複数均衡と財政政策(解説)

池尾 和人

小幡績くんが財政出動の話をしている(その1その2)が、そのポイントはきわめて基礎的で、本当に普通の話である。それゆえ、多くの人に正しく理解しておいてほしいことなので、もう少し普通に(やや教科書的に)解説しておきたい。私自身の授業でも取り上げており、昨年度にこの話をしたときの講義レジュメの該当箇所を引用すると、次の通りである。

需要不足は、積極的財政政策によって解消することができるのか。
(中略)
単一均衡か複数均衡か:均衡状態が唯一である場合には、その状態を改善するためには、均衡を規定している構造パラメータ(いわば体質)を変えるしかない。例えば、構造的な需要不足を財政支出の拡大で支えても、財政支出の拡大を止めれば、元に戻ってしまう。しかし、永久に財政赤字を続けるわけにはいかない。

他方、均衡状態が複数あり得るときには、構造パラメータが変わらなくても、政府が政策的にショックを加えることで、1つの均衡状態(悪い均衡)から別の均衡状態(よい均衡)に移行させられる可能性がある。戦略的補完性が存在する場合には、複数均衡の存在する可能性がある。


以下、入門マクロ経済学の「45度線分析」は最低知っているという人向けに解説する。通常の45度線分析では、民間投資Iの値は(経済活動規模Yとは独立に)外生的に与えられていて一定だと仮定される。この民間投資Iの値が小さくて、経済が次の図1の点Bのような均衡状態にあったとしよう(政府支出と純輸出は捨象して考える)。

図1

K1

このときに、政府がGだけの支出を行って需要を補填すれば、次の図2の点Aに対応する高い経済活動水準が実現できる。しかし、政府が支出を止めれば、また元の図1の点Bに戻ってしまうことになる。要するに、民間投資が活発化することがない限り、持続的に高い経済活動水準を維持することはできない。

図2

K2

これに対して、民間投資Iの値が経済活動規模Yと関連している場合を考えてみる。例えば、簡単化のために、民間の企業は経済活動の水準がある閾値未満のときには、あまり投資をしても無駄になると考え、低水準の投資しかしないとし、経済活動の水準がある閾値以上のときには、大いに投資する意味があると考え、高水準の投資をするとしよう。

すると、次の図3のように点Bと点Sで示される2つの均衡が存在することになる。いわば、点Bは「弱気均衡」であり、点Sは「強気均衡」だといえる。そして、いま経済が点Bの状態にあったとする。この状態は悪い均衡であるが、安定した状態であり、内発的にこの状態から脱却する力は作用しない。

図3

K3

そこで、政府が支出を拡大して需要を一時的に高めて、次の図4のような状況をもたらしたとすると、経済は点Aに対応する均衡に移動することになる。

図4

K4

このとき、政府が支出を止めても、経済は図4の点Aから図3の点Sに移ることになるだけで、点Bの悪い均衡に戻ることはない。経済は良い均衡にとどまり続けることになる。政府支出は一時的なものであっても、悪い均衡からの脱却を促す起爆剤として働くことになり、意義があるといえる(こうした説明の仕方は、経緯は忘れたが、私は奥野正寛先生から最初に聞いた)。

このように積極的財政政策に意味があるかどうかは、単一均衡にあるのか、複数均衡のうちの悪い均衡にあるかによって違ってくる。経済が単一均衡にあるか、複数均衡のうちの良い均衡に既にある場合には、財政出動に意義は乏しいといえる。

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池尾 和人@kazikeo