村上春樹の新作長編の内容を妄想する --- 島田 裕巳

アゴラ

村上春樹の新作長編が刊行されようとしている。今のところ、題名も明らかにされていないし、内容についても何も明かされていない。おそらく、発売された途端、ベストセラーになることだろう。そして、小説の内容について、さまざまな形で議論が巻き起こるに違いない。その点で、村上春樹の新作の刊行は一つの社会的な事件である。




最近は、村上がオウム真理教の問題に関心を寄せたこともあり、また、『1Q84』では、ヤマギシ会のことがモデルになっていたこともあり、私が書評を依頼されることも多い。今回はどうなるか分からないが、どうせ刊行後に書評を書くことになるくらいなら、予め本の内容を予想してみるのも悪くない。そう考えて、妄想を働かせてみることにした。



今のところ、著者のメッセージとしては、「短い小説を書こうと思って書きだしたのだけれど、書いているうちに自然に長いものになっていきました。僕の場合そういうことってあまりなくて、そういえば『ノルウェイの森』以来かな」という短い言葉だけである。



このメッセージは、内容についてまったくふれていない。だが、読者の好奇心を引くということでは巧みな文章である。なにしろ、著者の小説のなかでもっとも売れた『ノルウェイの森』に言及されており、読者は、あのような恋愛小説が刊行されるのではないかと期待してしまうからである。



しかし、ノーベル文学賞のことがある。今、村上春樹がノーベル文学賞にもっとも近い作者であることは世界的にも認識されており、今年の秋とは言わないにしても、近々彼が受賞しても不思議ではない。もし、今回の新作が高い文学性を示しているものになるとしたら、受賞はより現実味を帯びてくるだろう。著者が、ノーベル文学賞についてどのように考えているかは分からないが、それをまったく意識していないとは思えない。



しかも、オウム真理教の事件が起こり、地下鉄サリン事件の被害者に取材したノンフィクション『アンダーグラウンド』を刊行したときには、小説家としての姿勢を変え、社会性のある作品に挑戦する必要があると感じたと述べていた。その点でも、ただの恋愛小説が刊行されるとは思えない。



今、著者が取り上げるべき問題があるとしたら、それは何だろうか。日本に固有の社会的な問題で、なおかつ国際性があるとしたら、やはり3・11、あるいは原発の問題だろう。その可能性は十分に考えられる。実際村上は、地震から3か月が経ったバルセロナで行われたスピーチで原発政策を批判する発言を行っている。



となると、新作では原発の問題が扱われるのだろうか。その可能性はあるが、阪神大震災のことにふれた『神の子どもたちはみな踊る』では、地震のことは背景として扱われたものの、それが中心的なテーマだったわけではない。どこか正面から扱うことを避けているようにも見えたし、村上の作品の傾向としては、扱いにくいテーマである。その点で、原発は扱われても、背景的なものになるかもしれない。



ただ、村上は、同じところにとどまっていることをよしとしない作家であり、作品ごとに何かに挑戦している。その点では、震災や原発事故を背景にするのでは、同じことの繰り返しで、挑戦にはならない。ならば、一歩、あるいは二歩、問題により深く切り込んでいく可能性が高い。



もう一つ、物語に登場する人物の問題がある。村上作品の最近の傾向としてあげられるのは、実際に存在する人物がモデルとして登場することである。『1Q84』では、ヤマギシ会に入ってしまった大学教授や、スーパーエディターと呼ばれた編集者が明らかにモデルになっていた。以前の作品では、むしろ実在しない人物、あるいはカーネル・サンダースのようなキャラクターが登場することが多かった。



今回、モデルとして取り上げられる可能性のある人物が、村上のノンフィクション関係の担当編集者で、2年半ほど前に亡くなった岡みどりである。たまたま岡さんは私の高校の同級生で、生前に彼女に会ったとき、私の書いた『オウム』(現在は、『オウム真理教事件』としてトランスビューから刊行)の本を買って、村上に渡したと語っていた。彼女のことについて、村上は、 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』という本のなかでふれているし、その本を彼女に捧げている。



岡さんは、病にかかり、それで亡くなった。岡さんをモデルにした登場人物は、やはり病にかかり、しかも、自分の残された短い命のことを考えている。病には勝てそうにない。だが、限られた命を、何か大切なことに使いたいと強く願っている。



登場人物が病院のベッドに寝ている時に地震が起こり、やがてテレビでは原発事故のことが伝えられるようになり。周囲の人々は、地震の直接的な被害は免れたものの、原発の事故がより大きなものになり、放射能が大量に降り注ぐことを恐れる。誰もが、自らの死を意識し、うろたえたり、逃げようとしたりする。



余命いくばくもない彼女としては、自分の命の短さが一瞬、相対化されたようで、そこに救いを感じるが、しだいに事故のもたらす恐怖は薄まり、周囲の人々は安堵し、将来に向けて生きていくことに方向を転じていく。

彼女は、そうしたなかで自分だけが取り残されたような感覚をもつ。それはよりいっそう、彼女に命を燃焼させるための何かを求めるよう促していく。

彼女は、病院で個室に入っているため、コンピュータの使用が許されていた。そこで彼女はツイッターをはじめ、震災の被害に苦しみ、事故にまだ恐怖している人々の声を知ろうと、膨大なツイートを追っていく。そこには、さまざまな声があり、彼女はそれに圧倒される。一方には、恐怖をひたすら煽る人間がいるし、もう片方には、地道に正確な情報を集め、人々の不安を鎮めようとしているものもあった。



そのなかで、彼女は一人の男性のことを知る。その男性は、どこかに孤立していて、助けを求めている。だが、その男性は混乱していて、正確なことが伝わってこない。彼女は、その居場所を知ろうとするが、うまくそれができない。やがて、彼とのやり取りは途絶えてしまう。



彼女は、事態の急転に驚きつつも、なんとかその男性の居場所を知ろうとして、男性のような人物を探している人間がいないかを調べ始める。そして、消えてしまった男性を探している一人の女性がいることを知る。それは……。

当たり前のことだが、村上春樹の考えそうなことを考えるのは不可能である。作者自身、物語を書き始めて、自分でもどう展開していくのか分かっていないと語っているし、展開はいつも予想外な方向へ進む。『ノルウェイの森』は、リアリズムの手法が用いられているとはいうものの、やはり展開は意外な方向へむかっていった。



ただ、3・11をまったく無視することはできないだろうし、岡さんが登場してもおかしくはない。なにしろ彼女は、「緑」という形で、すでに『ノルウェイの森』に登場しているのである。


島田 裕巳
宗教学者、作家、NPO法人「葬送の自由をすすめる会」会長
島田裕巳公式HP