40代のうちに「遺言書」を作るのも悪くない --- 内藤 忍

アゴラ

エジプトのルクソールで起きた、気球の爆発事故は衝撃的でした。危険があるのはある程度覚悟で乗船していたとは思いますが、被害者の方もまさか自分が事故に巻き込まれるとは思いもしなかったはずです。炎上して落下する瞬間、何を考えたのか。心が痛みます。心からご冥福をお祈りしたいと思います。

しかし、これは他人事ではありません。人生においては想定外の事態というのが、次々と起こったりするのです。常に最悪の事態を想定して対応をしておく必要があります。


私が年初に書いた「今年やるべき100のリスト」の中に、実は「遺言書を作る」というのがあります。

以前は、自分の遺言書というと、何だか縁起でもないという感じで、考えたくもなかったのですが、ここ数年でそんな考え方が変わりました。

その理由の1つが、仕事を通じて個人の方の相続に関する問題をリアルに見てきたことです。遺言書が無かったことによって、残された家族が不幸になってしまった例。逆に、遺言書があることで、残された家族が円満に過ごしているケース。

自分のためだけではなく、周りの家族のためにも意思表示をしっかりしておくことが、責務であると思うようになりました。

あまり知られていないことですが、例えば子供のいない夫婦の一方が死亡した場合、残された配偶者が4分の3、兄弟姉妹が4分の1という法定相続比率になります。通常の夫婦であれば、2人で築いた財産は兄弟にも配分したいとは思わないでしょう。

逆に、夫婦間でもパートナーには財産をまったく相続させたくないと思う場合もあります。自分の親に相続させたいとか、公的な福祉団体に寄付したいという人も少なくないはずです。

いずれにしても法定相続という国が決めた配分ルールに従う必要は必ずしもないのです。

という訳で、私も、年初の目標の1つを達成すべく法的に効力のある遺言書を作成することにしました。内容は誰にも見せないつもりですが、万が一の時にはわかるようにしておかなければなりません。

「遺言書」というと何だか後ろ向きで暗い話のように思うかもしれませんが、自分としては未来をより明るく生きるための前向きなものだと位置づけています。一度作ってしまえば、きっと毎日の生活では意識することも無くなってしまうようなことだと思っています。

自分の人生に責任を持つというのは、生きている時だけではなく、自分がいなくなってからも含まれる。いつしかそんなことを自然に考えるようになったのが、何だか自分でも不思議な心境です。


編集部より:このブログは「内藤忍の公式ブログ」2013年3月13日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。