フレッシュマンが肝に銘じること --- 岡本 裕明

アゴラ

4月半ばを過ぎる頃から街中にはスーツがまだ体になじまない初々しい顔つきの新入社員が上司に付き添われて街を歩く姿を見かけます。彼らは緊張の面持ちの中で会社のルールや上司の言うことを一生懸命に聞きますが、あるときからそれがすんなり頭に入らなくなることがあります。

「何でこんなことやらされるんだ、俺はこんなことをするために会社に入ったんじゃない」。
わかります、その気持ち。


若い人たちは処世術やビジネス成功者の本を読み、あるいはフェイスブックのザッカーバーグに憧れ、孫正義のように世界で大勝負をしてみたいと思い、リプセンスの村上太一氏のように25歳で上場会社の社長になってみたい(というよりいい生活してパーティーで自慢したい)と思っている人も多いのではないかと思います。

私が新入社員の研修の際、どのポジションまで出世したいかという質問を全員にされたとき、「社長」と答えました。確か150名近い新入社員で2,3人しかいなかったと思います。部長とか課長といったいわゆる中間管理職どまりでよいという答えが一番多かった記憶があります。それが意味するところが遠慮なのか、責任と重圧はいやだという意思の表れなのか、はたまた家族と共にハッピーライフということを考えていたのか、そこまでは分析できませんでしたが。

日本が高度成長期を遂げている頃はとにかく汗をかいて仕事をし続ければ物は売れるし、稼げる時代だったと思います。それだけ需要が内外共に大きかったのです。そして商品品質もマーケティングも販売方法もそして情報も限られていた中で庶民は人の噂を元に消費に走ったりしたこともあるでしょう。ところが70年代、80年代と時がたつにつれ明らかに商品を選別する能力が高まり、人々は一歩上を求めるようになりました。

生活が豊かになるにつれ努力や汗という言葉は日本の若者にはあまり受けなくなってきたかもしれません。結果として粘りがない人も見受けられます。それ以上に上司と価値観の隔たりが大きく、言葉がぜんぜん通じないということも出てきました。

私は今でも20代の若者たちと接し、酒も飲みますが、もしかしたら若い人には結果を早く求めすぎる短絡的なところがあるかもしれません。一方上司となる人たちにも「最近の若者は…」という枕詞を持ち出すことで自己防衛に走っているきらいはないでしょうか?

新入社員を含む若い人たちが社会になじむにはまず、Be patient(忍耐強く)ということかと思います。自分の価値観は自分たちの世代にしか通用しないと思っても良いぐらいなのです。自分の持つ不満に対して回りから同情を誘うことを期待してはいけないのです。ならば、いやな仕事を押し付けられてもそれをポジティブにこれも面白い経験だ、という捉え方をするのはどうでしょうか? 誰もそのいやな仕事をずっと続けろとは言わないはずです。あなたの憎い上司とも2,3年間の辛抱です。

2,3年も待てない、と思う方は山崎豊子の小説でも読んでみてください。彼女の小説には忍耐強く辛抱するという教訓が込められている作品が多いと思います。昭和の時代の人と付き合うのは昭和の小説を紐解くこととで案外解が得られるかもしれません。この上司はなぜそういう指示をするのだろう、と逆に心理を推察するのもポジティブにする方法かもしれません。

新入社員も1年すれば後輩が入り、やけにえらそうになるものです。2年生諸君の発言に自信がみなぎっているような気がしませんか? こうやって若い人々は社会に溶け込んでいくものなのでしょう。

新しい日本の未来のために若者たちの健闘を祈念いたします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年4月8日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。