「使えない人」、「使えなくなる人」、「使える人」

2013年02月05日 08:13

昨日のアゴラ記事、「稼げぬ大学」が「使えぬ卒業生」を量産するに対し、辻先生(上智大学教授)より下記コメントを頂戴した。

山口さんの言う「使える卒業生」とは、一体どんな卒業生のことなのか、分かりません。 大学は、知識を詰め込むのではなく、「学ぶ力」を身に付けるとことだと思うのですが? 

「使えない」、と思う理由と、どうしたら、「使える卒業生」を出せるようになるのか、山口さんのお考えを詳しく教えていただけませんか?

こういう点を書いてこそ、意味のある記事になるのでは、と思いました。


折角の機会なので、このテーマで思う所を述べさて戴く事とした。私は大学卒業以降の殆どの時間を「営業マン」として過ごしている。従って、一叩き上げ営業マンの意見として受け止めて貰えばと思う。

先ず、私の体験から始めたい。

私は経済的な理由もあって地元の国立大学工学部に入学した。四年間で最も印象に残っている授業は一年生の時の「応用解析学」(フーリエ変換)だ。ちっとも理解出来ず、結局通年の単位であるにも拘わらず落としてしまった。大学四年間で唯一の「不可」の経験である。

決して怠けていた訳ではない。私は入学金や授業料を免除にして貰っていたので、それなりの成績を取る必要がある事は自覚していたし応分の努力もしていたと記憶している。

理由は簡単で、数学を学ぶに必要な才能やセンスがないのである。

数学の得意な友人を煩わせて都度教えて貰ったり、或いは、担当教官(教授)の部屋を度々訪ねたものである。今から思えば、私の様なボンクラに良くもまあ丁寧に優しく教えて戴いたものだと思う(勿論大感謝!)。

結局、再履修の二年目の夏頃に少し判りかけて来て、登山が趣味の担当教官から木曽駒一緒に登らないか?と誘われた。思うに、私の質問も漸くポイントを突いて来て、これなら大丈夫と確信してくれたのだと思う。

二年間悪戦苦闘した「応用解析学」から私が得たものは何だろうか?

それは、判らない事を判らないと素直に認識し、判るまで考え続けるという事を「習い性」にした事だと思う。

「応用解析学」の再履修試験に合格してから二年後、総合商社(旧日商岩井)に入社した。当時、新入社員は一般英語、商業英語、貿易実務、経理実務、社内法務の早朝授業を強制的に受講させられた。

そして、5月と11月に社内試験があり、各科目毎に二回連続して合格すると「合格」と認定され以降の受験が免除された(合格しないと何時までも試験を受けさせられ課長から嫌味を言われる)。

私は、幸い一年目で全ての課目に合格し、上司から推薦され二年目の四月に海外留学試験を受験しこれも合格した。社会人として良いスタートが切れたと思う。

「応用解析学」との悪戦苦闘の二年間が本当に大きかったと思う。「モノを考える」。「例え判らなくても判るまで考え続ける」という基礎が出来ておれば大概の事は何とかなると思ったのはこの時である。

私に取って、「応用解析学」というのは忘れたくても忘れられない課目なので長々書いたが、こういった基礎的な学問を通して「考える事を習い性にする」事は大学でしか出来ないし、とても大切な事だと思う。

しかしながら、今、大学が基礎的な事のみを教えていて良いのか?と言うと疑問がある。

私の時代は今と違い、就職事態が左程難しくなかったし、入社後既に説明した様に社内試験もあれば、3年目研修、7年目研修、課長代理研修(13年目)、課長研修(18年目)と、まるで竹の節の如く「研修」が組まれていた。

このベルトコンベアーに乗って人並みに勉強すれば落ち零れる事はなかった。

大学で「基礎」を学び、勤め先では会社が用意してくれる機会を捉え「実務」を学べば良かった訳である。

所が、今は、そもそも就活しても「正規雇用」の職を得る事が難しい。一旦、非正規雇用となれば正規雇用の職を得る事は困難でそのまま社会の底辺に沈んでしまう可能性が高い。即ち、これが実質的に「使えない人」認定ではないのか?

運良く「正規雇用」の職を得る事が出来たとしても安心は出来ない。何故なら、企業が新規採用を継続するのは若者の年収が安いからに過ぎない。

企業が、大した能力、働きがないのに年収の高い中高年社員を持て余しているのは事実である。その内リストラの断行に踏み切らざるを得ない。若手社員もやがて年収が高くなりリストラ候補(使えなくなる人)になる訳である。

この根底にあるのは、アジア新興産業国の人件費との落差である。これらの国が発展すればする程、割高な日本人を雇用する日本企業の経営は苦しくなる。

中国は別格として、タイ、インドネシア、ベトナムそしてミャンマーでサプライチェーンの構築は打ち止めと楽観している人も多いが、正直甘いと思う。

日本の人口は1.2億人でGDPは5.8兆ドル。一人当たり約5万ドル。

一方、インドは日本の十倍12億人でGDPは1.7兆ドル。一人当たり約1500ドル弱に過ぎない。

労働市場でのインドの台頭は確実と思う。結果、日本人人件費の割高感は更に高まりリストラは加速する。

さて、最後に「使える人」について書いてみたい。

昨年、VRに特化したベンチャー企業、株式会社テンクーの西村社長に、私が月例で開催している勉強会の講師をお願いした経緯がある。

西村社長は2011年3月まで東大の助教を勤められ、現在も客員研究員としての席がある。

従って、テンクー社の「商品」や「サービス」は教え子の東大院生が担当している。大学で学んだ事を活かし、実際に「商品」を作り出し、市場に出す事で応分の給料を貰っている訳である。

感心したのは、決して大学での基礎研究を全てと考えるのではなく、実際に商品を開発し、市場に投入し、私の様など素人の意見にも耳を傾ける、謙虚さと柔軟性を持ち合わせている事である。

「使える人」という定義はきっとこの人達には失礼なのだと思う。

今後、個人で起業したり、或いは仲間が集まり起業したり、西村社長の背中を追って行くはずである。

「使える人」というのはこのレベルは無理としても、大体下記の様な人だと推測する。

先ず、先端技術の価値と方向性を理解出来る。

次に、独りよがりになることなく、市場トレンドを見据え「商品開発」や商品に合った「商流構築」が出来る。

最後に、クロージングと債権回収もある程度出来る。

今一つ大事な点は、「使える人」というのは、何も企業から見て使えるという意味だけではない。企業(勤め先)を使えるという意味でなくてはならない。

企業の寿命はこれから益々短くなる。優良企業と思って入社したら、あっというまに問題企業になり、破綻してしまう。

そして、破綻回避を目的に企業の従業員使い捨ては加速する。

これに対し、嘆いたり、憤っていても良い結果は出ない。個人も同様に企業を使い捨てにすれば良いではないか?

自分が設計した商品を企業に持ち込み、社員となり、企業の持つ既存の商流やスタッフを利用して販売を拡大し応分の利益を手に入れる。

商品は何れ賞味期限切れとなる。勤め先に頼らず仲間と連携して新商品を開発し、この商品に相応しい別の会社の社員となり、同様販売を拡大する。

企業に寄生するのではなく、企業を飽く迄道具として利用するのである。

これを可能にするのは個人としての「自立」という事になる。そして、大学の役目はこの「自立」の支援という事になるが決して簡単ではないと思う。

山口 巌 ファーイーストコンサルティングファーム代表取締役

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