現在のわが国の薬学部は、医療職養成学科という分類になっていながら、内実はまったく職業教育を行っておらず、医薬品を研究する学科でもない。この現実を薬剤師以外の医療職の方たちは知らないと思われる。
自分は医学部と薬学部の両方を卒業している。同経験に基づき、本コラムでは、わが国の薬学教育が抱える問題について詳細に論じてみたい。
■「薬剤師は医薬品を取り扱うための専門職であるが、専門性は形骸化している」
医薬品の取り扱い(ハンドリング)とは、保存と運搬と秤量と混合と包装である。保存に必要な知識とは、保存期限と温度の厳守だけだ。運搬は誰でもできる。秤量も、秤が使えればできる。混合は、一部に無菌調剤が含まれるが、これも、数日も練習すれば誰でもできる。包装に至っては、手先の技術以上のものではない。
19世紀までは、医薬品の取り扱いは簡単ではなかった。大半が、生物原料から抽出される生薬だったため、真贋の鑑定、腐敗の防止には、注意が必要だった。原末を量り取り、澱粉や乳糖などの増量剤に混合しなければ、患者には使えなかった。輸液製剤も、病院内での調製が必要だった。
生薬が工業化学製品に置き換わり、製剤技術が進歩して、それらの技術は無意味になった。かつての薬剤師は、生薬の質を確かめながら、粉末を秤量しなくてはならなかったが、今の薬剤師は錠剤の玉を数えているだけなのだ。
■「病棟薬剤師はいらない」
医師が、薬剤師に薬のことを相談すると、良いことがあるのだろうか?限りなく、その可能性は低い。
薬剤師が、自分たちの職能の根拠としている知識とは、薬理学と薬物動態学だ。
薬学部の薬理は、医学部や獣医学部の薬理と大差ない。研究者も、決して多くはない。部外者からは、薬学部は薬理ばかりやっているように思われているが、実際は、薬学部における薬理専攻者は、大学院生の10人に1人くらいである。つまり、研究者の層が厚いわけではなく、教育水準が高いのでもない。
薬物動態学(ファーマコキネティクス)は、研究室レベルでは非常に高度かつエレガントな学問だが、臨床(TDM:血中薬物濃度測定)では、そのうちで、ごく単純な成果だけしか使われない。具体的には、1コンパートメントモデルと2コンパートメントモデルしか使わない。このモデルは、高校生でも、1時間あれば解法を憶えることができる。薬学部でこの分野を専攻する人は、やっぱり10人に1人以下である。
この程度の専門性なら、医師の薬理学関係の知識をいくぶん増やし、かつ、TDM計算ソフトを普及させるだけで足りる。DI活動も、添付文書や業界雑誌や文献を読むだけなのだから、医師でもできる。
大半の勤務医師は、「病棟薬剤師は、いた方が良い」と考えているが、それは、コストをまったく考慮しないで良い立場だからだ。病棟薬剤師を専従で配置すると、最低でも、毎年、500万円かかる。そんな金があったら、医療情報を電子化して、コンピュータで処方を自動チェックするべきだろう。
■「処方箋のチェックはコンピュータで十分可能」
医師の処方箋を薬剤師がチェックすることで、医療の安全性が保たれるという話があるが、薬剤師による処方監査は、処方箋と処方歴を情報源としているのであり、その程度の判断なら、コンピュータで代替できる。お薬手帳と処方箋を電子化しさえすればいい。
■「処方箋を見ているだけでは、大した説明はできない」
薬局薬剤師は、患者に情報を提供しているということになっているが、その実態はプリントアウトを手渡すことである。口頭による説明も、プリントアウトの情報を超えるものではない。患者の個別事情にかかわる、突っ込んだ説明はできない。病態把握のための情報が、処方箋と患者インタビューだけなのだから、仕方がない。患者情報を病院外に流すことは、プライバシー問題により不可能だから、この問題は、薬剤師教育とは関係がなく、改善しようがない。
■「薬剤師は必要だが、薬科大学はいらない」
以上のように、薬剤師の専門性が形骸化しているとはいえ、医療機関が薬剤師を雇用する必要はある。病院や薬局内では、誰かが医薬品を管理しなくてはならない。しかし、養成専門の学科を維持する必要はない。薬理学と薬物動態学は、独学でも十分に習得可能だからだ。薬剤師が実験技術など習得しても、何の役にも立たない。
この意見には、以下のような反論がありうるだろう。
「科学技術に関係する職種では、科学の教養が必要である」
どんな教育でも、理由をつけられる。
診療放射線技師には量子力学が必要である、法曹には法哲学が必要である、税理士にはマクロ経済学が必要である etc…
国家資格職の教育内容は、個別具体的な実務において、その知識が、直接役立つかどうかで決めるべきだ。そうしないと、教育コストは際限なく膨らむ。残念ながら、薬学の教育内容は、薬剤師の実務とほとんど対応していない。
薬科大学が、薬剤師養成課程に寄生して、学生と学費と補助金を集めることで、薬科大学の経営が回っている実態は、是正されなければならない。
私は、薬剤師国家試験受験資格を全国民に開放し、国家試験合格者に、半年か1年程度の実務実習を公費で提供することを提案する。現状でも、薬科大学は、4ヶ月程度の実務実習をしているに過ぎない。
教育費用が安くなれば、資格取得コストが低下するため、競争率は高まり、薬剤師の質は向上する。
薬科大学は、薬剤師養成から解放され、自由に教育・研究を行うことができるようになる。大半は潰れるか、改組が必要になるだろうが、それは仕方がない。国家資格ではなく、教育・研究の内容によって学生を集める困難は、農学部や工学部が、設立以来ずっと直面してきたことだからだ。
■「4年制と6年制」
なお、以上述べた事柄は、薬剤師養成コース(6年制薬学部)の話であり、研究者養成コース(4年制薬学部)には関係がないことを付言しておく。後者は、最初から、医療職養成と無関係なのだ。
井上晃宏(医師)
編集部より:この記事は「先見創意の会」2012年2月6日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。
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