を悲観するには及ばない。また、その全てにおいて、通信用やアプリのプロセス用のチップと並び、ディスプレイやカメラ、メモリーや電池の重要性が増すから、これ等の部品を製造しているメーカーは市場拡大に期待を持てる。

しかし、勿論、これまでのやり方を踏襲するだけでは、今後の市場拡大の流れにはとても乗れないだろう。当事者を含め、多くの人達が既に理解していると思うが、日本メーカーにとっての主たる処方箋は、下記の二つであると私は信じている。

「世界市場」を「日本市場」の上において、全ての事業計画を考える。
消費者向けにはIntegrationを、生産体制についてはDisintegrationを推進する。

前者についてはこれまでに何度も言われている事だから、今回はこれ以上の言及は控えるとしても、後者については若干の解説が必要だろう。

これまでの家電メーカーにおいては、縦割りの事業部制が徹底しており、中でもテレビ事業部は花形意識が強く、社内外を問わず外部からの意見にはあまり耳を貸さない事が多かったように思える。しかし、今や、多くのコンシューマーは「テレビ」を単に「テレビ」とは見ていない。「テレビとパソコン、タブレット、スマートフォンを区別するものは、単に画面の大きさだけだ」という考え方が、徐々に広がりつつあるのだから、各社のテレビ事業部がこれまでの様に「唯我独尊」であって良い訳はない。日本のテレビ放送会社も、日本独自の変な規格に拘って、機器メーカーの国際化の邪魔をしないで欲しい。

勿論、ここでいうIntegrationとは、ユーザーの視点に立ってのIntegrationであり、「間違ってもサプライヤーの立場からのIntegrationではない」事は断っておかなければならない。既に過去の私の記事でも書いた事だが、supplier側のメリットだけを考えたIntegration、即ち「囲い込み」は、ユーザーにとっては百害あって一利なく、故に、そのような試みは概ね失敗に帰するだろう。

生産体制においてのDisintegrationとは、部品部門と完成品部門の分離であり、「自前主義の放棄」を意味する。

シャープは、以前から、液晶の分野では「品質とコストで圧倒的な競争力を持つ事」に拘り、ここに膨大なリソースを投入してきた。今回はそれが完全に裏目に出たわけだが、私はこの戦略自体は決して間違ってはいなかったと思っている。「完成品のテレビでも自らトップを狙う」という二正面作戦を取った為に、日本国内でもジャパンディスプレイという強力な競争相手を作ってしまった事と、有機EL技術へのヘッジが十分ではなかった事は残念だが、鴻海との提携を梃子に世界戦略を推し進め、その基本戦略が間違っていなかった事を何時の日か天下に示して欲しい。

さて、私はこの記事の冒頭で、今回リストラの憂き目に会う多くの電子機器メーカーの社員の事に若干思いを馳せた。だから、最後に、少しだけその事にも触れておかねばならないと思う。

営業部門や管理部門の人間なら、異業種に行ってもさして問題はないが、技術者の場合は、これまでやってきた仕事を離れて経験のない分野に取り組むのは、かなり辛い事だろう。勿論、有能な人は何処へ行ってもすぐに力を発揮するようになるだろうが、「これまでの経験」を最大の武器にして仕事をしてきた人達は大変だ。勿論、それ以前に、営業系、管理系、技術系の別を問わず、そもそも働き口が簡単に見つかるかどうかも定かではなく、その事を思うと心が痛む。

現時点では、最大の最就職の可能性は、やはり日本市場への進出を狙う中国系、韓国系会社だろう。しかし、こういうケースでは、始めは大切にされるだろうが、よほどの能力を持った人でなければ、何時までも大切にされる保証はない。「昨日に変わる今日の身の上」を嘆き、外国人幹部との人間関係にも相当気を使わねばならないだろう。もっと早い時点で会社が大胆な海外進出を計ってくれていて、自分も海外での勤務経験を十分に積んでいれば、より大きな自信を持って外国企業に勤める事が出来ただろうにと、悔やむ人も多いだろうが、今となっては手遅れだ。

因みに、この事に関連して、私にはこの際言っておきたい事が一つある。現在でも多くのベテラン技術者が中国企業の為に中国で仕事をしているが、これを「技術流出」と呼び、こういう人達を非難めいた目で見る人達がいるのには、私は実は秘かに強い怒りを感じている。

金型技術などはその最たるものだが、こういった分野は、日本企業が「日本でやっていても意味がない」と考えて、自ら捨てたものだ。彼等がそう判断したのなら、それが正しい判断なのだと思う。その企業としては、「技術者を引き連れて自らが中国にわたる」という選択肢もあった筈だが、「そこまでする意味もない」と判断したのだろう。彼等に金型等を発注していた会社は、これまでは日本企業から買っていた物を、今後は中国企業から買わざるを得なくなった訳だが、そんな事は実はどうという事でもないのだ。

日本で「戦力外通告」を受け、「自由契約選手」となったベテラン技術者が、自ら新天地を中国企業の中に求めた事は、賞賛される事はあっても、間違っても非難される事ではないし、私は心からこの人達を祝福したい。これを非難めいた目で見る人達には、「それでは、一体どうすればよかったのか?」「自分なら何をどう出来たのか?」と、自らよく考えてみる様に求めたい。民間企業と、そこで毎日仕事をしている社員達は、毎日を現実の中で生きているのだ。これについて、評論家が抽象的な感傷で何かを語ってみても、殆ど何の意味もなさない。