笑い事では済まされない「イタリア地震学者の有罪判決」!

北村 隆司

イタリアの裁判所は、2009年に300人以上の犠牲者を出した大地震を前に、必要な避難警告を出さなかったとして、地震学者6人と政府関係者1人に、検事側が求めていた4年の刑を上回る、禁固6年と法定費用など総額8億円を超える罰金を課す有罪判決を下した。

この異常とも思える判決が下された背景には、民衆の怒りとメデイアの圧力を真正面から受ける被災地で裁判が開かれた事もあるが、これまで的中した事も無い「地震予知」を過信して煽ってきたメデイアと、その様な論調を受け容れて来た学者のうぬぼれに対する責任追及の意義もある。


地震予知と経済予測は「競輪、競馬の予想屋の予想」より遥かに劣る事は誰も知りながら、「学問」と言うブランドが付くと真に受けてしまう傾向は世界共通の欠点である。

有罪判決の是非は兎も角、この判決は日本でも真剣に考える必要がある。

何故なら、日本の地震防災は、大規模地震対策特別措置法(大震法)を中核に構築され、「予知」に縛られたままだからだ。これは、「予知学」の進歩の重要性と即効性を誤解した行政判断の貧しさの表れで、これは早急に改める必要がある。然し、今の政治環境ではそれも難しかろう。

そして、忘れっぽい日本人は、次の悲劇が起きて大騒ぎするまでは、予知前提の地震防災制度をそのまま受け容れた日常生活に戻る気がしてならない。

寺田虎彦は「天災と国防」と言う小文の中で、日本人の健忘症を指して「悪い年回りは寧ろいつかは廻って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないと言うことは、実に明白すぎるほど明白な事であるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちな事もまれである。

もっとも、これを忘れているお陰で今日を楽しむ事が出来るのだと言う人があるかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくとも国の為政に参与する人々だけは、この健忘症に対する診察を常に怠らないようにしてもらいたいと思う次第である」と述べている。

つい最近開かれた地震学会では、発生前に警報を出す「予知」について「現在の地震学では非常に困難」であるとし、国民に過度の期待を抱かせる「予知」という言葉を使わない方がよいと判断したと言う。
問題は、学会自身が予知の不可能を認めた以上、「予知」に縛られた防災法の抜本改正を何時行なうのか? と言う疑問である。

兎に角、原因の特定も出来ず、再現性の実証もしていない、個々の学者の予想や意見、酷い時には錯覚に過ぎない段階の地震予知を「事実」と混同して立てられた防災政策の改正は喫緊の問題である。

勿論、最近の耐震構造の進歩に果たした「学問」や「知識」の役割は大きく、これ等の進歩が無ければ東日本大震災でも、倒壊した建物の数は想像を超える数に昇ったであろうことは間違いない。

然し、長い間の風説に耐えた「智恵」の重みを説いた寺田虎彦の一文も説得力がある。少し長いが引用してみると

昔の人間は過去の経験を大切に保存し、蓄積してその教えに頼ることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風説に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。
それだからそうした経験に従って造られたものは関東大震災でも多くは助かっているのである。大震後横浜から鎌倉へかけての被害の状況を見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い民家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋が酷く滅茶苦茶に破壊されているのを見たときに、つくずくそういう事を考えさせられた。

寺田寅彦は又「近代国家の特徴の一つは、国家や国民の有機的な結合が進化し、その内部機構やインフラが分化し複雑に発展したために、その有機系の一部に損傷が起こると系全体に予想もつかない影響を及ぼし、場合によっては全系統に致命的な打撃を与える」と述べ、福島原発事故を予告した観がある。

国家の再生を可能にする政治的な万能再生細胞はまだ出ていないが、それにお構い無く国家は進歩を続け、単細胞動物の様に、一部の固体を切断しても、各片が平気で生命を持続したり肢節を切断してもその痕跡から代わりが芽を吹く有機体ではなくなった。

今の国家は、高等動物同様、変化に対応する融通は、科学、行政、政治などが融合して物事をきめないと、政策の打ち所次第では国家の生命を奪いかねない危険に面している。

過去に学び、将来に備える研鑽を進めると一言で言うが、日本には国立公文書館は出来たが、アメリカの公文書記録管理局(NARA― National Archives and Records Administration)のように閣僚の指示メモに至るまでが収集整理されているレベルとは程遠い。

日本の公文書館も、法的な整備を行い、将来の智財権保護や政策決定に資することができるように、過去の政策決定過程を詳細に分析する能力を与える必要がある。

一見非常識に見える、イタリアの判決だが、この様に、近代国家としてのインフラが整備されれていない日本の現状を知る時、判決を一笑にふすまえに、一歩立ち止まって、日本の防災政策のあり方の根幹考えさせる価値のある判決の様に私には思えた。

2012年10月23日
北村 隆司