野球殿堂入りの福嶋一雄氏と、体罰自殺に追い込まれた高校生

北村 隆司

今年の野球殿堂入りに3氏が選ばれたが、私にはなぜか、特別表彰枠で殿堂入りした福嶋一雄氏と、体罰で自殺に追い込まれた高校生が重なって見えた。

1947年夏の甲子園大会で、旧制小倉中のエースとして九州に初の優勝旗をもたらし、その翌年には新制高校の最初の甲子園大会で連覇を達成した名投手の福嶋氏だが、それ以上に同氏の名を高めたのは、3連覇を目指した1949年の準々決勝で敗れて球場から退場する際に「甲子園の土を後ろのポケットに入れた」エピソードであった。

この大会終了後に「君のポケットに入った土にはすべてが詰まっている」と書かれた福嶋氏宛ての手紙が、大会副審判長の長浜俊三氏から届けられ、同氏は今でも「学校では教わらないものを教わった。それを人生の糧としてきた…」と、その時の感動を忘れられないと言う。

戦後間もなくの日本では柔道、剣道などの武道が進駐軍から禁止され、ひ弱であった福嶋氏は身体を鍛えるために野球部に入部した。

物不足に苦しんでいた当時は、投手であった福嶋氏の猛練習も裸足であったため、軸足の親指の皮は擦り切れ、血が滲むと右足親指には包帯を巻きながら猛練習に明け暮れし、何度も包帯は擦り切れたが、血を流しながら投げ込み続けた。

時代の差こそあれ、スポーツへの情熱や勝利の感動を求めた頑張り具合は、福嶋氏も自殺に追いやられた高校生も変わらなかったに違いない。それにしては、余りにも結果が違いするぎる。

当時の小倉高校の練習を今の時代に強制したら、行きすぎだと糾弾される事は間違いないが、福嶋氏が通常の体罰より厳しいこの過酷な練習に耐え、桜宮高校の生徒が自殺においやられたのは何故か?
この高校生は顧問教師から厳しい体罰を受けただけでなく「主将を首にする」とか「2軍に落とすぞ」と言う激しい叱責も受けていたと報道されている。

過度な体罰は厳禁だが、高校生が体罰だけで自殺したとも思えない。

今回の自殺事件では、「体罰」だけが取り上げられているが、体罰と言う「物理的」懲罰に、「主将を首にするぞ」とか「2軍に落とすぞ」等と言う「精神的」な脅しが加わった事が「自殺」の真の原因ではなかろうか?

福嶋氏でも、当時の指導者から「2軍に落とすぞ」とか「主将を首にするぞ」と言う冷たい言葉を浴びせ続けられたら、文字通り血を出す訓練を続けることは出来なかったに違いない。

猛訓練を支えるエネルギーの源泉は、その辛さを上回る内から沸き起こる夢と希望であったはずだ。
体罰の行きすぎもさることながら、子供の希望を摘み取り、夢を奪った事が、今回の指導教官の決定的な欠陥で、これでは教育者は勿論、指導者の資格もない欠陥人間と言われても仕方ががない。

他人から強制されるエネルギーは永続きしないが、目標への憧れを持つ限り、人のエネルギーは枯れない。

血を流してまで猛訓練に耐えた福嶋氏が、その想い出の象徴として「甲子園の土をポケットに入れた」感動と「悔しさの余り拳骨をポケットで握り締めながら」死を選んだに違いない少年のエピソードに接して、親や周りの価値観を押しつけすぎる今の日本の教育が、日本の未来を傷つけている事を痛感せざるを得なかった。

2013年1月13日
北村 隆司