この事件を一犯罪として処理して良いのであろうか?

2012年08月09日 10:19

朝日新聞の伝える所では、 「娘いじめた」と校内で小6殴る 傷害罪、父親に罰金刑との事である。

判決によると、父親は、約1カ月間不登校になった後に通学を再開した長女から「いじめが始まるかもしれないから殴ってほしい」と言われ、10月27日午前8時40分ごろ、小学校の教室で男児の顔を6回ほど殴り、10日間のけがを負わせた。 平鍋裁判官は「娘を助けたいという心情は十分理解できる」としたうえで、父親の行為を「男児やほかの児童に対し精神的に大きな不安と衝撃を与え、保護者や学校関係者にも大きな不安を与えた」と指摘した。


「法」の専門家であり、「法」の職人である裁判官が、「法」に照らし有罪判決を出すに至った経緯は充分に理解出来る。しかしながら、今一つ釈然としないわだかまりが残って消えない。

古来、「罪を憎んで人を憎まず」は有名で、語りつがれて来た孔子の言葉である。今回に限れば、有罪判決を受けた父親を憎む気にはなれない。寧ろ、同情するし、共鳴、共感する所も多い。

法のエキスパートである裁判官の出して来た判決に、難癖を付けたい訳では決してないが、父親にどういった選択肢が残されていたのか? 罪を問う以前に知りたい所である。

長女は一か月の不登校の後、登校再開に際し再度の虐めを恐れると共に、自分を守ってくれる様、父親に縋っているのである。父親として決して無視してはいけない事は当然である。

最悪の対処は、多分長女が通学していた小学校や教育委員会がやったであろうと推測される、「指を咥えて傍観」する事である。これでは、辛い虐めを受けても、誰も自分に寄り添ってくれない、守って貰えないと悲観して悲劇的な結果になってしまう。

仮に、今回長女の父親が傷害事件の加害者になってしまったとしても、長女は一番自分に取って身近な存在である父親が、困った時には例え犯罪者になろうと、「体を張って」自分を守ってくれると言う事を理解する。

家族の「絆」とは本来こういうものであろうし、長女が今後の人生を生きて行くに際し、大いに勇気付けられるに違いない。私が、先月のアゴラ記事、子供を学校に殺されない為に親は何をすべきか?(続編) で主張したかったのも、この一点である。

少し頭を冷やし、日本全体で俯瞰してみると良い。

小学校、中学校は文字通り「義務教育」の場である。従って、親は子供を是非もなくこの場に送る以外手段はない。従って、学校や教師は人様の子供を預かる立場なので、その保護には万全を期さねばならない筈なのである。

一方、そうは言っても人間のする事に完璧は有り得ない。「教育委員会」の存在する背景が本来はここにあった筈である。しかしながら、実態は大津の痛ましい事件が焙りだした通りであり、理想とは真逆の状況である。

真面目に働き、納税し、社会保障費を負担し、義務として義務教育の場に子供を送り出す国民は立派な納税者であると共に、義務を果たす親である。

本来何の落ち度もない筈なのである。そして、「例え何を失おうと子供の命は守る」と言う姿勢は、親として本来賞讃されてしかるべきものと思う。

一方、児童の安全を保障すべき教師や、学校運営を管理、監督する教育委員会の職員は、基本、税に寄生する存在である。

何故、納税者である父親のみが有罪となり、虐めを放置したと推測される(飽く迄も推測であるが)教師、学校そして教育委員会がお咎めなしとなるのか? 社会システムとしてのバランス感覚の欠如が甚だしい。

苛め問題を幾ら議論しても、教師、学校、教育委員会、文科省に問題解決に必須な当事者能力や当事者意識が欠如しているので何時まで経っても埒が明かず犠牲者が増えるだけである。

就いては、先々週のアゴラ記事、「いじめ」根絶に向けての具体論を議論しては?で提案した、虐め対応のフローを早急に、「学校」、「教育委員会」から「警察」に変更すべきである。

山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役

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