良貨で悪貨を駆逐しよう

松本 徹三

参院選ではいよいよネットが解禁されそうだ。今や多くの国民の日常生活にここまでネットが利用されているのに、こと選挙に関係するとなると頑にこれを禁じてきたのは、日本の法制度の万事につけ守旧的な傾向を如実に表す事例の一つだった。しかし、諸外国の状況を見るにつけても、流石にこのままで良いとは思えなくなったのだろう。


法制度を司る者は、動きの速い技術革新や社会の実態について、本来は努めて敏感であろうとしなければならない筈なのだが、日本では明らかにそうなっていない。「同じ行為でも、書信やFAXで行われると犯罪になるが、メールの場合は『法律にその旨の記載がないので』犯罪にならない」という実態があり、10年近くもそれが放置されてきたという事実は驚嘆に値するが、これは法曹界の怠慢以外の何物でもない。

しかし、今、いよいよ国の最も重要なイベントである国会議員選挙に、鳴り物入りでネットの利用が解禁されるとなると、法曹界も必死でこの問題に取り組まなければならないだろう。それはとても良い事だ。

そもそも、現在の公職選挙法が「ネット利用を禁じている」と解釈されているのは、選挙期間中の「文書図画の頒布」を制限しているからだ。この制限規定は、もともとは、「文書図画の頒布」はコストがかかるものだと言う固定観念に基づき金権選挙を防ぐ為に規定されたものだから、インターネットによりコストをかけずに幅広く情報発信できる仕組みが出てきた時点で、すぐに改訂されてしかるべきものだった。

にもかかわらず、一向にこの改訂に動こうとしなかったのは、それが誰の責任だったかは知らないが、重大な「怠慢」だ。この規定故に、米国や韓国などの諸外国に比較して、候補者の情報配信機会は少なくなり有権者の選挙情報取得にも大きな影響があったことは間違いないのだから、このような不作為は、大袈裟に言えば「民主主義への挑戦」とさえ言えない事はない。

勿論、私とて、ネット解禁に向けての公職選挙法の改定がそんなに容易なものだと考えているわけではない。現実に、ネット選挙が民主主義社会に及ぼすマイナス効果の可能性を指摘する声も多く、その幾つかには頷けるものもある。しかし、そうならそうで、その問題点を一つ一つ丁寧に検証し、マイナス面が出てこないように工夫する事こそが先決だ。単にリスクを言い立てるだけでは、いつまでも何の進歩も実現できない。

ネット選挙に対する危惧としてよく言われるのは、「情報フィルタリングや集団極性化といった現象が多発する故、結果として有権者達が多様な政治的見解に触れる機会がむしろ減退する」という事である。また、これと同根の議論として、ネット技術に精通した候補者が、不公正なやり方で他の候補者と差を付けることを懸念する声もある。

しかし、これらの議論はあまりに抽象的であり、これだけではいつまでも議論が前に進まない。こういった事を論拠にネット選挙に異論を唱える人達は、先ずは具体的な例を挙げて問題点を指摘して欲しい。そうすれば、そういった事を防ぐ為の具体的な対応策が検討される場が作れるからだ。対応策の一つとして、「ネット解禁を米国のように一気に無条件にはせずに、取り敢えずは色々な条件を付けて実施して、様子を見る」といった事も、場合によってはあってよいと私は思っている。

私自身は、上記のような問題に対しては比較的簡単に対応策が講じられるが、厄介なのは、候補者とは関係のない第三者による「誹謗中傷」や「なりすまし」だと思っている。

選挙に関連するネット利用を全て違法としている現在の公職選挙法下では、「誹謗中傷」や「なりすまし」は、即刻取り締まりの対象に出来るが、単純に且つ無条件にネット選挙が解禁にされた場合は、「正当な政策批判」と「誹謗中傷」の区別が迅速にはつけ難く、結果として公正な選挙結果が保証できなくなってしまうからだ。

現実に、ブログを書き、ツイッターを多用している人達の多くは、「この世の中には『人の悪口を言い立てる事』に生き甲斐を感じているかのような人間が如何に多いか」を肌身で感じている事だろう(これは、何とも悲しい現実だが、日本人に限らず洋の東西を問わない実態のようだ。疎外感と劣等感に苛まれている人達に、ネットの匿名空間は「憂さを晴らす」格好の手段を提供したと言える)。

こういう「悪口雑言マニア」の標的にされた人達の中には、カッときて反論を書き始め、途中で馬鹿々々しくなってやめた経験を持つ人も多いだろうし、「誹謗中傷」で訴えてやろうかと本気で考えた事のある人もいる筈だ。だから、「こういう連中に選挙妨害をされたらどうなるか」と考えて寒気がし、「ネット選挙も考えものだぞ」と考える議員さん方がいてもおかしくはない。

しかし、ここで怯んでしまっては、世の中に進歩はない。既にネットの世界では「誹謗中傷」に類する事は日常茶飯事なのだから、これに対する対応策を「公職選挙法改正」の機会を捉えて一気にやってしまうのも一案だ。

「選挙」は国民が政治に関心を持つ最大のイベントだし、多くの人達が真剣勝負をする場だから、これを機に、ネット上に現れる政治や経済に関する言論の量も、「質の良いもの」が「質の悪いもの」を圧倒する事になる可能は高い(「質の良い」言論とは、「事実」と「論理」で明快に裏打ちされ、且つ、誰にでも分かり易く説明されているものを言う)。そうなれば、やがてはネット社会全体に「良貨が悪貨を駆逐する」効果が得られよう。

上記では、敢えて通常とは逆の言い方をしてみたが、「悪貨に良貨を駆逐させない」常識的な方策も勿論必要だ。世の中には、物事の悪い点のみを言い立てて、進歩そのものを止めようとする人達が数多くいるから、対応策を考えていく材料には事欠かない。こういう人達の論点に、丁寧に一つずつ反論できるようにしていけばよいだけの事だ。

一般的に言って、今なお必要以上にネット文化に否定的な人達が多く、それも社会的に地位が高い人達の中に結構多いのは事実のように思える。それは、「自分の理解を超えるスピードで進化し、複雑化するものに対する嫉妬と恐怖」によるものではないかと私は疑っているが、本音を表に出さないこれらの人達を、単純に「遅れている」と決めつけてしまうのは賢明ではなく、これらの人達の懸念にも十分な配慮をする必要があると、私は常日頃から思っている。

このように考えていくと、今回のテーマである「ネット選挙の解禁」についても、「一つの現実的な方策」が見えてくるように思える。それは、多くの人達の懸念を取り敢えずは和らげる方策、具体的には、「選挙管理委員会が候補者に公的サーバーを提供し、公的サーバーを通じた選挙活動のみを解禁する」という案だ。

公的サーバーの提供により「利用できるサーバー能力に関する公平性」が保たれる上、公的サーバー以外を通じた選挙運動は全て違法との観点で取り締まりが容易になり一部で懸念されている「日本国外からの一定の候補者に対する選挙妨害」にも公的な保障体制が敷ける。

更に、「公的サーバーを介する限りは、候補者に限らず誰でもが、何にでも利用出来る(例えば質疑応答など)」という考え方を徹底すれば、「解禁とするのはウェブサイトに限り、メールなどは対象外とする」等といった中途半端な議論も必要がなくなる。

また、「候補者が発信したコンテンツは選挙後も公的なサーバーで保存する」事にすれば、「政治家の二枚舌」を許さない監視体制を選挙民に提供する事も可能になる。これは、「成熟した民主主義」実現の為にかなり重要な事だ。

今回は色々な観点から考えてみたので、議論が輻輳したかもしれないが、もう時間もあまりないのだから、「取り敢えずの結論」としてはこの方策で良いのではないだろうか? それよりも、この機会に、投票場に行かないでも投票できる「電子投票」のあり方についても、更に突っ込んだ検討をするべきだ。技術的にはこちらの方がずっと簡単な筈だ。 

ネットの世界は今後ともダイナミックにどんどん変貌していくから、今回は「取り敢えずの施策」になってもやむを得ないと思う。とにかく第一歩を踏み出す事が必要だ。